伝 統  

伝統的な作風の作家が、骨董品に対してさほど興味を示さず、逆に前衛的な作風の作家に 結構なコレクションがあったりするのは常滑の特色なのだろうか。ただし、前衛の作家に とって興味のあるのは作品そのものであって、それが収められている箱や布や、そこに書 かれた文字にはさほど興味を示してはいない。


伝統の世界は、道具の世界であり、それは物の扱われ方までを含めた伝統となる。箱書き も箱の形も切れや仕覆や、箱への詰め物などなど。そうした物に対する関心の無いことは 常滑という産地が道具の生産地としての成熟をもっていなかったことによるのだろう。


道具についての詳細を熟知していたのは二代山田陶山先生だった。若いころに泉佐野に阪 和電鉄が開設した白水陶苑の技師として呼ばれ、茶道具の作法を学ぶために京都の表千家 に通ったという。久田宗也、堀内宗完といった宗匠とともに稽古したというのだから、驚 くしかない。

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そして、漢籍や古典に対する知識には、いつも敬服させられるばかりであった。ただし、 この陶山先生は寡作で有名な人物でもあった。いったい、いつ仕事をしているのかと僕は 思っていたし、先生の作品を見る機会はほとんどなかった。


先生の没後にご子息の三代と共に遺作展を開催して、さすがに一家を構えるだけの仕事を していたことを確認させていただいたのだが、それでも寡作には違いない。遺作展を開く と聞いた常滑の識者は、誰もがそれだけの作品が集まるのかと心配してくれたほどだから 。


先生は明治生まれの日本男子らしく、家父長として君臨していた。経済的な裕福さを軽蔑 するかのように、仕事をせずに学問と風流の世界に遊んでいた。三代が若いころに少しは 仕事をしたらどうだと意見をしたところ、ロクロの前にしゃがみ込むばかりが仕事ではな いと叱責されたという。

それでも、その経済力は息子を大学に通わせることなど及ばない。高等学校の先生が、あ まりに勿体ない才能だからと奨学金を受けて大学に行かせてやって欲しいと頼みに来たと いう話も今は懐かしい。


しかし、今先生のスタイルで暮らしていたら奥さんは、とても我慢できないだろう。当然 に家計の助けにと働きに出るはずだ。そして、先生はそんな働く妻に我慢がならない。あ るいは、妻の稼ぎを良いことに一層、仕事をしなくなる。


先生の奥さんが先生の陶芸の才能にどれほどほれ込んでいたのかは知る由も無いのだが、 先生の見識の深さはご承知だったはずである。でも、その見識が収入に繋がらなかったこ とに不満を表ざたにしなかったのは、やはり、そういう時代がなせる業なのだろうか。

 
平成も20年が過ぎ、昭和戦後も歴史の中に頁を獲得する今、まだ稼がずに家長として君臨 せんとする男子がいることに驚くのであった。しかも、その男子は才能に恵まれ、伝統の なんたるかを理解していたりする。だがね、経済的に自立するという一事が決定的に大事 なのだということが理解できていないのだよ。  常滑市民俗資料館




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