食器と便器は焼き物ですよ
衛生陶器の工場を長年切り盛りして来られ、かたわら国際交流のボランティアに尽力されている常滑人と話していたら、やっぱり「食器と便器は焼き物ですよ。」の言葉が出てきて、ホホーッと唸ってしまった。


それでも、このごろ夏場はお茶が飲みたいと思うとき、多くはペットボトルに口づけの方がコップに移して飲むことより多くなった。ビールも缶から直接飲むことが少なくない。ガラスコップという食器の出番が少なくなったように思う。
でもでも、やはり食器は焼き物だなあと思うことが多い。もちろん汁物には漆器を愛用しているし、サラダをガラスや漆器のプレートに盛ることも少なくはない。それでもやはりメインは焼き物である。


便器に関してはプラスティック系がどんどん新素材を開発して攻勢をかけているのであるが、いまだペットボトルや缶ビールの域には達していない。割れないし、軽いし、その特性は驚異なのだが傷がつき汚れが残りやすいというハードルがなかなか越えたようで越えられないようだ。


大学生の博物館学芸員実習の相手をしながら、合間に真夏の京都に足を延ばした。室町時代の酒蔵と思われる遺跡が発掘中という情報をいただいて、資料を見せてもらいにいったのだった。


常滑の甕がずらりと並んでいた遺構(穴の列)をみて、そこに埋まっていた甕のかけらを拝見。鎌倉時代にやかれ京都に運ばれてきた大甕。これで京都の酒蔵で常滑の甕がまとまって検出されたのは2例目になる。さすがに京都という感じ。
常滑市民俗資料館
そして、室町も後半になると京都あたりの甕は備前焼の支配下になってしまうのだが、酒屋は樽の時代になるようだ。泡盛や黒酢などは相変わらず甕で仕込んでいるようだが、清酒は樽になってしまった。酒そのものも大きく変化しているのだし、容器は変わる。木製の桶だって、その後、琺瑯に変わりステンレスなども出現してきたように思う。


甕は貯蔵具であって食器ではない。食器となると古墳時代の坏類からであろうか。これは1500年の歴史ということになる。焼き物の種類はいろいろと変遷してはいるが、この時の淘汰を経て現在もなお主役というのだから、すごいとしか言いようがない。


便器は、例外はあるとしても木製から陶器製にかわったのは明治の中ごろだから120年ほどの歴史でしかない。これはまだまだ安泰とは言い難い。
プラスティック系の食器は、50年ほどの歴史だと思うのだが、かつての勢いは見受けられないように思う。容器としてのガラス素材はペットボトルや紙パックによって縮小していった。容器としての陶器は、かつてガラスによって、その役割を終わらせられたのであった。


あたらしい素材の開発という歴史の淘汰に耐えた焼き物は、今のところ食器だけということになろうか。そして、その食器も成熟の域に達している。陶磁器の食器であれば何でもよいという時代ではない。
常滑市民俗資料館
つねに新しいデザインが追い求められてきたのだったが、ここにきて新しさを追い求めるデザイン志向は終わっているように思われる。こういうのを成熟というのであろう。成熟は、やがて衰えを内包しているのだろう。どこまで見届けることができるのだろう。