2005年 常滑焼まつりから
この年の8月最後の土日、恒例の常滑焼き祭りで人気をさらったのは、焼き物の量り売りというコーナーであった。どれでも好きな品物を1kg100円で売りますという。実際に見たわけではないし、伝聞なので1kgあたりの単価も正確ではないかもしれない。それでも、衝撃的な安さと、焼き物が常滑焼以外のものが大半だったことは確かだ。

染付けの大きな皿が100円では、「少なくとも私が作ったものだったら、とても耐えられませんよ」とは親しい元職人さんの老紳士の感想であった。このイベントを仕掛けたのは、金沢の美術工芸大を出て飛ぶ鳥を落とす勢いだった池袋のS部デパート工芸セクションに配属されたこともあるS君である。

常滑に戻った彼は、実家の店を切り盛りし、アウトレットのようなコーナーを店の一角に作っていた。今回は、そのコーナーで売れ残った品々の見事な売りさばき戦略だったとひそかに推測している。違ってたら御免。
僕なら、そんなコーナーを無視するところだが、「お値打ち」というキーワードは、名古屋経済の元気印の象徴である。このお徳感を求めて祭りは賑わうのである。安かろう悪かろうでも、祭りの夜店の誘惑に抗うことは難しい。そして、祭りの後の寂しさは嫌でもやってくるのだ。それは、常滑焼のブランド力を下げることになる。信用の問題なのだと思う。

もっとも、かれこれ20年ほども昔のことだが、いろんなイベントを一緒にやっていた大手陶器商店の若旦那も、常滑焼祭りの数日前になると4tトラックをしたてて信楽に安物を仕入れに行っていた。すでに、こうしたブランド崩壊の種は蒔き続けられてきたのだが、失墜したという話も聞かないのは、もともとブランドがなかったのかもしれない。

たしかに、常滑は工芸で生きてきた生産地ではない。甕にはじまり土管やタイルや、衛生陶器と言う名の便器を主力として近代化を成し遂げてきた工業地なのである。だが、土管は2004年に新たな生産を終わらせた。タイル工場は中国に主力を移す決定をしている。衛生陶器も早晩後を追うことになろう。主力がどんどん退場していくのだった。

そして、俄かに成長した急須も、また量産の時代は過ぎていった。後に残るのは一握り陶芸作家と技術者としての職人、そして、隙間を衝くことに長けた企業ということになろうか。明らかに淘汰の時代に入っている。そういえば、常滑の焼物産業を牽引する人材を育成してきた高校も、来年は姿を消すことになっている。

♪みんなみの 潮のにほひ 風立ちて さらに新らし、 限りなき 黒煙 時はかず空に描く、 おおいなり理想 ああ常滑 わられはちかふ♪
  
限りなき黒煙は、常滑の繁栄のシンボルとして、巨大なる煙突から日々吐き出され、その煤煙は、家庭の箪笥の中まで真っくろ黒介を忍び込ませていた。しかし、大気汚染防止法の施行にも抗して生き続けた校歌が消えていくのは、なんとも忍びないものがある。



「限りなき黒煙」偲ぶ統廃合   ずいぶんローカルな川柳になった。
今年は瀬戸に何度か訪れた。瀬戸蔵ミュージアムのショップで僕が始めて買った瀬戸物は織部の小皿4枚。鉄絵と銅緑釉の組み合わせは、鳴海織部の様式か。鉄絵の伝統的なデザインが新鮮で我が家の食卓には、このところフル出動している。


1枚600円のばら売りであった。揃いは5枚で3000円+税。妥当な値段だと思う。そして、瀬戸の花嫁の底力を見るような思いであった。もっとも、織部がかくも喧しく語られるのは、昭和になってからのことなのだから、伝統といっても案外底は浅い。でも、瀬戸物祭りに常滑の急須が並ぶことはないだろうし、量り売りはないのではなかろうか。青く見える他人の芝生であろうか。

松山と皿の底に刻印があり、瀬戸蔵のホームページから愛知陶磁器工業組合のページ、さらに組合員のページから赤津に飛んで、ようやく松山窯に辿り着いた。「まつやま」ではなく「しょうざん」であった。こうした工房で職人をかかえて器物を作るのが僕にとっての工芸のイメージなのだが、きっと経営は大変だろうなと余計なことを考えてしまう。
ホームページの工房風景には案の定中年と思しき女性が4名、並んで作業をしている。絵付けかな。労賃が安く上がるということなのであろう。熟練のパートさんというところだろうか。そして、その努力で商品のコストは抑えられているのだが、この種の職人仕事から男は締め出されているのが現実なのである。きびしい。