縄文時代について(1)
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今回は「縄文時代」のお話です。(この記事は、以前高校のクラスのHP用に起こしたものです)。

『縄文時代について(1)』としたのは、縄文時代に流れていた人々の振る舞い、そして、その生き方が崇高とも言えることから、話を無限に続けても尽きない予感がするためです。

みなさんが「縄文時代」と聞いたときに最初にイメージするのは、上の画像にある様なエネルギッシュな土器ではないでしょうか。ある意味、生きることが難しいというか、生活を保全し維持してゆくことが大変な時代でもあったので、常に心身ともに活性化し続けなければならなかったことの象徴として、このデザインがあった様に考えられます。

実際、縄文人の平均寿命は30歳そこそこと言われています。ただし、今と大分事情が違っていて出産が想像を超えて難しかったことから、流産や早産に拠る母子の死や、無事に出産が済んだ後に亡くなる場合も多かったことが遺跡の調査等で知られています。
 
地底の森ミュージアム
  宮城県仙台に、2万年前の旧石器時代の植生を復元する「氷河期の森」を一体的に現地で保存し公開展示をしている『地底の森ミュージアム』があります。当館の『葬(おくり)の考古学』という冊子によると、県内で発掘された縄文時代の墓地には、おびただしい数の嬰児や乳児の遺骨が丁寧に作られた骨壷に収められ埋葬されていたとあります。

「出産は宇宙遊泳より難しい」とは、僕らが10代の頃の米ソ冷戦期に盛んだった宇宙開発競争の最中に言われた例えです。縄文時代では、「死」は日常でもあったので、それは後の弥生時代のように「穢れ」として忌み嫌うものではなく、「生」と「死」は背中合わせの事象で、日常の中で自然に浮遊するものでもありました。したがって、墓地は集落の中央に造られ(環状列石)日々の生活の中に溶け込んでいました。
 
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大湯川左岸の台地に営まれた縄文時代後期の大規模な祭祀遺跡(環状列石)
  特筆すべきは、大方家族単位で埋葬されている墓地に、想像を超える数の障害者(骨の奇形等)の遺骨が発見されることです。調査をすると、この遺骨は、概ね当時の平均寿命(30歳)に達しており、ほぼ天寿を全うしていたことになります。つまり、家族や集落の負担になるという理由から間引いたりせず、おそらく集落全体でサポートされ共同生活を送っていたと考えられます。

ところで、みなさんは縄文人というと先ほど紹介した土器を先ず思い起こされると思いますが、実は、縄文人が漆を多用し、多くの優れた生活用具を作っていたことはご存知でしょうか。20年ほど前は、世界で最古の漆でできたものは7000年前の中国のものとされていましたが、15年ほど前に9000年前のものが日本で発見され、更に10年程前に福井県の鳥浜貝塚で12600年前の漆加工物が見つかっています。

そして、当時から彼らは貴重な漆を管理育てていたことや精製していたことも分かってきています。そもそも漆そのものは、あまり扱いやすいものではありませんが、当時は、塗料として塗布するばかりではなく、強度な接着力をもつ樹脂として「ウルシ」を活用していました。漆の発見と、その活用は、彼らの生活をとても豊かなものにしたに違いありません

漆で加工されたポシェット(三内丸山遺跡)
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イグサ科の植物で編まれ漆加工された、大きさ約13センチメ-トルの小ぶりでモダンなポシェット
その中に割れたクルミが1個入ったまま三内丸山遺跡で発見されたそうです。 
 
 
北海道・北東北の縄文遺跡群
  2021年5月26日「北海道・北東北の縄文遺跡群」について、ユネスコの諮問機関は世界遺産への登録がふさわしいとする勧告をまとめました。

ユネスコの諮問機関は「先史時代の農耕を伴わない定住社会と複雑な精神文化、定住社会の発展段階や環境変化への適応を示している」と評価した。(日本経済新聞)

世界遺産でも珍しい縄文遺跡のすごさとは
Q 縄文文化って何がすごいの?

 2021年現在、世界遺産として登録されている文化遺産のうち、今回、登録勧告された縄文遺跡群のように営まれた期間が長いものは珍しい。東北芸術工科大学准教授の青野友哉さんは「狩猟採集民イヌイットの文化として世界遺産に登録されたデンマークのアーシヴィスイト・ニピサットにしても、その継続期間は紀元前4200年ごろから現代までの約6200年間に過ぎない」と話す。

 もう一つ注目されるのは、狩猟採集を基盤としていたにもかかわらず、基本的に定住生活をしていたことだ。アーシヴィスト・ニピサットでも夏と冬とでは居住地を変えているし、狩猟採集民の場合、狩りの獲物がとれなくなれば拠点となる住まいを動かすといったことは珍しくない。しかし、縄文人は食料を多様な動植物から摂取することで、それらを克服した可能性が高い。「定住することで、縄文人は社会全体の知識を蓄積していった。それが複雑な祭祀や儀礼を持つ文化の発達へとつながった」(青野)
(朝日新聞 DIGITAL)
 
入江貝塚
  縄文時代の特徴の一つとして狩猟採集文化があります。今回の世界遺産登録の決め手になったのは、この狩猟採集文化にも関わらず「定住」という本来なら弥生時代のような農耕による「食の管理」が成立した後に可能な生活形態を、既にこの時代に先取りしていた点です。その事によって、何が可能となったか....... それは、少し前でも触れたように、ハンディーをもつ人間を包摂する文化が成立したということに尽きます。

上の画像にある「入江貝塚」は、約3800年前の遺跡で、貝塚や墓などからなる。 入江貝塚は小児まひや筋ジストロフィーなどが原因と考えられる筋萎縮症にかかった人の骨が出土したことで有名だ。この縄文人は成人だったため、動けない人を集落全体で支える仕組みがあったと考えられている。(朝日新聞 DIGITAL)
 
 
介護を受けて成長したとされる縄文時代の人骨。北海道洞爺湖町の入江貝塚で見つかった
(縄文遺跡群世界遺産保存活用協議会提供)
 
  縄文人は、重い障害のある子供を育てていた

国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産に登録される見通しとなった「北海道・北東北の縄文遺跡群」では、筋肉がやせて介護を受けながら成長したとみられる約4千年前の人骨も出土。食料を探して移動するという狩猟・採集生活の従来のイメージとは異なる暮らしぶりが浮かぶ。筋肉がやせる原因となった病気をめぐって新たな説も出ており、縄文人の助け合い精神が改めて脚光を浴びそうだ。

この人骨は縄文遺跡群を構成する集落跡「入江貝塚」(北海道洞爺湖町)で昭和42年ごろに出土。頭の大きさに比べて手足の骨が極端に細いため、ポリオ(小児まひ)にかかったと説明されてきた。

「人類は農耕の開始によって定住した」という歴史の見方があるが、入江貝塚ではイルカやエゾシカといった自然の恵みを年間を通して計画的に確保することで定住。大規模な3つの貝塚とその中に形成された墓のほか、竪穴住居跡も見つかっている。移動生活では介護を受けるのは難しかった可能性がある。

同町教育委員会によると、介護を受けた人骨は頭が細いことから女性とみられていたが、国立科学博物館の研究者による近年のDNA分析で男性と判明。男性に多い難病「筋ジストロフィー」の可能性が指摘されているという。

町教委は解説施設「入江・高砂貝塚館」を今夏にリニューアルオープン。ポリオと筋ジストロフィーの両方の説を紹介する計画だ。

学芸員の沢野慶子さんは「寝たきりの状態になった原因として、考えられる病気の一つがポリオ。DNAを調べた研究者によって男性と判明し、筋ジストロフィーの可能性が高まっているが、いずれも決定的な証拠はない」と話している。(産経新聞)
 
 
入江貝塚出土の土器(縄文前期約5,500年前)
 
  これら各新聞社の記事は、冒頭「縄文時代について書き始めたものの、果たして、みなさんの関心をどの程度惹くものなのか不安だった管理人に勇気を与えてくれるものとなりました。

縄文人恐るべし!

・・・・ つづく
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 「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録される見通しとなったが、栃木県下野市の県埋蔵文化財センターでは今、日本最大級とされる長さ20センチ超×幅15センチの縄文後期の岩版が公開中だ。
 工業団地造成に伴う2016~18年にかけての発掘調査で、同県足利市のあがた駅南遺跡から出土したもの。砂質泥岩製で重さは約570グラムある。一見、三葉虫などのようにも見えるが、上部には目と鼻が表現されており、人ないしは神・精霊などの顔を写したものとみられる。土偶や土版などと同様、呪術的な行為に使われた可能性が高い。
 「土偶、石棒、独鈷石(どっこいし)など、あがた駅南遺跡からは祭祀(さいし)に使われたと考えられる遺物が多く見つかっています。専門に製作していたのかも」と同センター普及資料課の塚本師也課長。
 岩版などを展示する「栃木の遺跡」展は6月20日まで(土曜休み)。栃木県立博物館などへ巡回する。
朝日新聞 DIGITAL
 (編集委員・宮代栄一)
縄文時代について(08/03)  

足利市あがた駅南遺跡から出土した岩版 
  今日(2021年六月)たまたま Yahoo ! 天気予報で見つけたニュースで、「日本最大級とされる長さ20センチ超×幅15センチの縄文後期の岩版が、栃木県下野市の県埋蔵文化財センターにて公開中」とのこと。発掘先は、足利市のあがた駅南遺跡(ニュース元のソースは、6/3日付け朝日新聞 DEGILAT )。足利市は、栃木県で最も多くの古墳を遺すエリアでその数1300基。

50年近くこの世界に居ると、作品(表現されたもの)に対面しただけで造り手の力量は直ぐわかる。上の岩版も、時代を超えて、同じものづくりに関わるものとしての直感で相当レベルが高いことが分かります。
 
デザインと一口に言いますが、これは単なる表層の加飾を意味しません。それは造り手の思想と時代精神が織りなす表現の結果生まれたもの。その意味で「縄文時代」の精神性の高さは遺された遺物の質で察しが付きます。 
 
   
  上の岩偶は、日本民藝館の創館者柳宗悦が「民藝館のすべての収蔵​品とこの岩偶一つと交換してもいい」と言わしめた有名な縄文晩期の岩偶。一見稚拙に見える線刻による装飾の渦巻紋ですが、それは無限に続くエネルギーの象徴でもあります。全体のフォルムは、豊満で力強く、根底に安産を祈念するような願いが込められています。

「芸術性とは何か」と問われれば、それは「生命力」と言えると思います。その意味で「縄文時代」の遺物は頭抜けていて、アートの塊と言っていいいくらい表現力に満ち溢れています。

何故この様な創造性の富んだ表現が可能だったのか.........。

常識的に考えて、人々が思い煩い、お互いが孤立して足を引っ張り合う非生産的な社会に創造性が生まれる余地はありません。
 
     
  そう、ここで思い出されるのは、アメリカインディアンの生き方や、その振る舞いが、縄文人のそれととても良く似ているということです。彼らは、茶色人種といわれ僕ら黄色人種に近いとされます。樺太、シベリア、アラスカ経由でアメリカ大陸にたどり着いたということもあったのかも知れません。

基本狩猟民ですから、自然の中で節度を持ってサスティナブルに(持続可能な)木の実の採集や狩猟をすることで生活をしていました。子供は家族単位で育てていましたが、基本集落全体がサポートするものとされ、それ故、孤児が出ても特段路頭に迷うことなく成人になることが当たり前のことでした。 

ところで、みなさんは、インディアンが共産主義の理念の元になったという史実をご存知でしょうか....。そうなんです、マルクスが共産主義を発想する前の世代に理想主義者と呼ばれる思想家達がいて、彼らは、アメリカ・インディアンの私有財産を持たず、コモンズ(地域の共有資源)を持続可能且つ平等に利用し、子育ても集落全体で賄うという生活スタイルを目の当たりにして人類の理想的な生活様式としました。
 
     
    ちょっと驚きですが、今若い世代でマルクスの資本論が読まれているという。『人新世の「資本論」』(著者斎藤幸平氏は1987年生まれ)というマルクスの晩期の思想を再考し直した著作が、この出版不況の中にあって30万部を超すというのもその一例。
 僕らの世代には、共産主義はソ連の崩壊とともに”終わってしまった”理念で、今更感は誰もが持つと思いますが、若い世代にとっては、世界で最も裕福な26人が、世界で所得が最も低い半数38億人の総資産に匹敵する富を握っている現実の中で、冨の偏りや局在に「異和」を感ずるのも極まともな感覚です。

縄文時代に理想を見るというムーブメントは、僕らが10代の頃「芸術は爆発だ!」の岡本太郎が第一次ブームを巻き起こしました。当時は、縄文美術のエネルギッシュさや生命力の様な、ある意味表層の様式に着眼しましたが、今はその精神性に視座が移っていると思います。
 
     
  ところで自分の「縄文度」を量ってみたいと思いませんか?  
   弥生人型  
   ・まゆ毛・ひげ・体毛が薄い
・目が細く、一重まぶた
・蒙古襞が大きく、涙腺が隠れている
・鼻翼が小さい
・唇が薄い
・耳たぶが小さい
・耳垢が乾いている 
・凹凸の少ない平面的な顔
・汗をあまりかかない
・指紋は渦状紋が多い
・胴が長く手足が短い
・血液型はA型
 
  僕は 8/12で、 縄文度高いです 🎵    
    

























縄文人の指紋
 
8月12日(火)


弥生式土器
 
前回まで、縄文人の優れたところを中心に紹介しましたが、実は僕自身の無意識は、縄文度が8/12とはいえ、弥生人が生み出した文化に大きく影響されています。土器にしても縄文時代の様な装飾過多なデザインではなく、上の画像にある様な、シンプルですっきりしたフォルムの方が、正直お洒落でしっくりきます。

そして後で触れますが、「弥生時代の美」は、恐らく「詫び(ワビ)寂び(サビ)」に繋がって行く様な精神性があった様に思われます。
 
 
雀居遺跡4次 弥生土器鉢





唐三彩鉢(正倉院蔵)
 
 弥生人、人口「密」ほど争い 
(岡山大チーム、埋葬数や人骨分析)

   

眼窩(か)部に切り傷(矢印部分)が残る弥生時代中期の人骨(福岡県筑紫野市、隈・西小田遺跡出土)眼窩(か)部に切り傷(矢印部分)が残る弥生時代中期の人骨(福岡県筑紫野市、隈・西小田遺跡出土)

 弥生人の争いは人口密度の高まりが影響した―。岡山大文明動態学研究所の松本直子所長(考古学)らの研究チームは、弥生時代中期の墓の数から算出した人口圧(人口密度)と、外傷を負った人骨の相関関係を分析。人口圧が高いほど争いが増える傾向が明らかになったと発表した。
 弥生時代は水稲農耕の普及で経済基盤が確立し、生活が安定して人口も増加した。一方、収穫物や耕作地を巡って争いが起き、人々は集落を堀で囲んだり、守りやすい山頂や丘陵に居住したりした。 
縄文人と弥生人の対比としてよく言われるのが、「縄文人はヒューマン」で「弥生人は好戦的」 ということですが、これはステレオタイプな言説です。

 左欄に紹介したように、確かに弥生に入るとあちこちで紛争が起き、それによって戦死者も縄文時代に比べ指数関数的に増えます。それは、岡山大学の調査報告にもあるように、人口が爆発的に増えた要因が大きいと言えます。

確かに人口増が紛争の大きな要因であったことには違いはありません。しかし、もっと根本的な要因があったと思われます。それは「定住化と経済の発生」です。つまり、定住化と稲作の導入で主食の備蓄が可能となり、それが蓄財となり物々交換から交易への流れを作り「経済」を生みます。そのことが、やがて冨の偏在を生み、冨を生むシステムを守ろうとする者とそれを破ろうとする者の間で紛争が起きたと考えられます。

この、「経済の誕生」⇒「冨の偏在」⇒「失うことの恐怖」⇒「失うことの悲しみ」...... といった連なりから、上で触れた「侘び寂び」の感受性が生まれたと考える方が自然ではないでしょうか。
 
松本所長らは受傷人骨の多さから、激しい争いが繰り広げられたとみられる弥生中期の北部九州に着目。同地域では当時、土器の甕(かめ)に遺体を収める「甕棺」の埋葬が広がり、人骨が良好な状態で出土している。 

調査では、甕棺の数と刃物などで傷つけられた人骨のデータを精査。地域と時期を細分して、埋葬数を基にした人口圧と、全体の埋葬数に対する受傷人骨の比率(暴力の頻度)をグラフ化し推移を比較した。その結果、多くの地域・時期で人口圧が高まるのに伴い暴力の頻度も上がり、低下すると下がる相関関係が確認できたという。最も著しい例では、中期中葉から後半にかけ埋葬数が約600体から千体以上に急増した地域で、それに比例して受傷比率も1・5倍に増えた。
 チームはほかに南山大、東北大、国立歴史民俗博物館の研究者が参加。成果は今月、米考古学専門誌に掲載した。松本所長は「人口圧は争いの要因と考えられてきたが、考古学的に裏付けられた。争いを減らすためにどのような社会、環境を作るべきかを考える足掛かりになれば」と話している。
(2021年06月27日 山陽新聞 DIGITAL)
 





フォロロマーノ
 

弥生時代には稲の栽培が本格的にはじまり、米をはじめとする穀物を主要な食料の一つとする食生活もまた開始されたことが推測されます。各地の遺跡から出土する炭化穀物などにより、弥生時代には米の他に、小麦、アワ、ヒエ、小豆などの雑穀が栽培されていたことが明らになっています。
弥生ミュージアムより

 さて、前回触れた弥生時代にその萌芽があったとする「侘び寂び」ですが、これは一見すると日本人特有の感性かなと思いがちですが、実はそうでもありません。少なくとも欧州の人々は、似たような自然観を持っているように思います。

上の画像は、イタリアはローマの遺跡『フォロロマーノ』です。日本人だけではなく、世界から訪れる観光客の人気スポットでもあります。
 この地に足を一歩踏み入れた途端に、普段とは全く違った時間が流れていることに気付きます。日本人には馴染みがある「侘び寂び」の時空です。栄枯盛衰、儚さ、まさしく「夏草や兵どもが夢の跡」です。

前回触れましたように、日本においての弥生時代は、「定住化と経済の発生」がスタートした時代になります(実際のところ、縄文時代後期には既に稲作は始まっていたとされます)。稲作を始め、様々な穀物類の管理運営は、天候との闘いでもありました。自然をコントロールすることは出来ないので、そこは上手く寄り添いつつ適応していたのでしょう。必然的に年間を通した自然である「四季」を強く感じ「季節」、そして「時間」という観念も生まれたはずです。
 
 
弥生時代の集落の様子(佐賀県吉野ケ里遺跡)
 
 縄文期には地面に穴を掘り遺体を埋葬する土壙墓(どこうぼ)が中心だったが、弥生期は甕棺・石棺・木棺など埋葬用の棺の使用が中心となっていく。弥生期の墓制は、地域ごと、時期ごとに墓の形態が大きく異なる点に特徴があった。社会階層の分化に伴い、階層による墓制の差異も生じた。 縄文時代では集落の中央地に環状列石を敷設した墓があり、「死」は 自然であり日常の一部として共有されていました。しかし、弥生時代に入ると、墓は主に共同墓地として集落の外れに移されます。つまり「死」は非日常として扱われ、やがて「穢れ」として忌み嫌われるような死生観に移っていきます。何故?。一つは「四季」の自覚によって「時間」を発見したこと。そして、そのことによって人の命が有限であることに気付いたと考えられます。

縄文人には、いい意味で未分化だった自己と他者を、弥生人は峻別するようになり、結果「孤独」という観念も生まれます。加えて経済やそれを廻る紛争を通し、人の一生の有限さと儚さを自然の中で獲得し、やがてそこを宗教や後の文学(短歌等)で埋めるなかで「侘び寂び」という観念も深まっていきます。
 
 
桂離宮
 
新たな地質年代
いまから46億年前、太陽から3番目の位置に岩石質の惑星が誕生した。後に地球と名づけられるこの惑星は、月の形成や地軸の傾き、生命の誕生と多様化など、さまざまな紆余曲折を経て現在にいたる。紆余曲折の一端は、地球に堆積した地層のなかに痕跡として残されている。

地層のできた順序を研究する学問は層序学と呼ばれる。地質学の一部門である。その層序学によると、もっとも大きな地質年代区分は「代」(古生代、中生代、新生代など)で、それが「紀」(白亜紀、第四紀など)に分かれ、さらに「世」(更新世、完新世など)に分かれる。現在は1万1700年前に始まった新生代第四紀完新世の時代である、というのがこれまでの定説だった。
さて、今回、敢えて縄文時代にフォーカスした理由は、今の僕らの社会が僕ら自身の力でコントロール出来なくなってきていることにあります。もちろん、新型コロナウィルスによるパンデミックも含みます。
 人類が定住し始めて10000~15000年、並行して経済活動が生まれていますから、その間地球資源が無尽蔵にあるかのように振舞って今日があります。前に紹介しました『人新世の「資本論」』の「人新世」とは........

 コンクリートや金属など地球上にある人工物の総重量が2020年、生物の総重量を上回った――。昨年12月、イスラエルの研究機関が英科学誌ネイチャーに発表した推計だ。20世紀初めには生物の3%に満たなかった人工物は、工業化の進展に伴って爆発的に増加し続け、1兆トンを超えた。(読売新聞オンライン)

弥生時代に入って経済が生まれる前、つまり縄文時代ですが、ひとびとは採集狩猟での生活で潤沢な資源を無尽蔵に利用することはありませんでした。今の言い方でサスティナビリティ(持続可能性)をもって資源の枯渇を生まないよう自制して利用していた訳です。
 
それが現在、すでに完新世は終わっており、新たな地質年代に突入しているとする学説が真剣に検討されている。新たな地質年代の名は「Anthropocene」(アントロポセン)、人類の時代という意味だ。日本語では「人新世」と書き、「じんしんせい」または「ひとしんせい」と読む。人類の活動が、かつての小惑星の衝突や火山の大噴火に匹敵するような地質学的な変化を地球に刻み込んでいることを表わす新造語である。
  現在のところ、人新世は1950年前後に始まったという説が有力視されている。産業革命でもなければ新石器時代でもなく、はたまた農業の開始でもない。ずいぶん最近のことではないかと違和感を覚えるかもしれない。
 
 では、なぜ1950年なのだろうか。それはもちろん、実際に1950年前後を境にして、完新世と明確に区別できるだけの地質学的証拠が豊富に存在すると考えられているからだ。いわゆる「グレート・アクセラレーション」(Great Acceleration)による大変化である[fig.2]。 グレート・アクセラレーションとは、20世紀後半における人間活動の爆発的増大を指す言葉である★5。第二次世界大戦後に急速に進んだ人口の増加、グローバリゼーション、工業における大量生産、農業の大規模化、大規模ダムの建設、都市の巨大化、テクノロジーの進歩といった社会経済における大変化は、二酸化炭素やメタンガスの大気中濃度、成層圏のオゾン濃度、地球の表面温度や海洋の酸性化、海の資源や熱帯林の減少といったかたちで地球環境に甚大な影響を及ぼしている。(10+1 DATABASEより) もちろん、今更縄文時代に還れるはずもありません。ただ、このまま有限の資源を無制限に使い続けたら、僕ら人類ばかりでなく全ての生物にとって絶滅の危機を迎えることは分かり切ったことです(これは、人間中心主義のおごった考え方で、哺乳類全体の絶滅は、既に遺伝的にプログラムされた寿命だとも言われていますが......)

COVID-19 によるパンデミックも、そういった流れの中で起きている現象の一つです。今回、スッと「縄文時代」に触れたくなったのは、そういった無意識があったことが大きいと思います。

本当は、弥生時代に元始があると思われる「詫び寂」について触れた後に縄文時代に還ろうと思ったのですが、どうも奈落の底に沈む様に、下段まで下がるのが苦労するほど長くなり過ぎてしまったので、またの機会に回したいと思います。

何れにしても、何年掛かるか分かりませんがコロナ禍は何れ収束しますが、その時点で世界がコロナ前に戻ることはないので、どの道世界はガラガラポンとなり、ローマ帝国が滅びたように、既成のシステムは崩壊します。その時、僕らが理想とする社会モデルを地球規模でもっていたいものです。縄文時代のひとびとの生活様式は、その意味で大きな示唆を与えてくれている様に思います。

では、では。
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