このところ山寺の研究会に参加して三河の山中を歩き回り、はたまた山陰に伯耆富士の大山を訪ね、その秀麗な山容に見惚れたり、山が気になってしかたがない。中高年登山が一過性のブームではなく定着しているのも納得である。



 10月の末に、メタボリック宣告を受けて以来、歩き回っているので、その勢いで登山もいいかも、などと思うのだがおそらく同じようなノリで山登りを始める人も多いのだろう。もっとも当方は山岳修験の方により一層の興味がある。



 山に宿る神を祭るアニミズムの段階から山岳仏教が入り込み本地垂迹説によって神を仏教世界に取り込み、そこに道教やら陰陽道やらが絡みつく世界があって、その山の中を経巡りながら山の力を吸収する人々がいたのだと思う。修験の世界だ。
経塚とは....
平安末期には彼らは経塚の造営にも深く関っていたはずだ。経巻を地下に埋納する行為は平安時代の後期から始まり、末期にはブームを巻き起こす。ここでも藤原道長はいち早く吉野金峰山に経塚を造営している。



吉野と熊野は続けて国立公園になるくらいの間柄だが、熊野本宮の本地は阿弥陀仏であった。その示現した姿に触れた一遍は啓示を受けて南無阿弥陀仏のお札を配りつつ時宗の普及に努めたのであった。
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平泉の中尊寺が建つ山は経塚の山だと聞く。出羽三山、日光二荒山、富士山、伊豆山、白山、石鎚山、大山、求菩提山などなど名だたる名山・霊山には経塚の痕跡があり、修験道の活躍の場でもあった。



 そして、地下に埋納する経塚は焼き物と切っても切れない関係にあるのであった。陶器は腐らない。末法思想はこの時期に仏教者に共有され、念仏宗を生み出す原動力となったはずだが、釈迦入滅後56億7千万年後に釈迦の生まれ変わりとして来臨する弥勒菩薩の場面で地下から経典が湧出すると弥勒下生経には描かれている。
平安時代の末期に盛んに陶器を生産した渥美半島では経塚に直接関係する容器の生産が少なくない。そして、三河の山岳寺院には渥美産の陶器を用いた経塚が営まれている。この陶器と山の宗教と浄土との関係がとても気になっているのだった。



 そして、もう一つは、そこに源頼朝が関りだしたころから経塚が急速に消えていくことが見えるのであった。浄土の姿が鎌倉幕府の確立とともに大きく変化しているように思えて仕方がない。そして、それがとてつもなく面白いのだが、こんなことばかり考えて動き回っているのはオタク的世界に入り込んでいると自覚すべきなのだろうか。
常滑市民俗資料館
 なんとも生きていること、生きていくことに安心がもてなかったり、山に向かって引き込まれそうな力を感じたり、はるかに豊かで便利な世の中になっても人間は変わっていないものだと思う。

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