鶴丸城石垣 |
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昨年の三回にも及ぶ「鹿児島記」でも、鹿児島のことは書き切れず、またどうしてもアップしたかった画像も漏れてしまい、再びここでアップすることにしました。 この画像、鶴丸城こと鹿児島城の城壁です。お分かりのように石垣の欠けは、何と西南戦争の砲弾痕です。 |
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先日突然、僕の住む町に長くあったスーパー(maruetsu store)から2月を持って閉店とのハガキが届いた。 ウソだろ!だって地域の個人商店は、大規模店舗の進出で壊滅し、事実、駅前は10年前からシャッター通りになっている。今更撤退はないだろ・・・。 こうなることは始め(20年前)から分かっていたとはいえ、既に生活の一部になっているスーパーでの買い物は、これから宙に浮き、また新たに別の店を開拓しなければならないが、これは容易ではない。 何が言いたいのかというと・・・・ それぞれの地域には、大したことはないが、それなりの文化がある。普段は気にも留めない風土ともいえる地域の香りが、それぞれの町にはある。だれも予測できなかった訳だが、大規模店舗の浮沈は、多くの地方都市でも、その地域の動向を決定づけ、そして採算がとれないと見ると今回の様に、あっさりと撤退し、跡には廃業を余儀なくされた商店がシャッターを閉めた状態で遺る。良くある風景だ。 こう言ったことが、先ずヨーロッパでは起きない。かれらが歴史の何処で、このことを学んだのか正直知りたい。 この画像は、昨年個展でお世話になった鹿児島は鶴丸城の石垣に遺された西南戦争の砲弾痕です。こういったもの、つまり生々しい歴史の痕跡を消さずに遺しておくということが、未来を構想する上でいかに大切かを物語っていると思うのです。 |
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人によっては「西南戦争だから残す価値があると判断したんじゃないか」と言うでしょうが、でも大方の日本人ならあっさりと改築したようにも思います。砲弾痕を遺すことで、どうしても忘れてはならないことが、歴史の中にはあるのだと言うことを鶴丸城の苔むした石垣は明確に伝えています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
まだ本当に日本が大変なことになっていると心底感じている日本人は、少ないのではないだろうか。右肩上がりの無意識が未だ残っている段階が今ではないだろうか(どこかで最早そんな日本ではなくなったことに薄々気付いているのに)。 僕は、伝統工芸と呼ばれるジャンルに生きている。なので「過去の歴史と今」の関係は、とても身近な問題としていつも寄り添って来ている。 僕らが「過去」を顧みなくなったのは、恐らく高度成長期当時「古いものは劣っている」と、目の前で起きている大量生産大量消費の流れを、ずっと続くものとして感じていたことによると今では思う。けれども、これからの日本は、低成長、あるいは成長の停滞化が間違いなく続くと思える中で、今の立ち位置を確認してからじゃないと先に進むのは危ない。「今の前」がどうだったのかを知らなくては始まらない・・・・・・こういったスタンスを保障するものとして歴史というものがあると思うんだが。。 |
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経済が回らなくなったとき、僕らはどう「これから」を構想したらいいのか・・・・・。答えは単純じゃない。 一番の処方箋は、地域の再活性化だと思うが、大規模店舗が撤退した後の地域と同じで、ここからもう一度盛り返すのは容易じゃない。 ・・・・・と、ここで段々心許なくなってきたので話題を変えます;; 先日、芥川賞・直木賞が発表されました。小説は先ず読まない僕は、例年ですと全く気にも留めずに流すのですが、今年はTV報道で受賞者の田中慎弥さんと選考委員の石原慎太郎のバトルが面白可笑しく伝えているので、ついネットでも検索してしまいました。 |
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つづいて慎太郎の方も・・・・ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この映像を見るまで田中慎弥さんがどんな小説を書くのか、あるいはどんなキャラなのかも全く興味はなかったのですが、映像の持つ力は凄くニュースで流れる度に、じっと魅入ってしまう自分に気づき、あの危なそうな人格に見える田中慎弥さんに興味が湧きました。ワイドショーで紹介された彼の小説の一節があまりにも美しいので珍しく「読んでみたいな~」 と早速アマゾンで予約した僕は結構ミーハーでしょうか。。 周りの空気ばかり読むご時世に、まだあんなキャラが生きていたんだ・・・とシーラカンスをみつけた心持ちです。慎太郎も同じ穴の狢と感じたのか、可成り好感を持った皮肉をとばしているのも微笑ましく感じた次第です。僕は、こういったタイプのご両人が好きです。 大分前10年ほど経ちますか触れたことのある話なのですが、中学の時、いつも一人でいる奴がいたんです。たった一人で校庭の端を辿るように下を向いてトボトボ歩いている奴でした。お節介なことに他のクラスでしたが、無性に興味をひかれた僕は、ある日そんな彼に近づき「何でいつもそうしているのか」デリカシーなく聞いたことがありました。もちろん、初めての時は無視されましたが、繰り返し同じ質問をする僕に手を焼いたか、鬱陶しく面倒だったのか、ある日応えてくれたのです。 もしかするとくどい僕に辟易して作り話をしてその場を凌いだのかも知れませんが、彼の返事はこうでした........... 「俺には姉ちゃんがいて難産で赤ちゃんを死産した後亡くなったんだ。それから俺はこうなったんだ・・・・」ということでした。始めは半信半疑で聞いていましたが、彼の目が本気だったのでそのまま信じることにし、さすがに聞いてはいけないことを聞いたような気がして気が引けたのでしょう、その後二度と彼に同じ質問をした覚えはありませんが、たまに廊下で会うと微笑み返したので、そう悪い気もしなかったのではと脳天気に記憶しています。その笑みに悪意は感じられませんでしたが、彼はその後も変らず同じように校庭の隅を垣根に沿って歩き続けていた様に思います。 |
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それから、腕を振らずに歩く娘もいました。もちろん、もの凄く惹かれた僕は、今でも付き合いのある親友の鈴木に聞きました。「あいつさ、いつも手を振らずに歩くけど・・・どうなんだろう」 「そうかな。。そういえば.......小学校当時お漏らしをしたのを覚えてるけど・・・」 どうしても平均偏差値から外れた人間に興味を持ってしまう自分ですが、当然自分自身も外れている自覚からでしょうか”変な奴”に惹かれるのは。 ”変な”・・・・ということは人と”違う”ということですから、それだけで価値があるように感じてしまいます。何故かは分かりません。偏屈な奴とか、無愛想な奴とか、生きてて済いませんといった感じで猫背で歩いているご近所のご婦人とか.......... 今回の一見すると、片や若いとき湘南ボーイで表街道を闊歩してきた輩で、片や高校卒業以来一度も職に就いたことのない、それこそ賞を取らなきゃただの引きこもりの田中さんですが、慎太郎にしても、田中さんにしても、僕には同じ人種に見えてしまいます。慎太郎と話す機会は二度ほどありましたが、そのときも辛辣な社会批評や人物批評を繰り返していましたが、二度とも「憎めない奴だな~」と少年のようなウブな感性を持ち続けていることに感心しました。それは今でも変りません。そういえば「俺は日本で最初の引きこもりだ!」と威張っていたっけ。表を歩いていようが、裏を歩いていようが、変わり者を引き受けている奴には素直にリスペクトしちゃいます。 先程も、田中さんが母校の小学校で講義した内容がTVで紹介されていました。それは「宝のような価値のあるものが数百円で手に入れることが出来る、それが小説です」という行があった。これには小説嫌いの僕ですが、正直感動しました。慎太郎は、このところの芥川賞は、みんなくだらない!と仰りますが、臍曲りの僕は、今回に限って「読んでみたい」とおもいました。まっ、興味は、新しい小説のスタイルではなく、文章の”様式美”のようなものでしょうか。 |
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僕が生まれて初めて”読書する” ということに目覚めた頃(大学浪人中)こんな小説があったら面白いのに・・・と思った内容は........... 同一人物の主人公に、それぞれ別の事件に遭遇させ、その後の人生の軌跡がどう違って行くのかを同時進行させてみせる小説・・・だったような。多分環境が人の生き死ににどう関与するかを実験的な試みとして同じ舞台にのせてみる・・・・という衝動です。これは、誰にでもある素直な無意識ではないでしょうか。リセットできない人生を別の次元で生きてみたらどうなっていたんだろうか・・・・そんな素朴な問いは誰にでもあると思うのですが。。 「文字」そして「文章」。ビジュアルには、ただの活字ですが、こんなにも人の魂を動かすツールであると言うことは、とても素敵なことです。 地域の再生の回答が難しすぎて、すっぽかし申し訳ない。。 でも、諦めないぞっと;;; これから直木賞・葉室麟『蜩ノ記』を読みま~す。 韓国の方が、もの凄くアクセスしてくれていることに驚いている東でした~。 감사합니다 ありがとうございま~す。
では、では。 |