楽 園  
ここのところ畑に立たない日はないほど。相当の雨が降っていたり、どうしても仕事で行けないという事情がなければ、心が自然と畑に向かってしまうのであった。

そして、やっていることといえば、もっぱら草取りなのであった。亡父が残していったラッキョウやネギ、そして山芋や自分で種を撒いた人参・オクラ、苗を植えたナスの世話なども多少はするのだが、それでも草取りが中心。
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草の中でもタンポポはいずれ根っこを掘り出してコーヒーでも作ってみようと目論んでいるため、そのままにしている。だから人目には奇妙な畑になる。

あまり不信がられぬように畑の土手などの草はせっせと草刈機で刈り取ることにしているのだが、夏場は大汗をかく作業だ。子供の頃は父親が鎌で草刈をしていたことをぼんやりと想い出す。
それに比べると、刈払器の威力は絶大なものがある。エコだなんだと言ってもこの機械の力は手放せない。おそらく耕運機もそうなのであろう。いや、トラクターと言うべきか。

田植え機・コンバインなどなど、かつての手作業は圧倒的な機械力によって置き換わっていったのだ。その流れを止めることは出来ない。だって、鍬とスコップで耕すのって、ほんとしんどい。鎌の草刈もしかり
 
常滑市民俗資料館




そうなると、除草剤という誘惑も消しがたく生まれてくる。その先に来るものはなんだろう。手軽に楽に人間にのみ都合のいい自然という不自然だ。それが決して人類の未来の幸福に結びつかないことを我々は知ってしまっている。

産業革命以来の宇宙開発につながろうとする流れを人類の繁栄の歴史として無条件に肯定できる時代ではなくなってしまった。その背後で絶滅する生物種の増加や廃棄物による環境汚染、つまりは環境破壊。そして、その根源にある人間という存在。
 往復書簡    


東さんの抽象作品について
「侘びさび」その他
no.3 補足の返信
「侘びさび」no.3 補足
「侘びさび」no.3
 「侘びさび」no.2
「侘びさび」


















 
糸川に行って帰ってきた隼君には涙が流れるが、その感動も手放しではないという、まことに相すまぬことではある。

明らかに刈払器を用いればCO2は大気中にばらまかれることになる。はたして二酸化炭素が地球温暖化の原因であるか否かの議論は別としても、化石燃料の大量使用によって惹き起こされているであろうバランスの崩れは否定しえない。
 
子供の頃より驚くほど豊になっているのに、幸福感はそれに見合う増大をしてはいない。
GNPとGNHは比例しない。それでも、この豊かさを失う方には行きたくない。それは鎌で草刈をする方向に戻ることを意味する。

人間の文明を手放しで進化の頂点として理解できた時代と現代とでは人類の歴史認識は大きく変わらざるを得ない。
 
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