魯山人の嘆き  

「同じ大根でもその種類により、また、その生い育った土地の状態。すなわち、風土の如何によって美味なるあり、美味ならざるもある。そこで、よい料理をしようとすれば、まず大根の持ち味を活かすために、新鮮な大根を手に入れることが必要であり、第二には、よい種類の大根を選ぶことが料理人の心得である。


 こう考えるとき、すべてよいものは、よい自然から生まれるということが言える。言い換えれば、自然がよければ、そこに生まれるすべてのものが良いと悟ってよい。」

『魯山人味道』として北大路魯山人の書いたものを編集した文庫本を読んでいたら上記のような文章にであった。魯山人は自ら無類の美食家であった。その料理についての発言をまとめたもので、なかなか面白い。

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いわく、余計な包丁の技より素材の良さを引き出すこと。出汁を大切にすること。そのためには料理の技術より良い鰹節の選び方、また削り方。そして、良い昆布についての知識を持つべきであると。なるほどだ。


このあたり、工芸の世界と一緒だなと思わせる。そして、民藝が機械の力で大量生産される粗悪な器を攻撃したように魯山人は味の素を攻撃する。我が家では、昆布はしばしば出汁に用いるが、さすがに鰹節はすでに削られて袋に入っているものを使うし、味の素のほんだしも愛用している。


味の素も魯山人の頃とは随分変わって技術革新を遂げているはずである。この味の素は明治41年、東京帝国大学教授の池田菊苗がアミノ酸の一種であるグルタミン酸が昆布のうまみ成分であることを究明し、小麦粉を塩酸で煮沸し、加水分解してグルタミン酸を取り出し、これを安定性の高いナトリウム塩の形にしたグルタミン酸ナトリウム、つまり味の素を作り出すことに成功したという。。
さて、塩酸を加熱する容器というとになると耐熱耐酸性に優れた素材が求められる。明治期のガラス・磁器などは耐酸性に優れるが耐熱性に劣る。金属は耐熱に強くとも耐酸性がない。琺瑯などもうまくいかなかったという。そして、最終的に用いられたのは常滑で生産されていた道明寺甕が用いられたのだという。大正期までは、この道明寺甕が主要生産設備の中に用いられていたのだそうである。


随分前に味の素を造るときに常滑の甕が使われたという話は聞いていたが、最近資料館のガイドボランティアを勤めていられるEさんに具体的な情報を教えていただいた。味の素の生産に常滑焼が不可欠であったというのは意外な事実だが、それからほぼ100年を経ていまや味の素は素人の味覚では鰹節の出汁と相違ないほどのレベルに達してしまい家庭の料理に定着している。
 
以前飲んだお茶は、初め玉露のような風味があり、美味いと感じるのだが、しばらくすると妙な後味が襲ってきて、その違和感が長くのこるという代物であった。そのお茶の袋には添加物としてアミノ酸が明記されていた。まだ、自分の味覚が衰え切ってはいないことに安心したのだが、時代はどんどん御手軽に高級品もどきが入手できるようになっている。


時代の流れなのだろうと半ば諦めている。食材だってスーパーで売っているものが不味いとは感じなくなっている。明らかに味覚も劣化しているのだ。そして、本物の味に対するこだわりが無くなっている。しかし、圧倒的に豊富な量にあふれ多種多様になったのが現代社会ということなのだろう。


魯山人には悪いが、自然そのものがすでに変化しはじめ、良い自然の中から生まれる食材がうんと限られてしまっている。魯山人は料理を活かす器が少ないとして自ら食器作りにも才能を発揮したが、その伝でいけば当節本物の料理人は野菜作りにも進出する必要があろう 
 常滑市民俗資料館




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