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今年ほど「老い」に向き合った、というか向き合わざる得なかった年はなかった。特に年も押し迫ってから。二月で後期高齢者になった訳なので当たり前と言えば当たり前なんですが。。

↑の画像は、2009年に出版された故吉本隆明の老いに関するエッセイの表紙です。左下の杖をついているご老人が晩年の吉本さん。この全くのご老体の姿の画像を見た時のショックは今でも鮮明に覚えている。僕にとっての吉本さんのイメージは↓↓のコムデギャルソンに身をまとった頃の吉本さんで、いつも戦闘的で嘘偽りのない厳しく若々しい佇まいそのものだった。
 
  この老いのイメージのギャップを、今年は自分自身に感じた次第です。

とにかく今年は中身が濃かった一年でした。 三月の心臓カテーテル施術から始まって、その直後、反則勇み足気味にサッカー復帰。五月始め埼玉スタジアムでの招待試合。続いて那須でのGリーグ戦と、矢継早にサッカーの行事をこなした。この間11月に控えた15年振りの六本木AXIS courage de vivre での個展の準備…と疾風怒濤の勢いで過ごした。 ちょっとオーバーワーク気味だったのは否めないかな。。

6年のブランクがあったので、15年前に神奈川県リーグで受けたハールでの腰椎狭窄症が再発し、腰から右足にかけて麻痺と痺れが出て時々ボールじゃなくて芝と地面を蹴ったのもしばしば💦 想像以上にボールは飛ばないしリフティングは100回がやっとって嘘だろって言う感じ。数年前はテニスの合間に冷やかしでリフティングをしても200回は楽で、頑張れば500回も超えていた。 おまけに整形外科でリハビリを受けた際に療法士から伝えられた「東さん、身体硬いですね」に驚いた。ずっと、自分は身体が柔らかいと感じていた。特に股関節が硬いらしく、ここの柔軟性を増せば蹴り足の可動域が広がってボールも飛ぶようになるはずだと指摘されて忠実にストレッチを繰り返した。
 
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  4月から蹴り始めて結果が出てきたのが夏。練習は嘘をつかない。本当だなぁと。 同時に麻痺や痺れも強くなってきてボールをまともに蹴れている実感が持てないまま個展が近づいて来て中断。
 個展終了後は、意外にも身体を休めたことが幸いしてか痺れが全くなくなり、これは若しや!といつもの公園へ試し蹴りに。思った通りボールはいつもより遠くまで飛んだ♬ ただ、筋力が落ちたのか徐々に飛距離は落ちて行った。ここは思案のしどころで、パフォーマンスが落ちたのは、筋トレができなかったからなのか、さもなければ加齢による自然減なのか、はたまた怪我が進行したからなのか…最悪、そのいずれも重なったものなのか。。

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ちょっと暗くなって来たのでサッカーネタから離れて。。

そう、今年は悪いことばかりではなく、15年振りの六本木courage de vivreでの個展は、ちょっと意外なことばかりで、結論から言えば色々な意味で大成功でした。  先ず、自分がやりたかったことがすんなりと受け入れられたこと。これはsavoir vivre の頃からそうだったとも言えるのですが、特に今回は、オブジェや絵画というか平面作品が好評だったことが一際嬉しかった。全て、こちらの意図を理解して下さって買われた方々ばかりだったので尚更だ。こんな日が来るとは…。

今日ポストに、↓の作品 『白亜紀の森が届けてくれたもの』をお求めくださった元アメリカンクラブ館長の奥様 T・Jさんからアメリカタイプの年賀状が届いていた。家族写真の欄外にコメントが添えてあって、そこには「久し振りに東様の作品に出会えて幸せでした。手に入れた作品は、私の机の横の壁にかざっています!」とあった。作品をお買い上げ下さって、尚且つ「幸せです」と言われたのは生まれて初めてのことで、このお言葉、作家冥利に尽きます。

『白亜紀の森が届けてくれたもの』








post card
  courage de vivre のオープンで初めてギャラリーのファンになられた方は、僕の作風には馴染みがないのではと思えたので、主役は僕らしい、つまり鎌倉彫に出自があることを前面に出した彫りの入ったものに力を入れた。その点が評価されたことも大きかった。 そして、何より15年のブランクがあったにも関わらず、昔からのファンでいて下さった方々がギャラリーにいらして下さったこと。このことは何にも増して嬉しかった。50年間、色々あったけれども、この仕事を続けて来たことは間違いではなかったなぁと。  
 
shishi-botan 彫椀

  たった今大晦日に入った。月並みだけれど、ほんと一年が早い。そして、歳をとった。

冒頭で吉本さんのご老体に触れましたが、先程ゴソゴソと押し入れを漁ったら老いに関しての吉本さんの著作が「老いの超え方」、「老いの流儀」等、老いだけを扱ったもので計五冊あった。探せばもっと見つかるかもしれない。コロナ禍が始まって自作の本棚を作りそびれてしまい、結局本は段ボールに入ったまま押し入れが書庫になっている。春に本を整理したので残っているのは吉本さんの本と殷墟文字、古文書に関しての本が主なものになる。美術書は段ボール六箱京都に転居した姪っ子に送った。

・・・で、僕の「老い」の測り方は分かり易くて、それはサッカーのパフォーマンスの質と強度がバロメーターだ。。これが上がれば勇気百倍だが、下がればかなり凹む。先日は、思いの外キックの飛距離が伸びたので未だ未だ行けるじゃん!ってなったし、今日はボールの空気圧を高めに入れ過ぎて、からっきし飛ばず凹んだ。多分単に空気圧を間違えただけなのに。。
 
   
  ・・・で、吉本さんの「老いの幸福論」には、こう書いてある・・・

「こきざみの幸福に気づく」・・・ちいさく刻んで考える
 ・・・つらいとか苦しいとか、あるいは今日は調子がいいとか、いいことがあったとかいう、禍福といいましょうか、幸・不幸といいましょうか、それを長い周期で考えないようにすることです。
 年をとればとるほど、例えばいま、これを食ったらうまくてうまくて、いい気持ちになった、とかいったら、それはいまとにかく幸福なんである、というふうに考えるようにしています。
 幸・不幸がある時期は続いて、ある時期はそれから脱出したとかいいながら若いときは生きていたんですけど、そういうふうに思わないことです。つまり、幸・不幸とか、禍とか、あるいは嬉しいとか、気分がいいとかよくないという期間、周期みたいなものを、その都度、瞬間瞬間に縮めちゃうということが、唯一の救いの様な気がしますね。


そう、まさに二・三日前の自分がそうだった。あれだけ調子よくキック出来たのに、何で今日は飛ばないんだろう・・・とか悶々としていた。膝も痛てぇし腰もだるいしどうしようもねぇなぁ、と。これ悪くなることはあっても良くなることはない!と理解した方がストレスを抱えないで済むことを今年知った。
 
   
  ・・・つらいこともそんなにずっと続くもんじゃない。それから、いいことも続くもんじゃないぞと考えるわけです。
 要するに、あとはもう死だけだと考えて、他にいいことなんか何もないよ、体もあんまり動かないし、というふうに考えるのがなぜ不都合かというと、先を考えすぎているからです。
 現実の身体の死なんて、明日死ぬというときになったら考えればいいのに、前からそんなこと考えてもしょうがないじゃないかと思います。つまり哲学や宗教の死になってしまって、現実の死とは別次元に移ってしまうからです。

・・・・幸・不幸とかも、長く大きくとらないで、短く、小さなことでも、一日の中でも移り変わりがあるんだよと小刻みにとらえて、大きな幸せとか大きな不幸というふうには考えない。小さなことだって、幸・不幸はいつでも体験してるんだ、と考える。そういうふうに大きさを切り刻むということ、時間を細かく刻んで、その都度いい気分だったら幸福だと想い、悪い気分だったら不幸だと思う。そんなふうに刻んでいくことが、僕の場合はある程度実感にかなっていることで、それしか僕は思いつかないですね。
 
 
作:イバタカツエ
 
  吉本さんが「老いの幸福論」を書いたのが76歳というから丁度僕と同じ年になる(僕も年が明けて2月の11日で満76歳)。なので心境が全く重なり良く分かってしまう。凹んでいるときに深刻に思い悩むのはナンセンスと最近になって気づいた。考えたところで何も問題はかたずかない。練習もさっさと切り上げて次の機会をうかがうモードが最近習得した極意。

仕事に関しては、あまりこういった凹みはない。伝統工芸とは長い積み重ねでやっと習得できる技なのと、スポーツと違って強い筋力とか瞬発力とかのフィジカルを必要としない。ただ根気というか集中力の持続性は明らかに落ちている。けれども、作家っていうか僕の場合だが、エネルギーを若いとき並みに必要とする表現は失敗するので自然と無理のない表現を選びとっているような気がする。その意味で「再現性=リアルさ」より味やバランスを面白がっている様だ。
 
   
  今日パラパラと、吉本さんが75歳の頃の著作「老いの現在進行形」に目を通していたら、確か2000年に伊豆の土肥海岸で溺れた後遺症と糖尿病の合併で、杖を突かずに歩行するのが300mで、それ以上はふらついて無理だったと話していたのに驚いた。僕は、右脚や腰の痺れや麻痺はあるものの、この歳までサッカーが出来ていることに満足というか感謝しなければ罰があたるというもの。

何だか吉本さんの不幸の上に乗っかって己の幸福を感じてしまうことに若干申し訳ない気がする。ただ事実なので。でも、そう遠くない時期に吉本さんと同じように、杖や紙おむつ、ホカロン、拡大鏡等々が離せない時が確実にやって来るのも事実。己がしたいことが出来るうちに深く味わっておこうと思う。
 
 
お気に入りの中国製万年筆






筆の様に強弱が出るペン先
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ということで、新年に向けての意気込みというか覚悟は、麻痺と折り合いを付けて、何れ来る走れなくなるその日までボールを蹴り続けよう!でした。

おっと仕事のことにも触れないと。。実は、創りたいものは山ほどあってアイデアも今まで同様溢れ出てくるので、サッカーのパフォーマンスの様に案じていません。

今回アップした画像は、今年手に入れたお気に入りの器や万年筆たちでした。

あと30分ほどで充実した2025年もおわります。来年は動乱と革新の歳である丙午。ということは身体が資本。皆様におかれましては、新年が健やかで幸多き年でありますよう願っております。

では、良いお年を!!