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前回は、物心両面の『距離』について触れてみました。籠ることが多いので、どうしても『空間』を測る身体的ゲージが、明らかに情報不足なので質が偏ってしまい精度が落ちる。というか精度を比較すること自体が無理....... そんな感覚のブレを伝えたかったのと、それをみなさんと共有したかった訳です。

吉本さんの言う『空間』が関係づけを意味することは先のとおりです。で、今回は『時間』ということになります。これは、「了解」という概念で吉本さんは説明しています。これを分かり易く説明するのには、多分一冊の著作に相当する、それこそ時間が必要になるので、ここでは深堀しません。
 
  去年の今頃は、ちょうど右の行にある 『土曜日のタマネギ』Ⅱ のように、四六時中斉藤由貴を聴いていた。そう、一月程聴いた後に『Waltz for Debby』(Bill Evans)に移った。どういう訳か、今『Ballads and More』(Bill Evans)を仕事を済ませた後エンドレスで聴いている。全く飽きない。

多分、尋常ではないのだと思う。そりゃそうだ、コロナが1年以上続いているのだからおかしくもなる。ただ、今回取り上げる『了解』=『時間』とは何かと思考してゆくと吉本隆明がそうであったように「異常」と「病む」という領域に入ってゆかざるを得ない。というか、その方が『時間』を掴みやすい。

『時間』という概念に触れることは、もっとも人間臭いところに触れていることになると思う。『存在と時間』を遺したハイデガーが、『時間』を哲学の中心テーマにしたことは、その意味では当然だ。師匠のフッサールも同様。
ざっくり言うと”時間”というイリュージョン(心的幻想)を媒介にして、僕らは自己や外界の事象を受容し取り入れる。つまり、「了解」へと繋げる。これは、あくまでも(何処まで行っても)「仮の」が付く。ハイデガーに言わせれば、時間とは「投企」つまり身構え(=姿勢)でしかない。吉本流にいうと最も原初的な観念のベクトル変容になる。

あっ、済みません珍紛漢紛でしょ💦 でも良いんです、どうせおかしく成ったついでですから。これ自分に向けて書いているので、結果みなさんも共振出来るところがあるのではという幻想のもとに書いてます(その方が誠実な気がするので.....)。

こういう状況の方が、深く鎮かに内省できる。そして「おかしい」ところから「今の自分」を視ると、普段視えなかったところもしっかり視えてくるから不思議。おまけに、普段なら難しいと思える哲学の論文も、サクサク読み進んでいく。なので、本当におかしい(尋常ではない)のだろう。
以前『長谷川泰子』で、「異常」・「病む」とは、表現(創造性)の『亜種』だと指摘したことがあります。『長谷川泰子』は、かなり長文で、結構難解だと思うのですが、未だにアクセス数はトップを競っています(感謝)。

そもそも「異常」とか「病む」を取り上げることで何が明らかになるのか....... それは、通常の僕ら人間の在り様が逆照射されるからと言えます。

例えば、僕らが、ある幻視・幻聴をもったとします。比較的出やすいのは幻聴ですから、ある音楽が繰り返し聴こえたり、人の囁きが聴こえたりすることと、新しい、それまでこの世には無かった音楽を閃いたりすることとの違いは一体何処なのか...... 。
 あるいは、僕ら作り手が、新しい作品を閃いたとき、僕らは明らかに具体的な像(=イメージ)をもちます。すべて、この世になかった、その意味で誰も見たことのないイメージです。このことと幻視との違いは何処なのか...... 。
 
こういった問いを提起することは、元々吉本さんが、僕らの観念そのものが、ある意味幻想(=イリュージョン)でしかないと想定していることにあります。この幻想領域としてのイリュージョンと幻視というイリュージョンは、医学的、心理学的に峻別できるとは言え、近似した領域でもあるので「表現」一般を考察する場合、これらを比較対象にすることは、とても有効な視座を得ることができるように思われます。

「了解」≒「時間」から大分離れてしまいました。

ちょっと戻ります。「時間」とは、「投企=(身構え)」であるとしたハイデガーですが、彼の優れた点は、「時間」を「死」からの隔たりと考察した点にあります。つまり、彼の論説では、未来は、過去・現在・未来といった順で流れる、現在の次にやって来るものではなく、「死」から現在へと手繰り寄せる姿勢(試行)のなかで立ち現れる概念になる。この点、吉本さんが、時間をある指向性のある「ベクトル変容」と述べたことに重なります。
コロナ禍の中、籠ることが日常になるのですが、そうすると畢竟コミュニケーションはLINEやメールになるのですが、その際、そこでの会話(言葉)は、無意識に相手の年齢に合わせて結論への距離を伸縮している自分がいることに最近気付きました。つまり、相手の像と、その像が喚起する「死」への距離を推定して、そこからの隔たりから言葉を選び出している訳です。

従って、イメージとして「死」までの隔たりが比較的短い(一般的な意味で年齢)と感じた場合は、結論を何となく急ぎます。そして、長引くコロナ禍では、その判断スピードが速くなっている様な気がするのです。このことが、「了解」のズレを生み、コミュニケートする相手に「異和」を感じさせてしまう不安も自分の中で生まれている様に思います(ちょっと焦ります;;)。

こういった事態を僕らが、今後どの様にフィードバックし修正してゆくのか未だわかりません。多分、僕らは、この事態を、それなりに乗り越えて行くと思っています(単なる直感に過ぎないのですが…)。
先日コロナもあって、20年振りに鎌倉彫修行時代の同僚と電話で話をした。お互いに声を聴くと同時に当時にタイムスリップする。彼は、結局鎌倉彫には見切りをつけ、その後、鎌倉市議会選挙に出たりした後に自閉症の子供のヘルパーになり、今でも継続して勤めているという。

そう30年程前、市議選には僕も選挙カーのドライバーとなり応援したことを思い出しました。同乗していた鶯嬢に「楽な運転ばかりしていないで辻説法で援護したらどうだ!」と脅かされ、仕方なく即興で「夕刻のお忙しい中、家庭を守る主婦の皆様、シャドウワークご苦労様です!」と、当時旬であったイヴァン・イリイチの家事労働価値説のフレーズを出し演説したところバカ受けし、「東さんが出た方が当選する🎵」なんてひどいことを言わしめ、出馬した同僚を腐らせたことがありました💦

結局、自閉症を深く理解し対応している彼は、天職を得たと思っています。彼とは、瞬時に深い話まで突っ込んで行けるし素で話すことができます。じゃ、何故今まで敢えてコンタクトを取らずに来たのか・・・、それは、当時もっていた共通の女性への「対幻想」です・・・とまで言っておきます。ここは微妙なので...... 。(胸が痛い)。
   
「了解」と「時間」にもどります。

これは吉本さんが指摘していたことですが、サルトルが言うように、僕らは生きている間では十全な「死」を理解するとか了解することは出来ないということ。つまり、自分は漠然とこういった死に方をするのでは・・・と思っていたとしても、死はそんな風にはやって来ず、今で言ったらばコロナでぽっくり逝ってしまったりする訳です。だから、先程触れたように、コミュニケートする相手の「死との距離」のイメージも当てにならないのです。

たとえ美人で薄命そうに見えたとしても、頑強でちょっとやそっとでは死にそうにない男にみえたとしても、それは、こちらが勝手にもつイメージでしかないので確かな「了解」へは必ずしも繋がりません。それが、ここ数日で気付いた修正点ですが、でも、そのこと自体ベクトル変容なので、無限に修正し続けるというか微分化し続けるしかない訳です。そもそも「死」そのものを「解る」ことはないのですから。。

ということで、書くことで大分落ち着いてきました。今日は完全休業し、但馬から転居する際に餞別代りに頂いた古文書「スペイン風邪」と、「古今和歌集」の『紙撚切道済集』『香紙切麗花集』の筆写と訳を辞書首っ引きで終日過ごし充実した一日でした。

皆さまにおかれましては、昨年の今頃思い付いた、最早60%のひとびとが感染し免疫抗体をもつしか手立てがないのかなぁといった状況ですが、でも罹らずに済めば御の字ですのでご自愛を!

もくれんのひだりうすずみいろのそら........ 佐山哲郎
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