Moon river, wider than a mile
I'm crossing you in style some day
Old dream maker, you heart breaker
Wherever you're going
I'm going your way

Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end
Waiting round the bend
My huckleberry friend
Moon river and me

(Refrain)


ムーン・リバー、1マイルよりもっと広い河。
いつか私は胸をはって、あなたを渡ってみせるわ。
私に夢を与えて来たのはあなた、
それを破って来たのもあなた。
あなたが何処に流れて行こうとも、私はついて行くわ。

二人は岸を離れ、世界を見るために漂う漂流者。
見るべき世界はたくさんあるわ。
二人は同じ”虹の端っこ”を追いかけているの。
それは、あのカ-ブを曲がったあたりで待っているかもしれないわ。
幼馴染みの冒険仲間、ムーン・リバーと私。

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  今日TBSラジオを聞いていたら「アンディ・ウィリアムス追悼」という特集を組んでいて、そこで初めてアンディ・ウィリアムスが亡くなったのを知った。

ネットで検索したところ、この9月25日に癌で亡くなったとのこと。まったく気が付かなかった。僕の高校時代、丁度2年生の時ビートルズが来日したが、臍曲りの僕はもう既に彼らを追いかけるのはミハーだと白けていた。僕がビートルズに夢中になったのは、中2の終わりから中3に掛けてで、今考えると短かったな~とびっくりする。

そんな高校生活の間隙を埋めてくれたのがアンディ・ウィリアムスだった。

仕方ないのだがビートルズは、もの凄く音楽性が深くなっていって、その精神性は、最早ポップスやロックという範疇を超え出てインド音楽の方に行ってしまった。あの分かり易く美しいメロディーや歌声はそこにはなく、一週間に二曲の新曲が赤丸急上昇でベストテンに入る凄みもなく、今度どんな風に僕らをドキドキさせてくれるのだろう・・・・といった興味も失せてしまっていた。今聴くと当時の曲でも初期の曲より素晴らしいものが結構あったりするが、中学生にも分るような軽さがそこにはなく深く重い楽曲に成長していた。

こちらがガキだったということもあるが、初期のビートルズの破壊力にいかれてしまった僕には、サナギを脱ぐように成長してしまった晩期のビートルズはビートルズではなくなっていた。。



僕自身も気を付けるようにしているのだが、何事も極めすぎると(深めすぎると)自我狂のように、周りが見えなくなり独りよがりになってしまう。いつも部外者というか、作者の関心の外にある人々に向けた”遊び”というかキャパシティーの大きいもの作りをしなければ・・・・と一応戒めています。
   
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essay +column+
2009 & 2010 Today's image index
  それでも、物事には「煮詰まってしまう」ということも十分あり得るので、要は Let It Be ということにもなるのでしょうか。。

そう、ビートルズを早々と卒業してしまったあと、当然ぽっかりと心には穴が空いてしまったわけです。だからといって、みんなが騒いでいるフォークソングにも親和性をもてず悶々としていました。今なら、ノーベル文学賞候補にあがっているというボブディランを素直に聴けたかも知れませんが、当時の僕にはメッセージ性の強い音楽は今一つでした。音楽は、あくまでもメロディアスで美しくなければならなかったのです。未熟と言えばそれまでですが・・・・・。



実は、このアンディーウィリアムスですが、現代美術の蒐集家ということはあまり知られていません。個人的な感想で言うと、もの凄いセンスの好い趣味してます。今でも良く覚えているのは、雑誌の取材に応えている時、その部屋の壁にマーク・ロスコの絵が掛けられていました。下 ↓ の絵のような雰囲気で、カラーは黄色と青でした。
  アンディーウィリアムスを聴くことによって、その後音楽の好みがどんどん枝分かれしていきました。散々聴いたあとには、もう聴くものがなくなり、次のステージに行かなければならなくなり、確かバート・バカラックに移ったと記憶してます。そして彼自身が音楽活動を休止?したかのようにピタッと作品を発表しなくなったのと同時に、ボサノバ、そしてジャズへと触手を伸ばしていきました。



こんな風に広い意味での洋楽へ誘ってくれたのがアンディーウィリアムスでした。その意味では、僕にとってとても大きい存在です。いまでも彼のハスキーで伸びのある高音の歌声を聴くと、ほろ苦い思春期と重なってきます。音楽は時間と空間の芸術といわれますが、不思議とその時代と空気が、そこには刷り込まれています。彼が亡くなったと言うことは、こちらも確実に歳をとったということで、時代はどんどん移って行くのだな~と感慨深い思いです。



遅くなってもうしわけありません。そして、ありがとうございました。



合掌