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ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ

街は喧騒と無関心によつてぼくの友である 大工と大工の子の神話はいらない
 
不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お訣れだ 
 (吉本隆明「廃人の歌」 「転位のための十篇」より)
 
遂にこの日が来てしまった。

本日 3/16 深夜、詩人であり思想家でもある吉本隆明さんが肺炎のため亡くなった。

覚悟していたとは言え、僕にとって大きな父性として今日まで支えてきてくれた正しく巨人なので、お歳とはいえとても残念だ。そして、何から書き始めていいものか定まらない。。





そう、二十年程前になるでしょうか、僕の住む町の市民大学講座の企画委員になったときがあります。いの一番に呼びたかったのが、もちろん吉本さんでした。他には別役実さんや、フェミニズムの論客金井淑子さんや、小児科医でNHKの子供相談で人気のあった河合ひろしさんらを交渉し講演を引き受けて頂きました。



吉本さんのお宅に電話するのは二度目で、一度目は30年以上前。吉本さんが発刊していた冊子「試行」の購読の件でご自宅に電話したところ、電話口に出たのは奥様でした。

冊子「試行」は、当時僕らが結成した美術集団?”グループ気”が、自由が丘画廊で自主企画したシンポジュームに参加して下さった関東学院の建築学科の先生で「人間が二次元空間から三次元空間を発見する契機になったのは直線を交差し空間を線で閉じることを知ったときだ」と試行に吉本さんが述べていた・・・・ということを聞いて、これは!と吉本さんのご自宅に電話しました。どこで住所を知ったのかは忘れました。



電話口に出た奥様は、チャキチャキの江戸っ子という口調で、こちらの問いにお応え下さいました。
「試行」の購読料を送る方法を聞くと・・・・・・「現金を封筒に入れて投函して下されば・・・」とお応えになるので「現金書留でしょうか」と返すと「普通の封筒にお金を入れて送って下されば結構です」と仰るので「えっ、それって違法では?」と返すと「別に良いんじゃないですか」とあっさり言うので、流石新左翼の筋金入りの奥方だと納得しました。同時に、こちらが貧しいのを見透かして、そう指南して下さったものと理解しました。

つまり、「人間が実存を満たして生きてゆくと言うことは、法を超えて有るものだ」というメッセージと言うことだと思います。
 
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「言語にとって美とはなにか」
そして、二度目の電話の時も奥様が出て(変らずしゃきしゃきでした)、こちらの意図を伝えた後、いつものドスの利いた声の吉本さんが出ました。当時、日本はバブルで、今では信じられないのですが、行政も予算を消化するのに苦労していました。とはいえ予算は、そう多くはなく七万円也でした。

思想界の巨匠に七万円はありかな。。と不安はありましたが、妙に引き受けて下さる自信があり単刀直入に切り出したところ、あっさり引き受けて下さいました。そして、吉本さんにお願いしたテーマは「現在」。



講演当日、1時間待っても吉本さんは、お見えになりません。  そして1時間半。。市役所の担当職員の一人は怒り始めました。僕はと言うと、「きっと何か訳があって遅れているのだと」まったく動じず、ただ待ちました。それは、講演内容が、間違いなく素晴らしいものだろうから、それで充分相殺出来るはずだし、ご本人も、そうした自信がおありになってのことだと、上で紹介した「廃人の詩」が僕を後押ししていました。



そして、大きく丸めた模造紙を抱えて逗子駅を汗を搔き搔き降りてくる吉本さんをお迎えしました。全然悪びれる素振りもなく照れ笑いしながら会場にお入りになりました。そこは巨匠なので、会場に詰めた満員の市民の皆さんもブーイングもなく講演が始まりました。



その模造紙には、とても綺麗とは言えない直筆の講義内容の図面と解説がぎっちりマジックで書かれていました。これを書き上げるのに2・3時間は優に掛ったと思われるもので、もうそれだけで参加した皆さんは納得でした。
 
   
「 吉本隆明のリフレイン」・・・・・・そう名付けたのは坂本龍一です。つまり、吉本さんの講演の語り口が、同じフレーズをくどいように繰り返すことからそう呼んだんだと思います。流石、優れた音楽家である坂本龍一は、耳で受けた印象をしっかり言葉に置き換えています。


なぜ、その様に吉本さんはリフレインするのか・・・・僕にはよく分ります。そう、自分の言葉が相手に伝わっていない・・・・あるいは、伝わりっこない.........そういった無意識が、同じ言葉を繰り返し繰り返し言わせるのです。それはもう強迫観念とでも言ったらいいのでしょうか。。この感情は、吉本さんが詩を書くことの契機になった凝りのようなものです。



最も饒舌な詩は沈黙だ・・・・確か、そんな風な言い方をしたのも吉本さんだと思います。沈黙のもっている言葉?の力を知っているから、リフレインするのです。この点マラルメと重なります。優れた詩を残したいと願ったとき、その面前に沈黙の力が横たわり人は口籠もります。だから、言葉に頼ることを始めたときから「伝わりっこない」という感情と闘わなくてはなりません。それが「吉本隆明のリフレイン」の真の姿です。
 
   
 僕は、作品を作るにあたってずっと「これ、吉本さんが見たら、どう評価するだろうか・・・・」という、見えない声に耳を傾けて制作してきた。内なる指標というか、美的評価を超えた倫理観の様なものを今日まで内面化してもっている。なので、いつも手を抜けずにいたと思う。  



「そんないい加減なものを造っていいのか。。」という声が、どんな時でも聞こえていた。



そして、才能があるとか無いとかということが、いいものを造るにあたって最終的に何の力にもならないということを教えてくれたのも吉本さんだった。



また、吉本さんの講演には、よく出掛けました。質疑応答のときは必ず質問しましたが、これがいつもズレた感じなのです。「もっとマシな質問は出来ねえのか」と言われている感じが残るのです。それはちょうど僕が親父に持っていた感情と同じで、どうもしっくりこないな~、なんか心底同調出来ないな。。っといった、終生全き理解が得られないような、何て言ったらいいのでしょうか、『エデンの東』のラストシーンの様な許し合えるような感情がもてないのです。恐らく、これは吉本さんが、僕にとって超えなければならない指標であり、同時に明らかな父性であったためのように思われます。
   
 吉本隆明を超える・・・そんなこと出来るわけがないのです。さまざまな吉本さんの提出した概念を検証するだけで手一杯な位、重く深い思想なのでとても無理です。これではただの吉本信者に成り下がるので僕なりに突っ込めたのはただひとつ。それは、『対幻想』という吉本思想の最もユニークで世界水準に届く、言葉の響きとしても美しい概念です。

つまり、恋愛のような感情が生まれるには、双方に対なる感情的イリュージョン、どう言ったらいいのでしょうか・・・誤解の了解によって恋愛は成り立つとでも言ったらいいのでしょうか、その感情が常に二人の間に成り立つということです。


ただ、この感情が高揚するには、1対1の二人の関係性ではダメで、もう一人の存在がないと対幻想は成立しません。なので僕は『鼎幻想』と勝手に呼んでいます。でも、”鼎” なんてどう読んだらいいのか皆さん読めませんでしょうからボツですね。これ、「てい」と読みます。古代中国の青銅器で三本足の酒器から生まれた言葉です。三本足から、三つを代表して鼎と呼ばれます。対幻想でなく鼎幻想とは、何を意味するのかというと、たった二人では、実のところ対幻想は、生まれません。もう一方の 恋敵とでも言いましょうか、二人の関係を脅かす存在がないと対なる幻想は生まれません。いわば嫉妬のような感情ですから。
 
   
実は、抜き差しならない状況で吉本さんの著作を読み始めたのは、作家になろうとした時からなので30年ほど前になります。「ものを作ろうとする精神構造」は、どの様なものなのだろう・・・ということが目先の課題だったので「共同幻想論」より「心的現象論序説」の方に関心が向きました。


なので、ついこの間息子から「共同幻想論」の面白さを聞かされ、息子の読みの深さにちょっと驚かされたのと、それならば息子からいろいろ教わればいいのかなと思ったりしています。
 同時に、この著作が文学とも哲学とも思想とも童話とも読めるので、その懐の深さに驚くとともに機会を見つけもう一度読み返せねばと思った次第です。



そして、これはいつもなんですが、新しい作品を考案しているとき、必ず「これを見た人は、きっと驚どろいて間違いなく感動してくれる」と心底想う自分がいます。若いときは、そんな自分は、ちょっとおかしいんじゃないかと、そんな自分に手を焼いていましたが、そんな時『廃人の歌』に偶然出会い ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人である と、ああ、ここにも同じ様な狂人がいる、こういった妄想をもっても良いんだ・・・・と積極的に廃人としての自分を受け入れることが出来るようになり、それ以降、よりエネルギッシュにものを作るようになったように想います。



いくつになっても、廃人観?を持ち続けて制作する姿勢は、若いときと変りません。
 
  
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 さて、亡き人を弔うということは、亡くなった方の人となりを、とにかく皆で話すこと、話題にすることが一番と聞いています。このまま吉本さんについて語り明かすのも web じゃなければいいのですが、そうもいきません。語ろうとしても語り尽くせないほどの魂が、吉本さんの遺した仕事にはずっしりと詰っています。ここでは、僕が最も救われた概念と、その図を紹介し、このページを閉じたいと想います。


橋爪 大三郎氏も述べていたように、吉本さんは、元々は科学者(正確には工学者)なので、曖昧に逃げられる文学を、もっと科学的に捉えないと曖昧模糊のまま検証のしようのない言語ゲームに終始することにピリオドを打たなければ・・・という思いで思索し続けられて来たと思います。その意味で文学を限りなく科学的にアプローチした数少ない文学者であり、思想家です。このことが、僕を今日まで魅了して止まないところだと思います。そして、数学・物理好きの僕が最も美しくユニークで世界水準にあると思う吉本理論の概念とその解説図をお仕舞いに紹介したいと思います。


それは「原生的疎外と純粋疎外」とその図解です。


吉本さん、長い間本当にご苦労様でした。そして、ありがとうございました。   合掌