想えば遠くへ  
 隣町の若手の学芸担当と来年の企画の件で少し話す機会があった。まだまだ財政力のある自治体なので厳しいといいつつも、かなり金のかかる企画を組んでいるのに驚く。

 まだ若く、この辺りの学芸としては第2、第3世代といったところか。話をしながら彼らが入る前の人の事などを思い出し一人懐かしんだのだった。

 
 あくの強い館長がいて、対抗するようにあくの強い学芸担当がいて、結局学芸担当が辞職したのだが、それに強く反発したのが学芸が指導していた教室の生徒さんたちで、役所にもかなり強硬な抗議を寄せたのだった。
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 二人ともすでに鬼籍の人であり、若い二人にとって伝説上の出来事なのだ。僕は両方ともに良くして貰っていたので、その時は身のおき方に困ったが、結果として館長側に重心を置いていたと記憶する。

 あくの強い館長は、ボス的な存在であった。敵に回すと立場が相当に悪くなることが充分に予測できたのである。学芸担当とは専門も違っていたので、博物館業界という接点でつながっていたのだった。 
いま、ボスはいなくなって平和な時代にある。自分がそういう立場に来ていることを二人と話しながら、改めて自覚したのだが、そういう資質が自分にはないことは、よく知っている。

 右も左も分からない若い頃には、いろんな人に声をかけて集まりを作ったこともあったけど、そのころの仲間の中には、すでに定年を迎える年頃となっている人も一人や二人ではない。三人か。

 とにかく、なんだか、ずっと若手だったのに急に年寄りの仲間に入ってしまっているような気分になっている。高校時代に世話になった彫刻の先生が20年ほど前に電車で一緒になったら、県内で僕が一番年上になって、集まりの時に挨拶させられたんだと、しみじみ話していたことを想い出す。 
 
常滑市民俗資料館




そして、自分が働いてきた時代を振り返ると、ずいぶん良い時代に居たんだと思えてくる。それなりに企画は通っていたし、予算も付いた。そして、専門知に対する敬意のようなものが社会の中にあったように思う。

 シンポジウムなどで同業者と顔を合わせると、今はどこの博物館でも入場者が減っているという。

 大学が学問の場から就職予備校化するに及んで空気が変わってきたのではないかと感じる。専門知もピンポイントで求められるのではあるが、多くの人々はそこに関わることにありがたみを感じなくなりつつあるように思えるし、そこに行政が関わる必要性を疑問視する流れが執行部サイドに生まれているように感じるのである。
 往復書簡    


東さんの抽象作品について
「侘びさび」その他
no.3 補足の返信
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 大学教授や国会議員や国家公務員などなど、もろもろの権威が権威として機能しなくなった昨今、専門知もその流れに乗っているのだろう。オーラを発するような研究が求められているのだろうが、言うは易く・・・だなあ。

 かつては業界内に石ころを投げ込むような論文でも、それなりに専門家面できなのに。それだけ薄っぺらなことしか積み上げてこなかったという証なのだろうか。反省しきりだね。