えんとらんすの壺庭  
資料館の入り口にあるエントランスホールは、近代常滑焼産業を支えた石炭焚きの倒焔式円窯の形状を写した空間で、壁面に富本泰二氏の作品が採用されている。


窯の中のイメージなので照明はぐっと控えてあるのだが、この空間はなかなかにイケているのだった。そして、今年、常滑の作家協会が資料館と陶芸研究所で作品展を繰り広げる次第と相成った。
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このエントランスホールに、いち早く目をつけたのは北村堅治さんであった。彼はこの空間にアメリカ製の錆びた三輪車を持ち込み、背景に杉江幸治氏の窖窯作品をあしらうというインスタレーションを仕掛けたのであった。裸電球を一つ吊り下げて。


実に面白い。タイトルは「僕らの時間」だ。杉江氏の作品の多くは伝統工芸として見れば焼成に失敗したものたちである。しかし、それぞれに表情がある。骨董の世界ではヘタリは面白みの内だが伝統工芸では、ヘタリは作品として受け入れられない。
杉江氏の工房に並ぶそれらの壺に目を付けたのは北村さんの眼力であり、それを用いてアメリカの三輪車と共に自分の作品にしてしまう所がいかにもタダモノではない。


さてさて、この古びた三輪車とひび割れ、へたれた大壺という取り合わせの何と侘びたことよ、と思わせるのであった。インスタレーションといえば、いかにも目新しいことのように思わせるものの、これは作庭と変わらないのだと思ふ。
 
常滑市民俗資料館




野点の茶席にあしらってみても違和感なく受け入れられる作品になっていると思うのだった。  往復書簡    


東さんの抽象作品について
「侘びさび」その他
no.3 補足の返信
「侘びさび」no.3 補足
「侘びさび」no.3
 「侘びさび」no.2
「侘びさび」


















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池や築山や松や楓や石、東屋などなどの取り合わせが庭になる。その取り合わせの妙味に味わいの深さが加わるということになる。その妙味に錆びた三輪車をチョイスするあたりに21世紀の日本があるということになろうか。


そうして、錆びた三輪車に美を見るのはなぜ。「悉有仏性」という言葉が脳裏を離れないのだ。今日の我々に仏性は美とイコールではないのだが。仏性を造物主とでも見れば納得がいくのかもしれない。


そして、その造物主としての仏性にアジア的で中国でも禅家の好みが、日本の強く偏る傾向は、繰り返しになるが八百万の神々の土壌が存在したからということになろかと。