ぐい呑みインスタレーション  

通常の庶民家屋に床の間ができるようになったのは、やはり第二次世界大戦後の事だと思う。そして、襖に唐紙を貼り、山水画をあしらうような装飾を施すのも同じころの現象だと推測する。


それ以前においては無地の障子や硝子戸、板戸などが庶民の家屋空間を構成していたと思われる。経済的な余裕がなければ書や絵画を日常空間に持ち込むなどということはできることではない。

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日常的な空間に書画を持ち込むことで、その空間を異化させてしまうというところに優れた芸術作品の力がある。茶室なども、日常性を異化する装置がそこここに配置された空間である。そこでは、茶碗すらも異化装置として機能することを求められているはずだ。

ぐい呑み4000個の個展というDMをもらった。4000個という数がどれほどのものかをイメージできず、やぼ用にかまけようかと思っていたら作家から見てくれろと電話が掛ってきた。


わずか2日間の展示というのも異例であったが展示を見て納得。それは通常の個展ではなく作家が特別に設定したぐい呑み4000個を使ったインスタレーションの場であった。
ぐい呑みは御本の出た粉引き手で、きわめて伝統的な作品なのだが、4000個が並ぶと別物に見えるから面白い。窯のあるギャラリーの窯の中が展示会場で床一面に置かれたぐい呑みは圧巻。

普通、伝統的作風の作家はインスタレーションを試みることなどしない。作品の作風と、その作品の扱いに大きな差がある。その作品が力を発揮するのは作者の手によってではなく、作品を求めた茶人たちによって行われたのである。

 
常滑市民俗資料館




ぐい呑み4000個の作者は伊藤雄志その人なのだが、彼と話をすると何故か話題は鯉江良二に及ぶ。今回のインスタレーションも鯉江との付き合いがなければ形にならなかったのであろう。作家が自分の作品によって空間を異化させ別のものとして創造しようとするのは明らかに現代の陶芸家の行いであって近代・前近代の工芸の世界ではありえないものだと思う。

さて、そこから庶民にもどって普通の人々が、日常空間を好みの工芸品で異化させて楽しむような流れが出てくると工芸の世界も活況を呈するのであろうが、残念ながら経済的余裕という面では逆行する流れの方がきつい平成22年の年明けだ。物つくりには、つらいところである。
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