自画像
 
常滑レポート index
 01/15   自画像
人類史的転換......
美しき都会
 暗黙知
感動せんとや
稔りの秋に
バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   




2005~2012  常滑レポート index
平成もはや四半世紀と歳月を過ぎようとする25年となった。実に早いの一語に尽きるのだが年の初めに過去を振り返ってみるのも悪くはない。それは、今日の自国の自画像を描くことに似ている。

もとより一地方にひっそりと暮らす市井人のそれである。見方も狭く情報も偏っていることだろう。ただ、一人の人物の自画像においてすら、どの側面に焦点を当てて描くかによって様々な像を結ぶものだ。逆にすべての面を過不足なく描くことなど不可能に近い。

戦後民主主義の恩恵を受けた我々は、その有り難味を当たり前のものとして享受するようになっている。北朝鮮の独裁体制は言うに及ばず、経済発展を遂げつつある中国にしても言論の自由には大きな制約が伴っている。
 
   
そして、政権交代が起こっても軍事クーデターが、それを転覆させるというようなことはかつての村山政権においても、今回の民主党政権においても起こらなかった。すでに社会主義・共産主義というイデオロギーは幻想の産物として、その実行力をなくしたということになろう。選択肢は限られてきている。

長期安定政権だと思っていても、市民の投票行為によって政権交代が容易に起こることを明瞭に示したのが近年の政治情勢だ。さて、戦後の地方自治は名目に過ぎず、実態は各種の許認可権や財源の構造において中央官僚の支配下に隷属させられているというのが大阪あたりの首長の主張だ。

そうした面も多分にあったのであろう、全国どこでも似たような地方都市ばかりとなってしまった。しかし、その原因を中央官僚に帰せられるのはいささか酷であろう。中央のゼネコンが地域の意見を集約して形にしていったものと見るべきである。それらは、その土地柄を随所にシンボリックなデザインとして取り入れながら、いずこも近未来をイメージしたような空間で機能的に構成されているのだった。
 
そして、戦後に盛り上がった郷土の歴史や民俗に対する関心も、それぞれの地域に県立・市立等などの博物館や郷土館、歴史民俗資料館が建設され、地域の歴史も大部な印刷物に編纂されているのである。

それは、中央の歴史が全てではなく、列島各地にそれぞれ固有性をもった歴史と伝統が息づいているという認識に基づいており、実際、戦前の研究ではまったく省みられてもいなかった重要な事柄が山積しているのである。

筆者のライフワークともいうべき中世常滑焼の認識は昭和10年代の旧版『愛知縣史』では一行たりとも触れられていないし、その存在すら認知されていないのであった。その研究そのものが郷土の歴史を見直すところから生み出されてきたものであった。

そこから、陶都常滑は900年に及ぶ悠久の歴史をもった自画像を描きえたのであった。しかし、問題はその自画像は良しとして、本体の製造業が衰弱の一途をたどっていることである。
 
 
伝統工芸展といった公募展においても、陶芸分野においては常滑に限らず伝統産地からの出品作が選外となる傾向が指摘されている。かつて陶器工場で働きながら技術・センスを磨くという作家養成のシステムが崩れているのが遠因の一つとも見える。

過去の栄光を発見することが現実の創作力向上と結びついていたのは昭和の時代で終わってしまったということなのかもしれない。そして、それは選挙権を与えられながら棄権し、表現の自由を享受しながら、その重要性を無視するような犯罪的な表現の横行も見られる現今の状況とも似ていなくもない。

昭和戦前においてようやく国産陶磁器の研究が本格化したころ、桃山陶器とよばれる一群の焼き物が脚光を浴び、その後の陶芸の規範を形成したと見ることができる。明治から大正にかけて西洋美術・工芸に向っていた視線が大きく方向を変えたのだった。
しかし、それから第二次世界大戦という大転回があり、戦後の経済復興と非軍事化、冷戦構造、核軍備から冷戦構造の崩壊とグローバル化や高度情報化社会の到来、そして、イスラム原理主義の台頭と中東の混迷。さらには、福島第1原発の被災と汚染などなど。どれをとっても過去に経験を見ない類の出来事が目白押しという状況だ。

身近なところでは、子どもの頃に火鉢から電気炬燵や石油ストーブになり、ラジオからテレビに、オートバイから軽自動車に、盥から洗濯機、箒から電気掃除機にという変化が起こった。煮炊きは竈ではなく石油系の焜炉からガスに代わったような記憶だ。電気冷蔵庫というのも現れた。有線電話が引かれ、その後電電公社の電話と並んだ。中学生のころともなるとオープンリールのテープレコーダーが普及し、やがてカセット・テープの時代となった。テレビはカラーが普通になった。1960~70年代に経験した変化だ。学生運動が華やかであった。
 
 
 
その後、学生は一部がセクト化していくつかの悲惨な事件を巻き起こし、キャンパスは平和な楽園となった。ヘッドフォン・ステレオがシステム・ステレオを駆逐し、パソコンの時代になるとカセットテープすら消えていった。カラオケは8トラックの大きなボックスと歌本の時代からタッチパネル操作の通信へと大転換をした。そして、大きな携帯電話が現れたかと思うと一気に小型化し、ポケットの中に入ってきた。そして、ジョブスの大反撃だ。オジサンは今戸惑っている。

人ゲノムの解析からiPS細胞の医学への導入とか、ニュートリノを捕まえヒッグス粒子の存在を証明し、イトカワの砂を持ち帰るハヤブサやら、ハイブリッドから電気・燃料電池車やらとこれまた、自然科学の進展もどこまでいくのだろうという勢いである。
 
   
 宇宙の成り立ちから地球や人間の成り立ちに至るまで、様々なことが物理・化学といった領域で明らかになってきている。生物としての人間は解明されたとして、さて、人の心であるとか美意識、さらには宗教といったこととなると、これは脳科学が進んでも一筋縄で
は明らかにできないように思えるのだが。

さてさて、19世紀から20世紀、そして21世紀へと加速度的に高度に細分化された専門領域は、到底門外の立ち入りを許さないほどに専門化が進んでおり、その成果を応用実用化する形で、あたらなテクノロジーも生まれてくるのだろう。それは、人類の歴史の中ではほんの最近の事に過ぎないのだが、この方向で人類は何処を目指していくのだろう。

還暦に近づいた筆者は、もう高度化を諦めているのだが、死ねない人生などは御免だと思うのだった。
 
 
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