金 沢 |
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修士論文の中間発表を何とかこなし、その足で速攻「第三回金沢卯辰山工芸工房実践講座」へ。 自分が学生の身だということをすっかり忘れていたが、今回は、初めて学割を申請してみた。何と二割も割安になる。二年半も学生をやっていたのに生きる知恵がないな~と反省(ずっと、余裕なく一杯一杯で生きてきました;;;)。特急を使って京都廻りで行っても、裏日本を在来線を使って行っても時間は変わらず、運賃は二割ほど安く収まるので、のんびりと舞鶴ー福井ー金沢という路線で金沢へ。 |
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毎回、前日のディナーは、金沢クラフトビジネス機構の重鎮を交えての招待を受けご馳走になる。今回は、市内の町屋をリニューアルしたオープン間もないスペイン料理店。金沢出身の若い三人のシェフ(中学の同級生とか。。)が地元のTV局の取材を受けていた。引き続き金沢は旬であり続けている(いいなぁ)。 前菜から始まって、ほとんどがシャーベット状の触感。そう今は夏でした。修論のプレゼンの余韻を引きずったままこの地に着いたので、季節を肌で感じる感覚が麻痺してます。 |
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その日は、山田節子さんの誕生日 |
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偶然にもこの日は、この講座のファシリテーターである山田さんの誕生日で、レストランからの粋な計らい。74歳とは驚きです。大阪万博の仕事が最初で、その後松屋銀座での「川喜田半泥子展」、「白洲正子展」、「古九谷の再興吉田屋展」等々の企画は、今も記憶に新しい。 僕が、未だ現代美術にはまっていて、それほど工芸に本気で取り組んでいなかったころ(三十歳?)朝日新聞日曜版の見開き全面に川喜田半泥子の茶碗が紹介されていた……「何これ!」 |
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粉引茶碗 『雪の曙』 |
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この茶碗の画像は、20年ほど前、当時デジカメが出たばかりで200万画素で10万円を超える頃、5万円台で CASIO が QV-2000 という名機を出し(今でも使える)それで撮ったもの。F1.2というレンズの明るさは、今のように手振れ補正など全く不要な優れものだった。 元画像は、尊敬する大工牧野が「東さん、蚊帳いる?」と聞いてきたので「ちょうだい!」と返事をしたら、何と川喜田半泥子さんのお孫さんの家のリニューアルをしていて「祖父が使っていた蚊帳です」ということで僕に連絡をくれたという訳です。その時、僕が大ファンだと伝えたら、じゃっということで門外不出の関係者にしか配らなかったという画集もお貸しくださり、その時のものです。 CASIO は凄い!この作品の初々しさが全く損なわずに伝わってきます。 そして、半泥子は、僕の工芸観を根底からひっくり返した。工芸も現代美術も、すげーもんはすげーんだ!と素直に認めた瞬間です。 |
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今回の講座は、参加者全員が半製品の碗の試作品を持ち寄っての品評会に近いです。時代が時代だからでしょうか、概してみなさん大人しいです。 僕が作家としてデビューした頃は、日本はまさに右肩上がりのイケイケドンドンの時代。舞台を渋谷から六本木に移したこともあって、攻めに攻めていました。AXIS ビルにあったということもあって、当時新参者であったSAVOIR VIVREもやたら尖がっていたように記憶してます。僕はといえば水を得た魚のように、何とも自由で伸び伸びと好き勝手にさせて頂きました(今も変わりませんが;;;)。 |
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まだまだ抑えていた頃の作品............ 1985? |
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そんな僕の作家としての出自から観た今の風景は、先が見えないこともあって皆さんリスクヘッジが効きすぎて破天荒なものは少ないかなと。各人、卯辰山工芸工房から給与が出ているはずなので、もう少し冒険しても良いのではと正直思いますが............。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ガラスの質感は漆では出ないのでちょっぴり羨ましいです |
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そんな中で陶芸家の赤地さんは、素直に僕の初回の講義に沿って制作を進めて下さり、ちょっとびっくりする詩作を提案してくれました。 何と骸骨紋です、以下↓。 |
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白地に銀は、とてもシックで柄がキッチュなのにもかかわらず品がよくパッと見骸骨とは思えません。「何で骸骨なんですか?」と聞いたところ、初回の講義で「死を含む作品を意識することは、作品に深さを加える…」とか何とか言ったようで、そのことを忠実に応えた作品ということでした。とても嬉しかったのですが、僕自身そんなこと言ったっけ・・・とすっかり忘れていました;;; まっ、僕にとって普段から「死」を含まない生き方は貧しいと、大して意識することなく、そう思っているので 、特別な思いもなく口にしたことだと思います。それが証拠に僕自身この日持ち寄った椀は、「中也詩椀」でした。「春と赤ン坊」に続く「雲雀」の最終句 菜の花畑で風に吹かれて 眠つてゐるのは赤ン坊だ? 長谷川泰子を失ったことの傷も癒えない中、全てを諦めて「生活世界」を選択して得た息子文也の死を予感していたかのような詩だ。「悲しみ」などという感情をとっくに突き抜けた境地。まるで他界から詠んだような詩だ。 |
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ところで「WIRED」という雑誌をご存知でしょうか。ちょっと前に出た号でタイトルはFUTURE OF DEATH死の未来 『WIRED』VOL.14の特集は「死の未来」。最先端のサイエンスとテクノロジーが、わたしたちの「生と死」を更新しようとしている。量子の世界やアーバンプランニングにおける「死」、ちゃんと悼むためのスタートアップなど、これからの「死」を考える。 |
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DEMOCRATIZING DEATH 死を民主化せよ コロンビア大学院建築学部DeathLabの挑戦 人口がより集中し、無宗教の人々が増えているいま、都市においていかに「死」を組み込むかは、アーバンプランニングにおける重要な課題となりつつある。都市生活におけるライフ・サイクル、ライフ・デザインのなかに「死」を民主的に取り戻すこと。それが20 1 3 年に創設された「デスラボ」のミッションだ。 こんな素晴らしい雑誌が、ちょっと古くなっただけで1円で買えてしまう。昨日も中原中也の恋人だった長谷川泰子を検索していたら彼女の出した「ゆきてかへらぬ―中原中也との愛」に行き当たり、これも Amazon で1円だ。いいのかな~と思うが、これも古書店と Amazon との継続性を考慮した契約故のことなのだろう。こちらとしては助かる。何よりも、その価値を分かるものには捨てがたい資料だ。 |
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by 藤野(藤野ワールドがありますね~。つまらない空気を読まないところが良いです!) |
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ということで、この講座の参加者による発表は10月25日から「銀座の金沢」で開催されます。ギャラリーのスペースは申し分ないようですが、何せ新参者で知名度は今一だそうで、もし良かったら銀座にお出掛けの折はお寄り頂ければと願っております。 僕は、ここぞという時にと取っておいた直径一尺近くある大椀に蕪を彫って出します(もちろんそれだけでなく 「落書きBann」 や古文字椀を数点出品します)。 では、秋にお会い出来たらと願っております。 |
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