北陸能登金沢  

 2009年は岩手県は平泉から沖縄県まで、ずいぶん列島の中を行き来した年であった。一気に秋めいた後で、また暑さが盛り返してきた10月の半ば、久しぶりの金沢・能登行と洒落込んだ。たぶん、これが今年最後の遠出となる。
 
 能登は遠い。形は似ているが知多半島とはスケールが違う。紀伊半島ほどではないにしろ延々と半島は続くのだった。大学生のころ知多半島の先生方と金沢の県立歴史資料館に行き、電車に乗って能登半島先端の珠洲市に中世古窯の遺跡めぐりをしたことを懐かしく思い出すのだった。
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 能登の遺跡は、知多の窯跡とはずいぶん違って、これが本当に窯跡なのだろうかと思わせるものであった。宿では漆の研究者の方から北陸の中世遺跡から出土する漆器についての講義など受けたのだが、あまり良く憶えていない。
 
 宿ではアワビ料理が出て、このとき初めてアワビの肝を戴いた。これは美味しかった記憶だ。鯛のおつくりは天然であった。養殖との見分け方をこのとき教えて頂いた。これも美味しかった。ちなみに尾鰭の先端がとがっているのは天然物、擦れて丸くなっているのが養殖なのだということであった。
 
今回、珠洲に出向いたのは珠洲焼き資料館の開館20周年記念と国の史跡指定を合わせたシンポジウムに発表者・パネラーとして呼ばれたことによる。珠洲焼きは12世紀の後半に突如として能登半島の先端に出現し、15世紀の後半に至って姿を消す、中世北陸を代表する焼き物であった。
 
 シンポジウム主催者の想いは、近年この珠洲焼きを看板に掲げる陶芸家の数も増え、その知名度を上げ、さらに産業として振興させたいということ。さらに、その芸術性の向上。加えて、学術的な意義を広めたいといったところであろう。

しかし、シンポジウムと銘打つと第4の学術性が前面に出てきてしまう。研究者をはずして、まともな喋り手を探すのは難しい。今回は考古学系で3名、美術史系が1名。陶芸家1名。もとっも、この陶芸家は金沢の美術工芸大学の学長さんでもある。作品は派手だが、きわめてリベラルな思考と豊富な知識を持つ稀有のアーティスト兼コーディネイターである。

シンポジウムそのものより、そこに至る食事会や朝ごはんの席、シンポ前・終了後の飲み会などが楽しかったし、金沢から珠洲への高速バスの中、そして、珠洲から金沢へと帰る高速バスの中で得るものが多かったように思う。
 
 

 時間に余裕があったので話題の金沢21世紀美術館や金沢城址、そして、兼六園なども久しぶりに訪れてきた。ついでに近江町市場も。岡山もそうだったが金沢も駅前はずいぶんとお洒落になっていた。そして、ここは東京?なんて感じで全然らしくない。
 
 兼六園は消防団に居たときに研修と称して訪れたのが一番最近のことなので20年以上前なのだが、今回は国内のお庭をいろいろ拝見しているので目が肥えている。その目で見ると兼六園は後楽園などに比べ、いささか洗練さに劣るなと感じた。かなり庭オタクに近づいているような気がする。
 
 そして百万石の金沢城址は実に雄大。かつて、金大があったという面影はなくなり綺麗に整備が進んでいた。その石垣がなんとも良い。石垣の美しさに、このところ参っているのだが、ここのスケールもハンパ無い。僕的には現代アートより絶対石垣だと思った。
 常滑市民俗資料館




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