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2009 --2017
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先週、この29日にある修士論文の中間発表にあたるプレゼンに向け、僕の所属するゼミでプチ・プレゼンをした。タイトルは「地域資源としての知的障害者アートの可能性-養父市社会福祉法人さつき会とNPO法人『がっせぇアート』の試み」。

大きく外した;;

いつも、熱心に耳を傾けてくれていた同じゼミの研究生も、あくびを我慢するほど皆さんの反応は??といったもの。(反省)

「地域資源」という概念を「人、および人と人の関係性・協働性」にまで拡張するために引用したテキストが「マルクス主義フェニミズム論」と「人的資源管理論」という、これまた馴染みのないものだったことに加え、現代美術のイロハを常識として持っていることを前提に話を進めたことも皆さんの興味をひくことができなかった要因だ。

「大地の芸術祭」より
よくよく考えてみると、どの位の家に本物の絵画が飾られているのか.........普通に考えて、せいぜい風景写真のカレンダーやポスターが部屋の壁に貼ってあれば御の字で、現代美術とは遠く離れて生活しているのが日本人の一般的な生活スタイルだ。

40年以上、工芸や美術畑で生きてくると、現代美術のムーブメントは常識として押さえておかないと話にならない。なので、自分としては極々当たり前の心象風景なのだが、このことと特別美術に関心のない普通の生活をしている人々の心象風景を、きちんと棲み分けないと今回の様なポカをおかしてしまう。

「大地の芸術祭」より
ただ、知的障害者アートを理解するうえで現代美術の流れはある程度理解しておいた方が、その魅力に深く迫れる。美術一般に興味のない人に、現代美術や知的障害者アートの魅力を伝えるのは、かなりの工夫と丁寧な説明がなければならないことに気付いたという点では、今回のプレゼンは意味があったと言える。美術に馴染みがないのが普通の人々だということは、今後に向けて大事なポイント。

そうはいっても、ここ最近のアートフェスタの盛況振りは何を意味しているのだろう......。今後の修論の中間発表に向けて、現在多くのアートプロジェクトの論文や資料を書籍やネットで検索しているが、全国で企画されているアート・フェスの数たるや200を超えると言われている。これは、美術の素養や現代美術のコンテキストなどと関係なく、地方に呼ばれた作家とその作品に、美術品として関わるのではなく、ひとつのイベントとして関わることが「本来のアート」を体験する定番になっているということなのだろう。











「大地の芸術祭」より
つまり、アートが、ただ単に鑑賞する対象から、体験するものへ様変わりしているということだ。僕らの生活が、様々なコミュニケーションのレベルで双方向性になっていることが、すでに無意識のレベルまで降りてきているということともいえる。なので、それが常識かどうかを問うということではなく、すでにアートを仕掛ける側が、そういった常識の上で企画をし、人々を動員しているという事実があるということを理解するべきなのだろう。

これは、美術に関係する人間と、関係せずにいる、その知識を持たない人々との乖離を意味しないのか.......。

一つ言えるのは、過去において、その時代の美術やデザインを牽引してきたのは、当時の祭祀に使われたであろうファイン・アート(絵画)であった可能性は高いが、何も絵画の様なファインアートだけではなかったはずだ。その証拠に、考古学での時代測定に、出土したものの科学的なデータ分析と並んで、器物ならデザインから時代を割り出す手法は常識だからだ。その意味でその時代のコンテンポラリーな「美」は、最も一般的に普及している陶器などの器物などを通して波及してゆくと考えるのは整合性がある。






「大地の芸術祭」より
今でいえば、スマホのデザインや車のデザイン、そして身の回りの様々なアイテムから、僕らはコンテンポラリーなデザイン(美の基準)を感受している。そのことは、何も現代美術をことさら学ばなくても、各地で催されているアート・フェスタに出掛ける人々が、普段の生活の中で、既にその審美眼をインストール済みということになる。

そう考えないと、各アート・フェスのここまでの盛況振りは理解できない。