石から鉄へ  
子供の頃の記憶なので50年ほど前の事なのだが父の実家に遊びに行くと中学生になったばかりの従兄が斧で薪割りをやっていて、それを手伝った事がある。丸太を鋸で適当な長さに切るのはシンドイ作業なのだが、それをパキン、コキンと割る作業は心地よいものであった。なんのノルマもない遊びの延長のような薪割りなのだから、楽しい記憶しか残らないのだ。

薪は竈の煮炊きや風呂焚きに使っていた。我が家は分家なので家の作りが新しく焜炉は石油、風呂焚きは石炭を使っていた。麦藁やオガライトなども使っていた記憶がある。時代は変わったものだ。
 
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02/28 石から鉄へ 
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そして、鋸は今も畑に隣接する孟宗竹の増殖を抑えるべくしばしば用いているのだが、それを割る作業は斧ではなく鉈である。さらに、日常生活に斧を用いる事は無くなってしまった。

斧は人類の歴史の中では極めて重要な役割を果たしてきた。旧石器時代は手で持つ握斧(Hand Axe)が主体であり、柄の先に石器の斧を固定するようになるのは新石器時代以降の事となる。
 
木を切るのに鋸を用いるようになるのは鉄器時代も相当に進んでからだ。日本であれば5世紀頃の古墳の副葬品にあったと記憶している。鋸が無ければ木を切り倒し切り刻むのも斧の仕事だ。

太い木の切り倒しには鋸と共に斧が長く使われてきた。樵は木を切るコンコンコン・コンコンコンと。縄文時代の早期から弥生時代の中頃までは磨製石器の斧が使われているのだが、鉄の斧が現れるとみるみるうちに石器の斧は消えていってしまう。
   
鉄の斧は遺物として残ることが少ないのだが木材は湿地の遺跡では大量に残っている。そして、木材の端に残った斧の痕跡を見れば石斧で切ったものか鉄斧で切ったものかが区別できるのである。刃の食い込み方が違うので、その痕跡に違いが出るのである。

佐原 眞『斧の文化誌』によれば、鉄斧の機能は石斧の4倍ほどであるという。石器で4時間かかって切り倒していた木を1時間で切ることができるようになる。そして、ニューギニアあたりでは20世紀前半まで石斧を主に用いていた部族が存在していた。
 
 
 そこにキリスト教の宣教師たちが入り込み布教の方便として鉄斧をプレゼントすることが行なわれるようになる。彼らの生活は男の仕事と女の仕事が区別されており、男の仕事は斧を使ってする労働が主となっている。

鉄斧は男たちの労働を従来の四分の一に短縮してくれる有り難い道具であった。そのおかげで生まれた時間の使い方がおもしろい。あまった時間を使って新たな仕事をして、より豊で安定した暮らしをしようなどという方向はニューギニアの男たちには認められず、かれらはその時間をゆっくりと寝ていたり、祭りに熱中したり、喧嘩をしたりしていて生産性の向上には向わないのだという。
 
 これは、実に縄文時代の人々のあり方と通じるものがあるなあと感じる。身の周りに安
定した食料供給のシステムが整った環境があれば、人々は多くのものを望まないのに違
いない。欲望の抑制システムとでも言おうか。
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そして、そのシステムを崩すのが穀物生産に伴って現れる冨の蓄積と権力の発生という
ことになる。弥生時代以降の変化は社会進化論のような装置で説明することが可能にな
る。ただ、そこからは墓の巨大化といったあの世の肥大化も始まることになる。この進
化というか増殖のような現象は進化のベクトルが異質で現代の論理では捉えにくい。現
象を説明できるのだが、なんだかしっくり来ないものが多いのだ。