生命から  

モネラ界という原核生物の生命世界
原生生物界という微生物の生命世界
植物界という生命の世界
菌類の生命世界
そして、動物界

あらためて生命の世界を見直してみる

神経の束を背中に集めた脊索動物門
脊椎骨を持ったた脊椎動物亜門
母乳で育つ哺乳類綱
猿目又の名は霊長目
真猿亜目
狭鼻下目
人上科
人科
ホモ属
ホモ・サピエンス種 

あらためて人類の居場所を見直してみる

旧石器時代 先土器時代 無土器時代
新石器時代 縄文時代
青銅器時代 弥生時代
鉄器時代  弥生・古墳時代
古典古代  奈良・平安時代
中世    鎌倉・室町時代
近代    江戸・明治・大正・昭和時代
現代    昭和・平成 

あらためて時代の流れを見直してみる
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自然の素材・人工の素材
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2005年の博覧会から
常滑焼きまつりから
自誤の急須
そして、自分の位置を確認するのであった。そして、命の不思議と長い道のりを確認する。悠久の時の流れの中で無生物から生物界に入り、今に到る。自らの遺伝子を子孫に伝え、エネルギー代謝を繰り返しながら、ホメオスタシスを維持している。


自分の力では子孫の残せないのに、他の生物の細胞内に入ると一斉に自分の遺伝子を増殖させ、移動のための角をつけて飛び出していくウィルスに怯えながら、まったたく生命の不思議に圧倒されてしまう。


ホモ・ルーデンスとしての人間は、様々な独自の行動様式を生み出してきたのであろう。ホモ・モルタリスとは丸山圭三郎の最後の書だった。第1部の『生命と過剰』は面白く読んだのだが第2部のこの書を読みそびれたままになっている。


浄土についてあれこれ考えていたら、なつかしい丸山圭三郎のホモ・モルタリスに到ったのだが、映画『送り人』の描く現代日本人の死の有り様は、なんとも死という自然現象が特異に肥大化してしまっていることを自覚させてくれた。
思えば、エジプトのピラミッドや始皇帝陵の兵馬俑坑、日本の前方後円墳などなどに見られるように死はどこまでも際限なく肥大化する「顔なし」のようなものなのである。スラムドッグ・ミリオネアに出てくるタージマハルもそれだ。


旧石器時代の死は肥大化していない。ホモ・ハビリスの登場から延々と続く旧石器時代人は、氷河期の飢餓を何度もくぐりぬけていた。後期旧石器時代(オーリニャック期・マドレーヌ期)の洞窟絵画の素晴らしさは言わずもがなではあるが、その動物群の中には二匹一組の馬と雄牛が描かれ、そこから豊穣への願いを読み取ろうとすることは可能だ。


そして、同時期には小錦君をミニチュアにしたようなヴィーナスが生まれているのである。大地母神の登場だ。そして、その母はメタボリックどころの騒ぎではない。しかし、それこそが旧石器人の希求する神であったのだろう。死の肥大はみられない。

 
各地の氷河が溶け出し、海進が起こりマンモスやナウマン象などの動物相が変化していく。弓矢が現れ土器が登場し穀物の食料化に成功する。海の生物も食物となり、牛や鹿が家畜としてコントロールされるようになる。去勢をしなければ牧畜はできない。人による生命のコントロールは植物のみではない。食料生産の確立だ。


しかし、新石器時代の死もまだまだかわいいものだ。マルボローのストーン・ヘンジは死と関係するかどうか見解の分かれるところだが、太陽神のための造形という説の方が魅力的ではあろう。新石器時代の直前といった段階だ。


青銅器が出てくるころから死の肥大化は一気に進んでいるということになろうか。神殿も半端でない。紀元前2000年から1000年という時代、わが縄文時代の後晩期といったところか。各地に高度な文明が存在し、各種の文字が生み出されていた。


そして、ウィルスのように抽象記号は増殖していったのであった。それは素晴らしくも、悲しい現象だったというべきかもしれない。岩石や鉱物は自然界に内蔵されているものだが、金属は鉱物を精製しなければ得られない素材だ。存在しないものを生み出すこと、それこそ存在しない神を活き活きと描くことに繋がっていく。死と死後の世界もそれに等しい。


膨大な文字記号は神と死のために用いられた道具であった。その道具は非在なるものをありありと現前させるものであった。
 常滑市民俗資料館




  往復書簡    


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