晴鳶堂の記
 
常滑レポート index
05/06  晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   
楽園への道
大晦日 才能のこと  
大まかな流れ
半世紀・反省期 
公募展
蝉しぐれ
公募展 
アニメ
薪窯焼成 
 燕の巣造り
売れてなんぼのもんや 
至福の時間
フェスティバル 
研修生
無常
春が来た 
歴史的新年の閃き




2005~2010 常滑レポート index
老父が冥土へ旅立って足掛け3年となる。そして、自分も還暦が近づいてきた。今年が辰来年は午、そして、未がこの世に生を享けた時の支であった。本当にそんな時間が過ぎているのだろうかと俄かに信じ難いほどだ。

しかし、確実に自分が老いていることも認識せざるを得ないのが老眼の進行だ。こればかりは如何ともしがたい。そして、性格が意固地になってきている。これまた如何ともなしがたいことだ。
 
   
   
もう一つ自分が年齢を重ねたことを自覚させられることとして、先輩諸氏が居なくなったという現実がある。このようにして知らず知らずの内に時代が変わっていくのだと思えるのであった。

30年という歳月を一つの職場で過ごし、その常滑市民俗資料館という名称も、この4月で消えてしまった。施設は存続しているが、より観光施設的性格を強めていくことになる。跡を継いでくれる人材も採用された。
 
これまで続けてきた研究をまとめる作業が残るが、かなりの部分は今春刊行される『愛知県史 別編窯業3 中世・近世常滑系』で形になっている。上上の展開だ。

かつて高校進学において普通科を選ばず窯業科に進んだ時に父親は、いかにも残念そうであった。自身が戦時中に育ち、尋常高等小学校の高等科を出てすぐに志願兵として中国大陸に渡っている。
 
歩兵六連隊の重機関銃兵であった。採用検査の時に米俵を担ぐという課題があり、父は祖父に子供のころから畑仕事でこき使われていたこともあり、これを軽々と担いだところ銃機関銃に配属されたのだという。

できれば息子には大学まで行かせたかったのであろう。復員後は瓦屋に職工として働き、さらに今日のLIXSIL、以前のINAX、そして当時の伊奈製陶株式会社に転じて衛生陶器の生産に従事。





僕が中学・高校生の頃には仕事から帰ると畑の仕事などをして、盆栽の世話をし、食事中には戦争のころの話をし、テレビを見て眠り、就寝という実に多感な高校生の眼からする味気ない時間の無駄遣いにしか見えない生き方をしていると感じたものだ。

やがて、自分も伊奈製陶あたりで働こうとしていたものが、学校の若き先生方の影響や、どういうわけか小説系の文庫本を読むことが病的に好きになってしまった事もあり、大学に行きたくなったのであった。

おまえの成績なら推薦で入れる大学があるぞという担任の言葉を振り切り、まったく方向の違う文学部を選ぶというのも、3年間で読んだ小説の数々が影響している。1年の浪人期間を経て白雲なびく駿河台に至る。

この時、自分は鳶から生まれた鷹なのかもしれないと自惚れていた。4年間の学部時代があり、さらに2年間、大学院修士課程までお茶の水に通っていたのだが、アルバイトはせず、発掘調査などでいただいた金はすべて本になっていた。
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2005~2010 常滑レポート index 

老父が病院に入り旅立つまで半年ほどの時間があったが、その間に彼が定年後の大半の時を過ごした畑を面倒みるようになった。近くの地名が鳶が巣というほどで、晴れた日の空には鳶が幾羽も旋廻している。

そして、今になって若き日の自分が鳶が産んだ鷹に違いないという想いを抱いたことの浅はかさを恥じる。所詮、人の一生、どのように生きても似たり寄ったりだ。父・中野晴市は彼なりの人生を見事に生きたといえよう。少なくとも現在の息子・晴久のそれと比べてなんら遜色無しだ。

ということは、やはり自分も鳶であるということか。昨年末から新春にかけて畑には鳶でなくオオタカがしばしば現れ、まるで僕を待っていてくれるのかと思うほど、それは頻繁であった。
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 そんなことから、あるいは、もしや自分もまた鷹になるのか、とあらぬ妄想を掻き立てられたりもしたのだが、なに、梅から桜に花が変わる頃、オオタカの姿も見なくなった。

晴鳶堂は音読みで「セイエンドウ」と読みたいところだが、「はれとび」の語感も悪くない。亡夫が残した農機具小屋があるのだが、これをもう少しましなものにして、お茶など飲めるように出来れば堂号もまた面白いものになろうかと定年退職後の楽しみを夢想する次第。