椿紋彫り合鹿椀・・・・蕾
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個展を11月に控え少し気忙しくなってきた。。

仕事はというと、このところ彫りが続いている。元々博古堂では彫刻部に所属していたこともあって久し振りに彫りの作業を始めても問題なく作業は進む。というか腕はどんどん上がっている様に感じる。ただ、欅という材は固い💦

これに比べ漆を塗る作業は間を空けると失敗が多い。それは気候、つまり温度や湿度が四季によって大きく変動するため、大きな調整から微調整に至る塩梅がとても難しい。その意味で、今頃は丁度いい季節になる。
 
椀を固定させる自作の補助具
  手作業なので耳は空いている。このところ聞いているのは「源氏物語」と「吾妻鏡」。「源氏物語」に関しては、その感想が日に日に変わるというか深まってゆく。第一印象は、紫式部の才女ぶり。次にそのエグさ。つまり不倫やら姦通やら幼女誘拐やら光源氏の女性への振る舞いの破廉恥さ。

そして、このところ感じているのは紫式部という名が示しているように、これは文才のある女性が直接執筆したことには違いないが、もう少し俯瞰してみると「源氏物語」以前の数多あった物語を洗練させ豊かに編集し直したものという解釈をしたくなる。その意味で日本人の分厚く堆積した物語文学の、その時点での集大成ではなかったかということ。それは紫式部という個人名ではない造語によるペンネームが物語っている。

もちろん、それは超絶な観察眼と、その心理描写、そしてそれを裏付ける教養と文才を持った紫式部というスーパーレディーでなければ叶わなかったことには違いない。
 
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椿紋彫り合鹿椀・・・・花
  「源氏物語」に比べ「吾妻鏡」は、一応史書ということになっているが、どちらかというと日記形式の軍記物という感じ。敵の首長の首ははねるは、梟首と言って晒し首にするわで、史実だけにひとってよくもまあこんなに人を殺すよなぁって呆れるほど。それも親兄弟同士の身内だったりする。類としての生物で、こんなにも多くの同類を殺す生物って他には居ないだろう。その意味で人間様って狂っている。

鎌倉時代や戦国時代で数百から数千、そして精々数万の規模での殺戮だが、これが第二次大戦ともなると日本で350万人、独ソ戦で2000万人の犠牲者が出ている。吾妻鏡を読みながら、国盗り物語という共同幻想の凄まじさに驚嘆する。

ルソーが「民主主義のキャパは、人口が20000人まででそれ以上になると人の顔が見えなくなって難しい」と言っていたが、これはある程度平等で、それなりの自由が保証されている社会の規模は20000人を超えられないということを意味していると思う。となると人類はとっくの昔にまともな社会を運営できる規模を超え出たのだろう。

蕪紋彫り大椀
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正月
 
鎌倉彫宗家博古堂に入門し、結婚を機に鎌倉を離れるまで約五年鎌倉、北鎌倉に住んだ。鎌倉を舞台とした「吾妻鏡」やその資料に触れると、修行当時探し歩いた名所旧跡を昨日の事のように思い出される。その意味で吾妻鏡は僕にとって草紙ではなくリアルなのだ。

当時、獣道も無いような、こんもりとした雑木林の奥にあった頼朝の墓の粗末というか余りにも素朴な佇まいに拍子抜けしたが、北条家の陰謀によって鎌倉の幕臣比企一族や将軍家源氏の血を絶えさせたことを知ると成る程ねぇとすんなりと納得する。っていうか怖っ!だ。

その比企家の館のあった地に、当時二歳であった比企能本は、この難を逃れ後年禅宗で固められた鎌倉に日蓮宗の寺を建立した。それが妙本寺。
 
妙本寺
  鎌倉彫の修行当時、美大を出ていない僕は、この妙本寺に近い同じく日蓮宗のぼたもち寺こと常栄寺前の日本画教室に通っていたので、妙本寺にも何度かスケッチに出掛けたことがある。

 それと以前にも触れた、近代文学史上中心的なテーマとなった「三角関係」を実際に引き受けた長谷川泰子・中原中也・小林秀雄の事件後、この境内の海棠が咲き誇る中、長谷川泰子を小林秀雄に奪われた中也が、身も心もボロボロになって故郷山口に還ることを決意し、最後の詩集をその小林秀雄に託した地がこの妙本寺になる。当時は、比企家の事情など詳細には知らなかったが、今こうして史実を知ると何か因縁めいたことを感ぜざるを得ない。そして小林秀雄は、博古堂の株主でもあった。。
 
  吾妻鏡の舞台は鎌倉になるが、鎌倉以外にも因縁の地がある。西湘(湘南ではない)に平塚があるが、その西湘海岸に注ぐ河口をもつ相模川は、別名馬入川とも呼ばれ頼朝が落馬した川とされ、それがもとで翌年正月に没したとされている。因縁なのは、鎌倉時代の1198(建久9)年に、源頼朝の家臣の稲毛重成が亡き妻の供養の為に架けた橋の落成式に出席した頼朝が、その帰りに落馬したこと。そして稲毛重成は北条時政の謀略によってこの後殺害される。

この馬入川の西側に、Jリーグ一部湘南ベルマーレの馬入グランドがある。30年前(そんなに経つのかぁ)僕はこの地でサッカーコーチの公認ライセンスを取得した。まだある、この対岸に土のグランドがあり60歳のとき県のリーグ戦でハールを受け、上手く転んだんだが打ち所が悪く腰椎を二箇所潰す大怪我をした。今でも後遺症が残って10分走ると右足が麻痺する。お陰で怪我前は1200回以上出来たリフティングが500回程度に落ちた💦
 
   
  上の画像は、関東大震災で突然水田に姿を現した旧馬入川橋脚。

のちの調査によって、この橋脚は上記した稲毛重成が亡くなった妻の慰霊ために架けた橋の跡だと判明する。
 
 
現在のレプリカ..........(歩き旅応援舎HPより)
  サッカーの公認ライセンスで思い出したのですが、子供のコーチをしていたときのこと。夏に合宿があるのですが、恒例の行事で度胸試しがありました。毎年お父さんコーチが決めた場所に夜、そのお父さん方が潜み指定の場所に下げてある証明書?を取りにやって来た子供たちを脅かすのです💦 

その年、「今年は名越の切り通しにしよう!」と物騒なことをコーチが仰るのです。恐らくルンルン気分で昼間下見に出かけたのでしょう・・・が、帰ってくるなり真っ青な顔をして「止めよう!」って、だから言ったじゃんでした。

そう、昼間でも出そうなんです。何がって幽霊ですよ。この名越の切通し、鎌倉と逗子の堺にあるのですが、現にこのトンネルを夜中に通った多くのタクシーの運ちゃんが、後部座席に見知らぬ人が乗っていたと仰ります。そして、あるお父さんコーチの祖父が夜中の2時ころ通った際、同じ様に後部座席に見知らぬ女性が乗っていたとか。。
 
   
やぐら
 
   名越切通は、鎌倉と三浦半島とを結ぶ要路の一つです。周辺には、切通の防衛にも関係すると考えられる平場や切岸、やぐらや火葬跡など葬送に関する遺構も多く分布していて、中世都市の周縁の歴史的景観を良く残しています。昭和41年(1966年)に国史跡に指定されました(昭和56、58年に主として逗子市域、平成20、21年に鎌倉市域が追加指定)・・・逗子市HPより
 
   
名越切通し
 
  あなたは真夜中、この切通しを通り抜ける度胸ありますでしょうか....。 

一息つきましたか?

僕が修行当時、和田塚や小町でも人骨が何柱か出ました。まあ古戦場でもあるので弔わずに埋められた亡骸が今でも沢山埋まっているのでしょうね。

おまけです。僕の悪友が北鎌倉は円覚寺の裏手に住んでいたんですが、かみさんが漫画家の卵でして、当然徹夜で筆を振るっていた朝四時頃、夏だったので窓は開け放って網戸だったようで、その北の窓から南のベランダに向けて、ガシャガシャガシャと甲冑に身を固めた野武士がゴロゴロゴロッと回転しながら抜けていったそうな(@_@;)

これは実話です、はい。
 
   
(たびこふれHPより)

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北鎌倉好好洞........ このお洞の裏に友人夫婦は住んでいました

鎌倉に関してこんな風に語ったことは今までなかったと思います。それでも未だ一割程度を話したに過ぎません。倒壊した大銀杏のこと、源平池のこと、西御門にあった小林秀雄邸のこと、放蕩しまくって一代で材木屋を潰した材木座の爺さんの話(トイレが二畳程もある御宅に住んでいました)等々切がありませんが、個展の準備も御座いますので、先ずはこれまでということで、お後がよろしい様で。。

では、では。