荒井由実 |
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『ユーミンの罪』(酒井順子著)が売れているそうな。。 「罪」と言うからには、どこかに”乗せられた感”があるということなのでしょうか。然もありなん......... 「資本主義は、人間が無意識に生んだ最高傑作」・・・・・そう言ったのは、敬愛する吉本隆明氏です。 ユーミン、特に”荒井由実”の頃は、彼女自身が資本主義を具体的に流行歌で表現するとこうなります・・・・と言った具合に、その体現者と言おうか、資本主義の良い悪いではなく、そこに上手く乗るとどうなるのかとを指し示した。 男が車を所有し、その助手席に彼女を乗せること、そして、女性が助手席という特権的なポジションを得ることの時代的な意味。正しく”その時代”が高度成長期であり、消費社会の幕開けだった。それを指南するように、洗練された歌詞と都会的なメロディーで”女のリビドー”を言ってのけたのが昭和の吟遊詩人荒井由実その人。 |
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荒井由実の傑作は、たくさんあるが、僕が一番好きな曲は『海を見ていた午後』。何よりタイトルが美しい。 彼女が多摩美の日本画科に通っていたということもあるくらいですから、ビジュアルなものへの親和性は強く、それはまるで村上春樹と並んで、全てのフレーズが映像を喚起させます。 『海を見ていた午後』 作詞/作曲 荒井由実 あなたを思い出す この店に来るたび 坂を上って きょうもひとり来てしまった 山手のドルフィンは 静かなレストラン 晴れた午後には 遠く三浦岬も見える ソーダ水の中を 貨物船がとおる 小さなアワも恋のように消えていった あのとき目の前で 思い切り泣けたら 今頃二人 ここで海を見ていたはず 窓にほほをよせて カモメを追いかける そんなあなたが 今も見える テーブルごしに 紙ナプキンには インクがにじむから 忘れないでって やっと書いた遠いあの日 |
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思い返してみると、僕の好きな荒井由実の曲は、資本主義そのものを表現した『中央フリーウェイ』とか『11月のエイプリルフール 』『DESTINY
』などではない。露骨な資本主義の風景と言うよりは、その無意識みたいな控えめなメッセージの方に親しみを感じる(『グッドラック・アンド・グッドバイ
』も)。オセンチなものばかり? 多分仕方なく資本主義にお付き合いした・・といった感じだろうか。いわば勝ち組ではないということかも知れません。。 僕はヘテロだが、案外少女から大人の女に変って行く乙女の気持ちがとても良く理解出来る。この感覚は男女という幻想を超えているのでしょう。 以前「荒井由美のリビドー(性)」というショートエッセイを書いたが、彼女の初期の傑作には、漠として物憂い少女の性が、ある時は露骨に、そしてある時には無意識に吐露されている。そして、この辺の感情は、時代を超えていて万葉集の歌にも重なるものがありそうです。 |
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たぶん、性に先立って異性を好きになる感情が、一番精神的ポテンシャルが高いのでしょう。このポイントで歌を謳えば、最も人の無意識にまで届く言霊が生まれるはずです。 あ痛たたたた 足が痙りました;;何故にここで。。 |
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本日12月12日は、小津安二郎の生誕の日であると同時に命日ということ。 僕も、このサイトで何度か小津には触れました。 小津安二郎の世界 東京物語 それなりに真面目に触れたのですが、今日初めて小津安二郎が、何と僕と同じ東京は江東区深川生まれだったことを知りました。おまけに僕が通うはずだった現在の江東区立明治小学校(当時の東京市立深川区明治尋常小学校)に通っていたという事も知り、何とも言えない、名誉というか嬉しい心持ちになります。 ちょぴりユーミンから反れてしまいましたがあしからず。 PCの具合がちょっとやばくなってきました;;未だ5年経ってないのですが、毎日激烈に?使っているので仕方ないかなと。。暮れに来てPCダウンなどしたら最悪です。hp製の cpu のスペックが良いのを新調しようと思っています。 |
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さてユーミンですが、80年代後半から90年代の謂わば全盛期のアルバムには、明らかに高度資本主義に向けての戦略があったように思えます。 それに比べ、どうも荒井由実当時の作品は、資本主義的な香りがあまり表だって出ていないように感じます。それは、彼女自身が若かったということもあり、あまり社会に対して自覚的ではなかったのではないでしょうか。でも彼女がメジャーの仲間入りをするということは、意識するしないは別として、社会の底に流れる”時代”に同調していた訳ですから、その時代の風をたくさん受けていた事は事実です。 『やさしさに包まれたなら』も、実は不二家ソフトエクレアのCMソングとして作られたものです(懐かしい)。 未だ前期資本主義と言ったらいいのでしょうか、商業度?が高度資本主義当時と比べ穏やかな、それこそソフトな感じがします。 |
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僕自身は、ユーミンを真面目に聴き始めたのがここ10年ですから、どうも最盛期の曲に親しみを余り持てません。大体が荒井由実当時のものに普遍性というか深さを感じます。 そんな彼女が、苗場とか逗子とかの定期コンサートを開いていた、高度資本主義社会の波に乗りに乗っていた頃「私が売れなくなるときは銀行がつぶれるときよ」という言葉をのこしていた訳ですが、その後、本当にたくさんの銀行が潰れてしまいました。残酷にも、時代は確実に移って行くものなのだな~と感慨深く思います。 それでも、ユーミンというか少なくとも荒井由実の”歌”は、彼女自身が望んだように「読み人知らず」として後世に残ることは間違いなさそうです。 超資本主義社会=グローバル社会に入り、ユーミンに続く歌姫は未だ出て来ていないと思います。もちろん、その波にしっかり乗ってサーフしている AKB48 とかはいますが”読み人知らず”となって残るようには思えません(別段彼女らを否定している訳じゃありませんが)。この時代に同調して、その風を歌に換えることはなかなか難しい様に思えます。でも、ちょっと聴いてみたい様な。。 今晩はみぞれのようです。そろそろ本格的な山陰の冬がやって来ました。 さて、どうやってこの冬を乗り切って春を迎えるのか、腹を括っているところです。 では、では。 |
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