暗黙知
 
常滑レポート index
 12/04 暗黙知
感動せんとや
稔りの秋に
バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   




2005~2011  常滑レポート index
 先日20年ほど使ってきた脚立と併用式の梯子のストッパーが金属疲労による断裂で壊れてしまった。梯子を太い榎に掛けて延びすぎた枝を払い、下に降りようとしている最中だった。

 梯子などで高いところから降りるときは徒然草の巧妙の木登りの話を想い出す。高いところに居る時は誰でも用心をするものだが、事故は地上に近づいて気を許しているときにこそ起こるものだ。よって巧妙の木登りは降りきる直前に最も意識を集中するというような話だったと記憶する。
 
   
   
 脚立のストッパーは、丁度その位置に僕の脚が掛かったあたりで壊れ、梯子がグニャリと中折れしたのだった。それは地上2mほどの場所。いくら意識を集中していたとしてもなんともならない。
 
 それでも体は無意識に反応して左手の小指と薬指が外反し過ぎて捻挫状態になった以外これといった怪我もなく済んだのだった。

 それにしても最近この梯子を使うたびに、なぜだか梯子から自分が落ちるような気がしてならなかったのだから不思議だ。なにも暗黙知などと言わず蟲の知らせでもよいのだが落ちたときに、これだったのかという思いが湧き上がってきた。
 
 1年前の今頃、愛知県史の担当巻の執筆、編集が大詰めを迎えたころに、その普及活動として、シンポジウムの企画案を事務局に提出した。県史事務局では無理かもしれないという流れであったが、古くからの付き合いで県史の古代史部会長でもある日福大の福岡名誉教授が内の学校メインでやろうと助け舟を出してくれた。

 思えば18年前、下の子どもが生まれたときにも日福・知多研主催で文化会館で大きな常滑シンポジウムが開かれていた。時代はバブルの最盛期であった。そして、その年は愛知用水が15時間断水という信じられない猛暑・渇水の年でもあった。オシメの洗濯に苦労させられたのだ。
 
 
 そして、あれよあれよと言う間に18年も過ぎ、一年も過ぎて、まずは上々の首尾でシンポジウムも終わった。まるで、こうなることが予測されていたかのように、だ。

 過去に作りだされた物の技術や形、装飾などから前後関係を明らかにするのが第1歩だが、その一歩がなかなか踏み出せない。そして、そこからどこに向うのか。なにに集中すべきなのか、となると意外に漠然としているのである。そして、今回はその第2歩目の方向を示すのがメインテーマであった。

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 30年もの間飯の種にしてきたのだから、もっともっと稔りある展開が求められるのであろうが、どっこいそうは問屋が卸さない。これでも、なんとか頑張っている方だと自分を誉めてやろう。

 今年はもう一つ大きく展開させるような種を播いたのだが、こちらは春先に芽が潰れてしまった。うまく行けば儲け物といったノリであったので、やはり無理であった。それでも現状を見ていると自分の方向性は間違っていなかったという想いは未だ拭い難しだ。
 
 
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2005~2011  常滑レポート index

 
 ただ、その想いを実現する方向に行けば自分を追い込むことになったのも事実であろうと思われる。良くしたものだ、と天の采配に感謝しよう。欲張っているわけではないし、それで自分が消耗することは眼に見えているのだから。