畑の快楽  
 父親が鬼籍に入る直前から畑で遊ぶようになって1年あまり。草とじゃれているようなものなのだが、時間が空けば畑に立つようになった。そして、春夏秋冬が実にリアルに体感できることを改めて感じた1年であった。

 かれこれ20年ほどは海の魚釣りが、その役割を果たしてくれていた。魚は動き回り、餌に食いついてきてくれる。そして、まったく来てくれないこともある。よって、大物を釣り上げたり、数多く釣れたりしたときは胸踊り、幸福感を味わうことになる。
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 なんども魚を釣る夢を見たものだ。そこにいくと畑の夢は見たことが無い。豊作を求めて立派な野菜を作ることをしていないのだから当たり前といえばそれまでなのだが、それでも楽しいと思えるのだから不思議だ。

 ヨモギやセイタカアワダチソウの生命力の強さに驚かされ、里芋の大きな葉っぱを食い尽くすアゲハ系の芋虫の食欲に驚き、天使のような見たことも無い蝶々にであったり、むしろ作物以外のことに癒されているのかもしれない。
 昨年植え替えをして数を増やそうとしたラッキョウは夏場に葉を枯らしていたので、ダメになったのかと思いきや、晩秋になって葉が伸び花を咲かせたものまで。水仙と同じなんだねってことに気づかされた。

 父親が作付けしていたのが実生で生き残ったものと思われ、漬物にするには小さいのだが、生で赤味噌など付けて食べればそれなりに酒のつまみにはなる。野蒜のようなものというべきであろう。
常滑市民俗資料館




 草を引き抜けば蟻の巣が壊れて蟻が卵を持って右往左往する様に出合ったり、草のさきっぽに止まって息絶えるバッタがそこここにいたり、冬眠中のトノサマガエルを鍬で打ってしまったり、いろんなことに出会えることも楽しいかぎり。

 人は生きていく為に必死に大地を耕してきたのだろう。そして、それを思えば耕地をこのように遊びの道具にしている自分に多少の後ろめたさもある。でも道向いの畑は完全に耕作放棄状態で草がぼうぼう。先日はそこに猟犬が飛び込んで行き、直後に雉のツガイが飛び出していった。その環境を必要とする生き物が存在するのだね。
 往復書簡    


東さんの抽象作品について
「侘びさび」その他
no.3 補足の返信
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「侘びさび」

   
 上の畑もかつて草ぼうぼう状態であったが専業農家が借り受けて春から夏にかけて牧草となるサトウキビを作り、晩秋から春にかけて青汁の原料となる葉っぱものを耕作している。大型機械で実に手際がよく商品生産とはかくあるべしと思わせる仕事ぶりだ。

 上空には鳶がツガイでよく旋回している。小型の猛禽類も電線に泊まっており、畑を耕すと白セキレイがやってくる。春になれば鶯や雲雀が囀り、夏はツバメが群れて飛んでいる。白鷺や青鷺、川鵜が隣のため池にやってくる。

 なんとも贅沢な空間だ。弁当を持参して陽だまりで食べる時なども幸福感に浸るのであった。ただし、夏から秋にかけては必ず蚊がやってくる。蚊取り線香を腰にぶら下げていても耳たぶを刺されたりする。蚊も元気なのであった。しばらくは畑で戯れる快楽に浸る予定だ。
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