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源氏物語、吾妻鏡、と来て辿り着いたのが「古事記」。

僕らの世代は、戦後民主主義教育を授けて育ったので、先の戦争に一役買った日本神話にはアレルギーがあり無意識に避けてきた。ところが、源氏物語、吾妻鏡と読み進めるうちに、どうしても腑に落ちない展開が気になり行き着くところが吉本隆明の「共同幻想論」。 源氏物語では対幻想、吾妻鏡では共同幻想を照らし合わせて読まないと、そこに流れている物語の意図が掴めないのだ。

そしてこの「共同幻想論」は古事記を紐解くことで国家や家族=男女の恋愛(性愛)の起源や人間の無意識に迫る内容になっている。
 
  源氏物語や吾妻鏡も全体の内容を概略知ったほうが理解が早いので、ここは先ず動画を観る。その流れで古事記を観てみると、これが無茶苦茶おもろい。

繰り返し観ているのが山本哲士の「古事記と共同幻想論」
 
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  もう目から鱗の連続で、なぜ今まで古事記を読んで来なかったんだろうと悔いる毎日(ちょっと大袈裟💦)

で、正直この動画だけだと「共同幻想論」を深く理解していないと、古事記のどこが対応しているのか符合せずちんぷんかんぷんになるので、先ずは古事記の動画を何点かあたってみた。中でも図抜けて面白かったのがお笑いタレントの中田敦彦。彼が500万の登録者をもつユーチューバーであることは知っていたけれど何だかなぁ・・・と、まっ馬鹿にしてたんですね(反省 <m(__)m>)。滅茶分かり易いです。今のお笑いタレントって皆超優秀ですから納得です。
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山本哲士によると、古事記に出てくる神々は何と580柱を超えるという。この神々の物語を読み解くには・・・

例えば兎やら鰐やら蛇やら猪や蜂とかが出て来るが、主人公側の神々はこれらすべを「神」として扱っている。その訳は、恐らく古事記編纂当時の作者たちに原始感覚としてのトーテミズムが残っていたと考えられ、ここで言う動物、昆虫等はすべて各地に点在していた豪族のメタファーであり、その豪族なり各部族には守護神がそれぞれあって、主人公である今の天皇家にあたる「あまづくり」=国生みの神々は、これら豪族すべての守護神を神として扱い敬っている。山本氏曰く、ここが千年以上天皇家が絶えなかった肝だということ。
 

因幡の白兎と鰐


八咫烏


八岐大蛇..... ドラクエ
  これらの動物達をもって八百万の神とするのは間違いだと山本氏は言う。しかし、僕が思うに、これら動物たちが八百万の神々ではなく、それらをメタファーとして扱った姿勢そのもののが、八百万の神々を生む精神性としてみることが出来るのではと・・・・。

山本氏曰く、日本の古事記を専門に扱う識者は、詳細事例を引いて古事記を紐解いてはいるが、すべて吉本さんの共同幻想論を無視しているので、その解釈が頓珍漢だと。

・・・で、じゃあここで共同幻想論なるものを分かり易く紹介するなどと無謀なことは出来ません💦 でも、それでは寂しいので、ちょっとだけトライしてみると・・・
 
  ちょっと前に紹介した宇田亮一さんの<『共同幻想論』の読み方>にフロイドと吉本隆明の「男女の定義」が紹介されていて面白かったので紹介すると・・・。

フロイドは「女性とは生誕の最初の拘束対象が同性(母親)であったもの、男性とは生誕の最初の拘束対象が異性(母親)であったもの」と定義。

吉本さんは、このフロイドの定義を踏まえて「女性が最初の対幻想の対象である同性(母親)の拘束から逃れようとすれば、女性は対幻想の対象として男性を選ぶか、共同幻想を選ぶか、個人幻想を選ぶか、その何れかを選択することになる。これに対して男性は、最初の対幻想の対象が異性(母親)であったため、そもそも対幻想の対象から逃れようとする契機そのものが存在しない」と定義している。(巫女さんは、共同幻想を対幻想にした女性ということになる。なので巫女さんは女性しかなれません)。

このフレーズを紹介するのは三度目なんですが、共同幻想論が分かり易くなったとは思えないので💦 もっと砕けた話をすると・・・

 
   
  僕が中学一年生の頃「おかま」(おねえ)だった同級生が二人いた。確か土屋君って名だったか。。同級生は彼ら?彼女らをしょっちゅうカマって(これダジャレ?)いじっていた。御多分に漏れず、僕も彼女らをカマっていたけれども「いや~ん」と軽くいなされて、これが何とも柔らかでいい感じなのだ。つまり空気が不思議と和らぐのです。ただ、実際のところ彼女達は結構辛かったようで一人は転校、もう一人は不登校になったのか卒業時には二人の姿はなかったように記憶している。



 




 
  何が言いたいのかというと、ジェンダーとしての女性は、乳幼児期に男としての母(男の役割=父性を担う母)との関係で獲得した三つの幻想領域、つまり、共同幻想、対幻想(恋愛関係になろうとするこころ)、自己幻想をもつということ。例えば、山本氏が言うように、企業の商談の際、双方男同士だと会社という共同幻想同士(Aという会社の連帯意識とBという会社の連帯意識)のやり取りとなって尖がった空気になりがちだが、ここに女性が加わると、女性は対幻想(A社やB社への恋愛感情)をもって対応できるので空気が和らいで尖がらずに済み商談も好い感じになると。。

きっと中学当時の土屋君は、乳幼児のどこかの時点でこの女性性を獲得したのだろう。TVに「おねえ」が出て番組を上手く塩梅できるのも、おかまバーが繁盛するのも、そういった事情に違いない。
 
 
 
  吾妻鏡の読み始めに感じたのは、何ともよくもまあ人をこうも殺すものだなと。。これって戦国時代に突入する前だからなのか・・・と、中世独自の有り様なのかと勝手に思っていたところ、あに図らんや古事記の時代(712年以前)でも「~の(みこと)を瓜のように切り刻む」・・・といったシーンが頻繁に出てくる。中世同様、親子、兄弟、夫婦の区別なく、人を殺めることに何の抵抗もなくサクッと書かれていることに人って終わってるなぁと。

今という時代は、古代の日本神話を読むと同時に、一方でミトコンドリアDNAの解析によって科学的に日本の歴史を知ることが出来る。そもそも日本人とはなんぞや・・・と問うと、今から5~6万年前に人類の祖先はアフリカを出て世界各地に散らばった。日本列島に行き着いたのが今から3万年前ほど。その時点で既に住み着いていた縄文人以前の人々と縄文人は混交して、やがて縄文時代を形成する。
 
   




三内丸山遺跡 「大型掘立柱建物跡」(復元)(「世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群」のホームページより)
 
  科学博物館の最新の情報によると、3000年前稲作を持って中国大陸→朝鮮半島から日本に入ってきた弥生人は、同時により高度な武器や農具を携え、当然戦の戦術も持ち込んだだろうと。僕は以前、弥生人は資質として好戦的だった訳ではなく、農耕によって富が蓄積され偏ることによって経済格差が生まれ、結果紛争が生まれ戦が絶えなかったと考えていたが、科学博物館の篠田 謙一館長によると、弥生人は稲作と戦を同時に持ち込んだと論述していたので僕の弥生人のイメージは大きく変わった。

古事記には、これを裏付ける挿話がある。世界各地のどの神話にも共通して天地創造があるが、日本の古事記では先ず、国生みの二神イザナミ、イザナギによって日本列島を創生し、続いて多くの神々を生んだ。イザナミが最初に生んだ神は蛭子(ヒルコ)といって身体が蛭のようにグニャグニャした今で言ったら身体障害児だったため葦舟に乗せて海に流されてしまう。ここが重要で、「縄文時代について」で述べたように縄文時代の人々は、子供に障害があったとしても家族や集落全体で生活を共にし「間引く」こともなく皆天寿を全うさせている。葦舟に乗せて海に流すという発想は、弥生時代に入ってからで、すべての命は等価だった縄文時代とは大きく異なる。
 
   
吉野ヶ里遺跡


銅鐸
 
  この蛭子、後に(室町時代より)民間信仰となって一般の庶民から慕われ恵比寿(蛭子)様と呼ばれ七福神の中にあって唯一の日本に出自をもつ神となった。何故、それは中世において縄文人が占める人口比は今より(僕らのDNA比率は弥生人90%、縄文人10%)多く、日本人の無意識には縄文人の精神性が色濃く残っていたからに違いない。

弥生人が、中国大陸、朝鮮半島を経て日本に入ってきたとき(南回り、つまり中国大陸の南海岸側から入ってきたとされる説もある)、そこには既に縄文人が住んでいた訳で、想像するに小さないざこざはあったろうが、狩猟採集民だった縄文人に「人」を大量に殺めるという発想そのものが無かっただろうから、畢竟縄文人は弥生人と多くは同化しただろうけれども北と南に追いやられ淘汰されたと思える。アイヌや沖縄に縄文人のDNAをもつ人が多いというのもそういった事情だろう。
 
 
アイヌ


縄文火焔型土器
 
以前から思っていたのですが、アイヌの人々が纏う服の唐草文様の様な柄と縄文の火焔型土器のデザインに共通性があるのではと。。

あまり縄文人を理想化するのも問題ですが、それにしても古事記に出てくる神々は親兄弟の分別なくよく人を殺す。ヤマトタケルノミコト(日本武尊)などは、そのサイコパスなところをかわれて?熊襲(くまそ)の豪族を討つため、16才で美男だったこともあって女装し酒宴の席に紛れ込み酒を酌む振りをして豪族兄弟を刺殺している。そこまでするかぁとも思うが、考え様によっては人間臭いとも言える・・・かなぁ。。これ、物語として読むと滅茶苦茶面白いのですが、多分現実はもっと残酷凄惨だっただろうから複雑だ。

思うに殷墟文字を作品に取り上げて随分経つが、そこで気付いたことに結構残酷な語源が多いということ。例えば「道」だが、この字他所のテリトリーに入る際、未だ知らぬ地の邪気を祓うためにその地の酋長の首を狩り、それを下げて除道しつつ進むの意。「民」とは奴隷が逃げないよう、その目を針でで突き刺している様。そして「童」とは受刑者つまり奴隷で目の上に刑罰として入れ墨を入れられ労役に付き、その際労働歌を歌うが、それを元は童謡と言った。
 
「童」(20年程前に書いた殷墟文字・・・吾ながらなかなか良く書けているかな
 
  残酷なものは概ね大陸から来た・・・・とするのも大人気ないのでこれくらいにするが、人って元来サイコパスなのかも知れない。古事記を読んでの到達点がこれかよってなるが、家康が「吾妻鏡」を愛読したのも、人が元来謀略を謀ったり裏切ったりするのも常であると己に戒めていたのだろうし、古事記に出てくる神々が、善い意味で人間臭い、別の意味で非道なのもこの世の映し鏡と理解するべきなのかも知れないなぁと。

何だか身も蓋もない結びとなりましたが、お仕舞に山本哲士が言うように、古事記のもつポテンシャルは想像を超えて大きく、共同幻想論をもってその解析を深めれば世界の神話のもつ意味も価値も更に大きく深められるだろうと。加えて、「天津神」、「国津神」の二本柱の神の概念を創生した今の天皇家の祖らは見事で、この二つの概念を精神的な軸として日本は回ってきたので、この事実をしっかり内省化しコンテンポラリーな天津神とは何なのかを創案しつつ、国家に換わる新たな共同幻想を思考し続けることで未来が見えてくると。

ということで、引き続き古事記と寄り添う日々となりそうです。

では、では。
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