「東京物語」 |
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世界の映画監督が選ぶ最優秀作品に「東京物語」 英BBC放送によると、英国映画協会発行の「サイト・アンド・サウンド」誌が2日までに発表した、世界の映画監督358人が投票で決める最も優れた映画に、小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)が選ばれた。 批評家ら846人による投票でも同作品は3位だった。 批評家部門では過去50年間にわたり首位を保ってきたオーソン・ウェルズ監督・脚本・主演の「市民ケーン」(41年)が2位に転落。アルフレド・ヒチコック監督の「めまい」(58年)が首位となった。 同誌は10年ごとに映画50選を発表。批評家部門で「東京物語」は前回2002年には5位、92年は3位だった。 同誌は小津監督が同作品で「その技術を完璧の域に高め、家族と時間と喪失に関する非常に普遍的な映画をつくり上げた」 と評価した。 「東京物語」は笠智衆、原節子らが出演。広島から子どもたちに会うために上京するが、つれなくされる老夫婦の姿を通して家族の現実を描いた。 (共同) |
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以前、小津安二郎の世界でも触れたこともある『東京物語』の作者小津安二郎が取り上げるテーマが、普遍的なものだということが今回の権威ある「サイト・アンド・サウンド」誌の企画で立証されたことは、日本人としてとても誇りに思う。そして、いつも思うのだが、僕自身この邦画のなかで描かれていることは、純日本、あるいはアジア的な世界観と信じて疑わなかった。しかし、”世界の映画監督”が絶賛するわけだから、日本人以外の謂わば”玄人”がこの邦画の意図を深く理解出来ていると考えざるを得ない。これは、僕にとってとても意外な事実だ。 僕自身、心の何処かで、欧米人には日本人が嘗てもっていた機微というか「気遣い」を感じ取る感性はないだろう・・・・と根拠なく盲信していたところがあった。つまり今回の「サイト・アンド・サウンド」誌の企画によって、西洋人にも『東京物語』に流れる空気が読めるということで、日本人独特の繊細な機微を西洋人には理解出来ないだろう・・・・くらいに思っていた僕は不勉強で猛省しなければならない。 そもそも西洋人を知らなすぎるので、通念として欧米人一般のイメージをもっていることが間違いの元かも知れない。それでも以前は、ドイツの批評家やスイス人の国費留学生などが取材や遊びに来ていろいろ話をしたが、微妙な人種や民族観について深く語り合ったことはなかった。もし先入観なく彼らと話していたら、違った人間観を持てたかも知れない。そして、”外人”と話をする場合、大抵”違い”にばかり気をとられて”同質”を見落とすことが多かったように思う。 |
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『東京物語』とは、確かに人と人との「距離の物語」であるとした僕の見解は間違っていないと思う。ただそれが日本人独自のものとした点が、小津の意図を狭く限定していて、そこにある普遍性を見落としていたところだと思う。 では、「東京物語」とは何を表現していたのか・・・・・それは、近代化のなかで分断され、空洞化してゆく家族、そして地域の現在を描こうとしたのだろう。そのことで近代化に向う人々の避けられない大きな喪失感を淡々と描ききったのだと思う。 そう言えば昔(20年ほど前)よく遊びに来たミシェル(スイスからの優秀な国費留学生)に「となりのトトロ」を見せたとき、始めは鼻で笑っているようなスタンスだったのが、アニメが進むにつれ引き込まれて行くのがこちらにも伝わってきた。そして、にわか雨に遭ったサツキにカンタが傘を差し出すシーンに同意の笑いを漏らし、ラストシーンでは、明らかに日本のアニメにリスペクトしていたことを思い出す。一見すると如何にもアジア的なアニミズムのような要素を意識して深めた作品だが、かえってそのことが普遍性をもつことを世界をターゲットにするアーティストは皆知っている。小津がそうであったかどうかは知れないが、恐らくそういった確信があったのではと察する。それは、黒澤明がそうであったように。 |
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10年以上前、僕が「東京物語」(小津安二郎の世界)に触れたときグローバル化というフレーズは世の中に流布されていなかった。今は耳にタコができるほど毎日聞かない日はないくらい聞かされている。なので「東京物語」が、世界で支持されることのリアリティーはある。そして、今にして思うのは小津が、世界の近代化のなかでの「喪失感」を抽象化し普遍化したことだ。小津は多分、その辺を精緻に計算し表現へと繋げたのではと今にして思う。 ところで僕、笠 智衆さんに会ったことあるのです。30年以上前、北鎌倉に悪友と工房を構え大船が近かったので何か買い物に出掛けた折、職工さんの出で立ちで草履か下駄を履いて大船松竹に続く通りをゆったりと歩いていました。確かその翌々年くらいに亡くなったと記憶しています。何とも気品のある爺さんでした。こちらが笠さんを知っていることを嫌み無く存じている風で、笑みを絶やさず悠然と闊歩していました。素敵な紳士でした。 |
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男子サッカーu-23 韓国に負けてしまいました。向こうには日本に勝たなければならない動機付け(過去の植民地化等)があるのに比べ、日本には韓国に勝たなければならない動機付けが見あたりません。これはずっと昔からの僕の持論ですが、韓国に勝つには、徹底して過去の歴史を代表選手はもちろん若者に教えるべきです。それは決してネガティブな自虐的な歴史観の受容ではなく事実です。近代化のなかで避けられなかったであろう日本の脛の傷を深く理解しないで(相手の傷みを理解出来ないで)相手に勝るモチベーションを持てるはずがありません。 一見すると矛盾することのようですが、史実を受け入れる度量がない限り、侵略された側の傷みとその傷の深さから来る人間の尊厳を侵されたことから湧上がってくる底知れないエネルギーを理解することは不可能です。この事実を深い知性で日本は乗り越えない限り、男子サッカーは韓国に勝つことは想像を超えて難しいと思います。なでしこ japan の場合は、彼女たちの歴史そのものがハンディーそのもので、韓国のメンタリティーに近いものがあるためあの強さがあると思います。 ということで、メキシコに勝って決勝に進めることが出来なかった時点で日本のメダルはなくなりました。でも、世界に羽ばたきヨーロッパで活躍する選手が沢山出ることで、韓国とのメンタルの差は乗り越えられると思います。それは、ヨーロッパの歴史そのものが戦禍の怨念で積み上がっているからです。そのエントロピーに同調することで韓国のメンタリティーを肌で感ずることが出来るはずです。 |
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そう東京物語でした。今回の栄誉ある一位選出で見えてきたことは、国家とか民族とかが共同幻想だということではないでしょうか。先日もラジオを聞いていたところ、ゲストコメンテーターの大学の先生が、「グローバル化で、国家が壊れ始めて来た・・」と述べていました。そして、民族という概念も最先端の科学のDNA解析によってどうやら怪しくなってきました。純粋な日本人という概念を、今や本気にする輩も少ないと思います。 ここに来て竹島問題が政治色を増して出て来ていますが、その韓国のDNAに近い因子を多くの日本人がもつと言うことが分ってきています。その意味で国家とか民族という概念も幻想であることが科学的に証明されつつあります。でも、その”幻想”のもつ意味は深く実態とも言えるくらい強く僕らを規定します、僕が小津を真に理解出来るのは、日本人そのものだ・・・・と理解していたように。それは「国家の無意識の歴史」や「民族の無意識の歴史」が、厄介にも僕らを深いところで規定していることから来ているようです。 それでも小津の世界観が普遍的だということは、人と人が、国家民族を超えて理解し合えることの根拠を示したとも言えます(厳しい現実はありますが)。 今回、「世界の小津」になりましたが、果して日本国内で同じ企画をしたら同じ結果が出るのでしょうか・・・・・。良い映画と、皆に愛される映画とは違うので、恐らく小津安二郎はナンバーワンに選ばれることはないようにも思えます。ですが、世界が小津を選んだことで益々世界は良い意味で狭くなってきたとも言えそうです。これは資本主義化(=近代化)が構造的に同じように伝搬し、同じように地域を均質化・同質化することも意味します。そして家族の形態も変えてゆくでしょう。 中国が、いくら自国を共産国と唱えたところで中身は国家資本主義なので、やがて先進諸国と同じ様な価値観と課題をもつようになるはずです。中国政府が、コカコーラを飲んではならない!デーズニーランドは悪魔の住む島・・・・と吹聴しても無駄だったように。そして中国ばかりでなく他の新興国も、やがて僕らと同じ様な、「東京物語」で表現されているような喪失感をもつようになるはずです。 |
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それにしても映像の力は凄いな~と思います。今回の英国映画協会の企画で、映画とは、世界言語でもあることを改めて認識させられました。 熱かったオリンピックも幕を降ろし、ここに来てようやく落ち着いてきました。ここ最近、映画館から大分遠のいていましたが、サッカーばかりで川崎に行くのではなく、これを機会に偶には川崎チネチッタにも寄らなければとちょっぴり反省です。。 立秋・・・・いい響きです。 ご自愛のほど。 |
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