2008年も暮れかけたころ瀬戸の愛知県陶磁資料館を訪れた。開館30周年を記念しての特別展「海のシルクロードの出発点 福建」を見ること、そして歩くことが目的だ。メタボリックに真剣に取り組んでいる。



瀬戸の山の中に30年前に出現した陶磁資料館は車なしでは実に不便な場所であった。それでも多くの客を引き付ける魅力が陶磁器にはあった。2005年に愛知万博があってリニアモーターカーが走り、陶磁資料館南駅という駅もできた。



この駅から資料館までは5分ほど歩く。殺風景なので最近いわゆるオブジェ焼きが取り付けられている。戦後日本の陶芸に革新をもたらした抽象陶芸で鮮烈な印象を多くの人々に与えたはずなのだが、いまその作品列は殺風景な景色の中に埋没してどうも力がない。
リニアの駅で降りたのは僕一人だった。日曜日の午前11時ころなのだが。そして、館内の客もまばらだ。特別展は10月25日からやっているのだから12月ともなれば関心のある人々はすでにあらかた見てしまったということなのだろうか。



福建といえば天目茶碗の建窯があり、呉州のショウ州窯があり、白磁の徳化窯、青磁の同安窯などなど。日宋貿易以来、日本にも多くの製品がもたらされた土地であった。日本の中世遺跡から発掘される同安系青磁というのは、実は同安ではないのだということを今回の展示で勉強した。



そして、建盞、スワトウの呉州、珠光青磁、徳化の白磁観音などが文化人の一般教養であった時代はたぶん終わってしまったのではないかと感じている。オブジェが新鮮味をなくしたのと同根なのかもしれない。
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そして、この30周年記念のイベントに三遊亭円丈の落語会があり「はてなの茶碗」という新作が演じられたのだった。その日がなんと学会のシンポジウムで発表の日であった。
残念、円丈の『御乱心 〜落語協会分裂とその弟子たち〜』を読んだのはもう20年以上も前のことになるのだが、いまだに鮮烈な印象を残している。



彼の新作落語をラジオで聞いたことがあるのだが、本ほどには感心しなかった記憶だ。上方の新作といえば桂三枝であろうが、その新作もどうも僕にはいま一つな感じがする。寄席に通ったわけでもないので、いい加減な評価は失礼千万なのだが、どうも陶芸の新作と落語の新作には通じるところがあるような気がする。

「ちりとてちん」以来落語は人気だという。「タイガー&ドラゴン」もまた落語人気をずいぶん煽ったらしい。実はどちらのドラマも観てはいないのだが、現状はおそらくそんなところかと推測している。
常滑市民俗資料館
瀬戸の資料館の山を歩いて下りる。瀬戸蔵ミュージアムまで歩くのが目標。ここの山茶碗の展示を見るのが目的ながら、かなりの距離がある。途中で書店に入って休憩。そこで目についたのが立川談春の『赤めだか』だった。

瀬戸蔵の展示を見て万歩計を観るとすでに1万5千歩を越していた。尾張瀬戸駅から名鉄電車で帰宅。車中で『赤めだか』を読む。なかなか泣かせるねえ。談志という天才の下での修行時代の回想録なのだが、談志と小さんの対面かなうやと思わせたり、志の輔や志らくなど兄弟弟子間の人間関係など。桂米朝のもとに稽古に行くくだりなども実に読ませるのだった。講談に仕立てて演じてもらいたいほどだ。

談春で調子づいたので少し前から気になっていた上方の桂雀々の『必死のパッチ』も読んでみた。枝雀の弟子だ。演技派俳優でもある。ホームレス中学生の田村君が「はっきり言ってホームレスの方が楽でした。」と腰巻きに書いてある。これまた泣かせる。一気に読んでしまったが、ボリュームがちょっと足りない。どうせなら枝雀との日々も書いてほしかった。
常滑市民俗資料館




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さてさて話芸と陶芸の関係に戻ると談春さんは古典落語は習うことができるが新作は教わることができないという。なぜなら古典落語は落語家共有の財産だが新作落語は個人の財であって原稿用紙の桝目を自らうめる作業から手塩にかけて作り上げたものなのだからという。なるほどだ。それでも作者がお前にやらせてやろうと言えば新作を教わることもできるという。

陶芸は技法を習うことはできる。作風も師匠のそれを受け継ぐことが多い。けっこう新作系の作家も作風を伝えていたりする。さほどに古典と新作の区別があるとは思えないのであった。



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