前回は、いつもの3倍ものアクセスありがとうございました。

「吃音」に関して関心を持っていただいたのか、それとも僕の雪景色のショットに関心を持っていただいたのかは分かりませんが兎に角アクセスに感謝。




さてトップの画像は、朝来市内にあります最後の竹田城主赤松廣秀公の屋敷跡に建てられた、浄土宗の寺に遺っていた古文書です。古文書と言っても、多分当時、椀の緩衝材として使われたであろう反故紙?だと思われます。読めません;;;
 
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「法樹寺」    朝来市和田山町竹田955-1
3日の雛祭りの日、現朝来市(正確には山陰道但馬国竹田藩)にあったとされる「竹田塗」の椀等、現存する塗り物の調査に参加しました。

朝来市教育委員会・姫路書写塗保存会・神戸新聞などの方々と同行し、先ずは竹田町にある法樹寺に遺る椀や膳の計測から・・・・・。











姫路書写塗保存会の方々による資料の計測
僕はこの日まで「竹田塗」なるものを知りませんでした。姫路書写塗の関係者の方から「日本漆工の研究」に兵庫県では唯一の漆塗り産地として載っている・・・とお聞きし初めて繙いてみました。



なるほど兵庫県は栗の木が豊富で、如何やら栗材で目弾きの朴訥とした民芸調の椀だということ。

それで、地元にあったとされる「安福朝七商店」の末裔の方がお持ちの明治期のポスター広告↓に「栗溜塗木地椀」と記載されていたのが飲み込めました。


ポスターをよく見ると外人らしき商人が英字で帳簿をつけていることから、この「栗溜塗=竹田塗」なるものは、どうやらヨーロッパ向けに輸出をしていたように見える。。口をあいて泣き叫んでいるのは”安く買い叩かれた”故?。。。

明治期のポスター広告..............地元にあった安福朝七商店/七尾商店
市内竹田町の安福朝七さんの末裔のお宅には、江戸以前の帳簿がたくさん残っている。

ということで、早速僕は隣町の公民館で開かれている古文書教室に通うことにしました。正式には新年度になる来月四月からの受付なのですが、来月は丁度個展と重なって第四木曜日の講座が潰れてしまうので、二十五年度最後の月になる今月に入れるよう計らって頂きました。大分以前から古文書が読めたら素敵だな~と憧れていたので好い機会です。

講座の内容は市内にあった鉱山の「生野銀山の帳簿」の解読・・・・・多分江戸期だと思います。。


生野銀山他、但馬には多くの鉱山があったため織田信長は、全国制覇の礎になる地として様々な策を練っていたようです。当然信長亡き後は秀吉に目を付けられ竹田城も敢え無く落城というか、あっさり城を明け渡したということだそうです。東男とは訳が違い、この地の人は争い事は好まず皆温厚です。

安福家に遺っていた昭和初期?の帳簿.............勘定済のゴム印が押されています
未だ詳しく紹介できませんが、先日の調査で竹田町の寺や、元漆問屋安福さんに残された百点を超す漆器をみて、僕がこれぞ沢口悟一が「日本漆工の研究」で取り上げた竹田椀(竹田塗)と確信できる椀が一種ありました。僕は目利きなので先ず間違いないでしょう。関係者はもちろん、当日調査に参加した方々で、この椀に目を付けた方は恐らく一人もおられなかったはず。。

この椀を柳宗悦が見つけたら・・・・・・間違いなく民芸館に蒐集したと思います。素人が見たらただの雑器にしか見えないはずです。が、朴訥とした中にとても健康的で逞しい生命力を感じる民芸品です。沢口氏が述べているように、この地では絶えてしまった竹田塗を何度か再興しようと試みられたが実現には及ばない・・・・とありますが、恐らく僕が再現させることになると思います。それは、今回僕を現地調査にお誘い下さった建築家のM氏を始め、この地の方々が、余所者の僕にとても協力的なことから裏付けられます。


それと今のところ誰も「竹田椀」なるものの真髄を理解出来ていないからです。派手な加飾があったり等、ハレの漆器を無意識に期待していると、竹田椀は視野に入って来ません。但馬と言う立地と気候風土、そこから自然に生まれる生産様式と用の美。それらから割り出すと僕がチョイスした椀が正しく該当します。期待してください。

竹田町常光寺さんに頂いた古~い大杓文字...............厨房でお使いになっていた大鍋を描き回すものです
↑ 上の画像は、「竹田椀」と僕が睨んだ研究用に預かった椀と、古くなって捨てようと思っていた・・・・という厨房で使われていた大杓文字です。今日「竹田塗研究保存会」の発起人M氏と同行して伺った折頂きました(ラッキー♪)。痛んだ椀も塗の工程を調べるのに頂きました。地元の造り酒屋さんが寄贈したものということでした。

お寺さんは、大勢の客を持成すため厨房を構え、そこで湯を沸かしたり、昔は調理をしたりしていた訳です。今は調理をして持成すのも大変なので店屋物の仕出しになってしまったということです。


常光寺さんは、竹田城跡の麓にある古刹なので、今、城の石垣の修復工事中で、大きな土嚢を3分おきにヘリコプターで吊るして運んでいるのが見えました。竹田城跡は、今ちょっとしたブームですので地元は観光客を呼び込むことに躍起になっています。僕自身も朝来市は観光で活性化するしかないと踏んでいますが、だからと言って竹田城跡を”恋人の聖地”とか呼ばないで欲しいところです。。
   
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 帰りに多分近いだろうと・・・・・粟鹿のMさんのお宅に、お借りしていたDVDや”縄文百姓”の冊子、そしてホワイトデイも近いのでヴァレンタインのお返しのお菓子を届けるため足を延ばしました。

途中、各地域の特徴を持つ魅力的な古民家をたくさん見つけました。それと並んで過疎地であることには違わないので下↓の画像の様な廃屋も結構あったりします。元養鶏場の跡地かな。。。
 










今日13日「古文書教室」初参加であります。


無茶面白いです! 

本日のテキストは「元文三年 御細帳 但馬国朝来郡 岩屋谷村」.........だと思います;;

只の読み解きではありません。講師の森田先生が相当優秀なのでしょう、この地の農業事情(納税や水の利権等)が色濃く反映している内容を、年貢を納めるにあたっての役人と百姓の関係や、田の灌漑等を行政から地域自治への移行要請など、当時の社会情勢を併せて解説して頂けるので、古文書がとても身近に感じられるのです。おまけに、地元や近隣が題材なので尚更です。

 
二時間は、あっという間に過ぎ帰り支度をしていると「ご一緒にお茶でもいかがですか♪」と講師の森田先生を囲んでイーオンの喫茶店で歓談・・・・・・・といっても、ある生徒さんが森田先生に付きっきりで矢継ぎ早に質問攻め;;; 何とその質問している方も「中世古文書」を京都の女子大で教鞭をとっていらっしゃったというから驚きです。


僕は講義の始まりの時自己紹介をしたので、皆さん「漆工芸家」という職に興味をお持ちで直ぐに打ち解けちゃいました♪

「竹田塗」の古い資料を読みたくて受講したというのも好意的に受け入れて下さったことに繋がったと思います。おまけに、地域振興の企画書を行政の方に提出たこともお話ししたところ、その内容にとても熱く食いついて来て下さる方が賛同して下さりとても盛り上がりました。何とそのお方、頂いた名刺をよく見たら竹田城跡観光ボランティアガイドの会長さんでした jejeje;;;


ほんと世間は狭いです。
実はみなさん「竹田塗」に関しては良くご存じで、古文書にも出てくるそうです。そして、今まで何故「竹田塗」なるものが再興されなかったか、皆さんのお話を伺う中で段々と分かって来ました。それは、民百姓に向けて作られた安物の粗悪品・・・・で通っていたためです。

それを受けて僕は、注釈を加えました。一般の方々が「竹田椀」を見たらただの雑器にしか見えませんが、日常雑器であるが故に、素朴で生命力がありとても健康な趣があります・・・・と伝えたところ「ご近所に朝来ではたった一人になってしまいましたが塗師屋さんがいますよ」と瓢箪から駒みたいな流れになって来ました🎶











確定申告しながら更新です;;



・・・・・ということで Amazon で適当な古文書字典を購入。だいたい予想はしていたのですが、このての書物は、読者がそう多くはないので古本もあまり安くはありません。この先、講師の先生ご推薦の字典は手に入れようと思っています。



そう、古文書教室の初日、講師の先生が「今日から新しい生徒さんが入られたので、先ずは自己紹介を!」ということで、竹田塗の調査をする中で、地元の塗師屋さんの末裔安福さんがお持ちの帳簿等の古文書を入手できるので是非読んでみたい・・・・・と受講動機をお話ししたところ「あぁ、そういう事でしたら今度その資料を教材にしましょう」と、願ってもないお言葉を頂きました。

ちょっと出来過ぎている観もしないでもないですが、ここはお言葉に甘えて早急に資料を用意しなければと考えています。
この地朝来市は九年ほど前に、朝来郡生野町、和田山町、山東町、朝来町四町が合併し、朝来市となりました。地方は過疎化が急激に進んでいるので町村合併の動きは今もなを続いています。お隣の養父市もこの地に合併を望んでいるとのことです。


その養父市ですが、「藪医者」の発祥の地です。ただし、意味合いは全く違います。養父は元々は「藪」と記し、この地は、死者を蘇生させる名医がいる・・・との噂が出るほど優秀な医者を多く生み出した地。この評判が全国に伝わり、それ故藪の出身を名乗る迷医?が多く出て今流布されている藪医者の意味が定着したということです(NHKラジオ「すっぴん源ちゃんの現代国語」より)。


町村合併は自然の流れですが、地域色も強く、それぞれの地は誇りをもってアイデンティティーを保持し続けているので、合併後の纏まりはスムースには行きません。仕方がないことですが、地域は人材も乏しいのでそのリソースは、無駄なく結集して協働しなければならないのですが何処も同じ課題を抱えてしまいます。



やはり粟鹿のMさんが仰るように、僕ら余所者がニュートラルな立ち位置で動くのが、頑なに狭い地域に固着する方々を繋げる橋渡し役になるの上で良いのかも知れません。。
確定申告等で大分このコーナーも長引いてしまいました。


竹田椀の再興は、僕個人では意外に容易いことですが、地域の方々を巻き込まなければならないので、そこが一工夫必要な状況です。加えて過疎地のこの地では、地に足のついた振興策を提案できる人材が本当に少ないな~と言うのが実感です。

地方は、起業も含めそのリテラシーを身に着けるチャンスも少ないので、特に若い世代の人材が乏しく、その意味で益々厳しい状況が続くことは避けられそうにありません。自己資金もなく、それ故例外なく補助金目当てで地域振興を考えている”元気な”輩が目立ちます。それでも行政は、無駄を覚悟で乏しい企画者に補助金を付けざるを得ない悲しい現実が見えてきます。どこも厳しいな~といった感想を持たざる得ないのが残念です。


僕は短気なので、早く理想をこの目で確認したくなる性分です。でも、この地では流れている時間が緩いので焦りは禁物だな~と悟りつつあります。当分は、竹田塗に限らず、地域の歴史や現状をじっくり腰を据えてリサーチしていきたいと考える今日この頃です。でも、古文書教室や地元のフットサル仲間等、着々と地元に根付く状況を構築出来ていることは明るい展望の一つです。

加えて、区長から山東町梁瀬地域自治協議会の代議員を仰せ付かり、この春から一つ枠を広げたところでの活動も期待されています。また新たな人々と出会えることが楽しみです♪(もちろん難題を抱え込むことも織り込み済みです)。




ついこの間まで雪景色だったご近所ですが、ここに来て漸く春の気配がしてきました。日中も暖房をせずに過ごせる時間も増えています。

石川画廊での個展も決まり、その準備も本気モードにシフトしなければならない状況です。

明日は春分。一月く、二月げるとはよく言ったものだと思います。三月る・・なので、ここは心して毎日を過ごさねばと自分を戒めているところです。

では、では。

赤松公使用とされる膳