ゆたかな時間  
   
ゆたかな時間に満たされた人生を生きているなと思いながら日々を送っている。もちろん過去を振り返ればしんどいこともいくらもあった。そして、そのしんどさも含めてゆたかな時間が感じられるのだろう。


日々、お茶を飲み、珈琲を飲み、お酒を飲み、食事をとる。それぞれに器にはこだわりがある。器そのものに思い出があり、その作り手との過去の時間がある。器などなんなら紙コップやプラスティックのトレイでも構わないといえばそれまでだが、使い捨ての器に作り手との思い出は宿らない。
 
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2005~2015  常滑レポート index
そして、その器たちの作り手は金儲けのためにそれを作っているのではないはずである。産業にもならない領域の物作りなのだ。大量生産、大量消費という方向性の真逆に位置している。


身の回りにはPCや携帯や自動車やテレビ、電子レンジ、洗濯機、ガスオーブン、ラジオ・カメラなどなど近・現代産業の産品がいくらもある。そういう産業に携わる人々とは個人として関わることが難しい。もはや、産業というのは個人の手作りでは成り立たない領域に入っているなどとは今さら言うこともないのだが。
 
作り手の顔がみえない便利な道具に囲まれた豊かな生活というのが戦後日本のひとつの流れであり、アメリカの豊かさモデルであったと思う。それは、大量生産と大量消費に支えられている。量的な豊かさであった。それが基盤にあっての自分の豊かさなのだとは思う。


過日、大学学部の7年ほど先輩にあたる方が大学を退職されるに当たって中世鎌倉の考古学研究に関する論文集が刊行され、研究仲間が集まってシンポジウムと祝賀会が催された。全国から集まる仲間たちと旧交を温める絶好の機会となった。
   
その翌日も鎌倉の遺跡出土品をダシにして、シンポジウムの話題やら今後の研究などを議論し、お昼からビールを蕎麦屋で飲み倒すという極楽的宴会となった。いずれも1980年代から付き合いのある研究者とそのお弟子さん筋で賑やかなること。


年に数回合う程度の付き合いながら、それも30年を超えるといろんな事がある。刺激的な論文や酔っ払っての醜態や、子供の成長やなんやかんやが実に楽しい肴になるのであった。今月は60回目の誕生日がやってくる。
 
  
幸せな星の下に生まれたことを感謝しよう。時代も良かったのかもしれない。我が子どもたちのこれからを思うと、随分大変な時代になるのかもしれない。それでも彼らは彼らなりに楽しそうに生きている。豊かに生きていってもらいたいものだ。
乾漆バッハが届いた夜、堤防に出かけて2時間ほど電気浮子を伊勢湾に流した。スズキには至らないマダカとセイゴ。産卵を終えて身は薄いが、釣りたてを刺身にして頂く。畑で
は里芋が収穫時を迎えている。
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