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寒い。。



この位で「寒い」なんて言ったら北国の人達に叱られるかも知れないが寒い;;



そんな中「雪のある所に住みたいと思っていたので群馬に越しました。しかし・・・・雪の量も、寒さも大した事も無く、拍子抜け.......」というお便りを頂いた。


この歳になると、いや歳は関係ないかな・・・寒さは身に堪える。加えて冬場にサッカーが出来ないところには住めない。なので雪のあるところ・・・・と考える方は、奥歯を噛むような覚悟がないと、ちょっと厳しいのではと思う。一昨年に介護を終えたのを区切りに・・・・と仰る。またしても女性は逞しいな~と頭が下がる。

ここずっと芸能人は、お正月にはハワイとお約束になった感があるが、そういう僕も小学校の頃、常夏の国に生まれたかったな~といつも思っていたような。。小さい頃から意気地がなかったのか、霜焼けが痒くて泣いた記憶もある。洗面器にお湯を足して二倍くらいに肥った指を浸け、血行をよくしたあとに針を刺して滞ったどす黒い血を絞ったことを今思い出した。



そう言えば、霜焼けなどという言葉は死語になったのか、全く聞かなくなった。栄養状態も相当良くなったと言うことか。その代わり、団塊の世代が冬山に登って遭難しかけ、凍傷になったというニュースはよく耳にする。僕らは、霜焼け世代なのかな。
昨日、先週フットサルを二日連チャンでマジにやり過ぎて膝に水が溜ってしまったのだが(体育館の床は硬くて、膝に負担が掛りすぎる、スタミナが落ちるのが怖くてウォーキングに出掛けた。途中、息子の卒業した高校につづく長い坂道を息を弾ませて登っていたら、歩道に先日の残雪が溶けたのか、それとも山側のノリ地から染み出たのか、水銀のように水が凍っていた。



そうは言っても、むかしは霜柱が張ったが、最近は見ない。ということは、やはり温暖化は進んでいるのだろう。

むかしと言えば今年のお正月、恒例の高校サッカーを観戦に行くつもりが急遽予定を変え、50年以上前に卒業した川口市立原町小学校まで車を飛ばした。お正月の高速はちょっと混んだが、神奈川から東京を抜け埼玉など大した距離ではない。あっという間に着いた。

2013.01.02............卒業した原町小学校
えっ、とびっくりするほど狭い校庭と小さな校舎。すべてが相似形に縮尺して見えた。当時は屋上のフェンスもこれ程高くはなかったので、ちょっとぐれた同級生と、「理由なき反抗」の向こうを張ってフェンスを乗り越え、僕は上半身を腕と肘だけで支え、身体をぶらんと垂らして見せた。相手(確か石川君)は流石にそこまでは出来ず、もう一人の奴(誰だか忘れた)は気でも狂ったか・・・・という顔をしてこちらを凝視していたが、そこがまた堪らなくて身体を左右に振ったところ身体が少しずれ怖くなって止めた。。



今だったら通報される;;もちろん僕の勝ちです。それが切っ掛けだったのか今では高所恐怖症です;;

耐震化の進んだ校舎
校舎の各階には、ショックアブソーバが設置されていて耐震化への配慮を感じた・・・・・が、確か鉄筋コンクリートの耐用年数は40年位だったように思うので耐震化の前に取り壊して新築しなければならないのでは。。

そこで「鉄筋コンクリートの耐用年数」で検索を掛けると「物の原価償却を計算するために現財務省が耐用年数について定めているものがあります。それによると鉄筋コンクリートの建物は50~21年となっています」とありました。既に過ぎていました;;でも、耐震化することで10年ほど延命させることは出来ているようです  ほっ。

通称「赤水門」
僕が通っていた頃は、「赤水門」と呼ばれていた煉瓦造りの格好いい水門が、荒川に注ぐ運河にでんと据えられていた。さすがに老朽化が進んだのか、今ではモダンでメカニックな水門に建て替えられていた。ネットで検索を掛けると「青水門」という呼称になっていて、赤水門は一つ先の下流にある旧岩淵水門に付けられた通称に変わっていた。50年も経つと、まるっきり違った世界になっていてびっくりです。古墳の跡や、震災の歴史が時間とともに人々の記憶から薄れ埋もれてゆくのが理解出来た一コマです。



荒川の土手を挟んで東京側に近くの中学校のグランドがあった。偶に僕らも体育で使わせてもらった記憶がある。これは、どういう訳か想像を超えて広かったです。河を埋め立てたとは考えられないので、記憶そのものがいい加減だったのかも知れません。
以前、タモリが言ってました「この歳になると、これから会うであろう人より、今まで会った人達の方が圧倒的に多い。そしてこれから会うであろう事より、今まで会った事の方が圧倒的に多い。なので歳をとるにつれて過去を偲ぶのは自然で仕方がないことだ・・・・」と。仰る通りで、僕も歳をとったということでしょう。
小学校の直ぐ近くに小林静枝ちゃん(シーちゃんと呼ばれていました)という同級生が住んでいたので、この辺かな~とストーカーのように車で彷徨いたところ小林という表札を見つけました。ほぼ記憶通りの場所と佇まいでした。お正月なので尋ねたらいらっしゃったかも知れませんが、そこまで厚かましくはないので一路仲町小学校(1~3年まで通った小学校です)へ。


そう、このシーちゃんですが、たぶんクラスで一番大きかったと思います。身体もがっちりしていてお母さんのような包容力のある娘でした。一度校庭の隅にあった竹登りという遊具で、彼女があっさり天辺まで登っているので真似したところ1mも上がれず男としてプライドが傷ついたことを覚えています。この年代、つまり小学校上級の女子は、男子より早くに発達するので体力や筋力は男の子より優れていても珍しくはないのですが、当時の僕は甚く傷つきました。


後で聞いたのですが、このシーちゃん、中学で陸上部に入り砲丸投げで大活躍したそうな。。こりゃ~勝てるわけない;;とても家庭的な娘で、よくお祖母ちゃんの話を聞かされました。湯たんぽの栓をしたままストーブに乗せて温めようとして爆発させた話は衝撃的でした。「栓が天井に飛んでった」ということです。楽しそうに話していたのでケガもなかったのでしょう。。
 
 
  何だかどうでもいい話に終始してしまい申し訳ない。本当は満月の話に繋げたかったのですが、とんでもない方向へ話が進んでしまいました。
 その満月ですが、大分前ラジオ人生相談で 大原敬子さんが「寂しいときは黙って月を眺めなさい」と言っていました。

たまたま昨晩、このところ吉本さんはもちろん、中沢新一や小林秀雄の話を深いところで出来るお医者さんと知り合うことが出来、いつも丁寧な診断をメールで寄せてくれるので、膝に溜る水の件で相談しようと、MR画像(医者の許可を得てデジカメで撮った)をもの凄い量あるHHDの中から見つけ出そうと、怪しいフォルダーを片っ端から開いて確認していたところ、思いのほか「月」の画像が沢山あるのに気付きました(ここでも寄り道してます;;)
 
     
   そうなんです、別段黄昏れた歳だから寂しい訳じゃなく、人間ていうものが寂しく生まれてくるのだと思います。もちろん僕自身は超寂しがり屋ですが、でもそうでない人はいないでしょうから寂しいからといって凹むこともないわけです。ただ黙って月を眺めていればいいだけです。


どういう訳か、こんな落ちになってしまいました。でも、人は太古の昔からそうあったようです。


世間は空しきものとあらむとぞこの照る月は満ち欠けしける


                                 


この世はむなしいものだというように、この照る月は満ち欠けするのです  

                             (万葉集 詠み人知らず)

 
   
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