青い鳥
 
常滑レポート index
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2005~2012  常滑レポート index
 今年は節分、立春を過ぎてもずうっと寒い日が続いている。大寒からなかなか抜け出せない。それでも山茶花の花は大量に花弁を落とし始めたし梅の花は例年のごとく開き出した。

 夕日が沈む時間は冬至のころに比べれば1時間ほども遅くなっているし、朝の明けるのも少しづつ早くなっている。待ち遠しいくらいの方が、春の有り難味も大きいということなのだろう。
 
   
 かれこれ10年ほどのお付き合いになる急須コレクターのNさんが寒風の中をバイクでやってきてくれる。最近入手された急須を見て欲しいということだ。いつもの物より多少価格も高く、購入前に電話で意見を求められた曰く付きの作品だ。

 拝見すると常滑の名工と謳われる初代山田常山作の中国宜興の茶壷写しだ。箱の蓋表に朱泥茶注とあり、その裏に摸 順甫作 常山製の銘記と印。明らかに初代の筆跡で印文は常山之章。
 
 中身は勿論朱泥で中国本場の茶壷つまりティー・ポットスタイルである。底の高台の中に俗に蜘蛛の巣印と呼ばれる篆書体の大振りな角印で印文は陶常山製の回文。作行きは精巧無比にして初代常山に間違いない。

 宜興の順甫が作った紫砂壺を初代常山が摸倣したものという箱書きの通りに、中国風のデザインで古さを感じない。初代の活動期間は明治末から昭和初期なのだが現代ものといってもおかしくないほどだ。
 
 
 そして、N氏は一つでも珍品であるこの作品を同じデザインでサイズが異なる3点収集したことをコレクターとして誇りとされるのであった。まったく同感である。その3点がいずれも共箱で同文となっている。

 日本の急須は本来煎茶の道具として本場で用いられた物ではない道具をモデルとして発達してしまったという経緯がある。それが、幕末から明治ころとなると明らかになり、明治以降は本場宜興の茶壷を範とするのだが、その頃には茶葉そのものが中国のそれとは別物になっており、日本では急須のサイズが小さなものになっている。
 この「摸 順甫作」の大きな方が中国ではレギュラーサイズになる。小さなほうは台湾など南部の特別高級なウーロン茶などで用いられるものになる。しかし、煎茶は憧れの中国文人文化の象徴的存在であった。いまさら、この大型には戻れず使うとすれな水注なのだろうが、常山はそれでも本歌を写して腕を確かめ、かの国の美意識を取り入れんとしていたのであろう。

 もっとも、大正・昭和となれば憧れの文化は中国江南の文人文化ではなく、ロンドン・パリといったヨーロッパの先進文明と芸術の都であったはずだが、初代常山はそちらに走った気配がない。
    
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  憧れのヨーロッパは、やがて憧れのニューヨーク・マンハッタンとなり、そして今、憧れは消え良くも悪くも実態が解ってしまう情報化社会が到来したのであった。憧れはやがて恋愛に続き、そして、現実の暮らしの中で良くも悪くも実態に即した日々を送ることになるのだ。なるほど。

 春ともなれば燕が飛来し、花々は咲き乱れ、まさに子孫を必死に残そうと努める季節になる。恋の季節だ。鶯だって地鳴きをやめて恋の歌を囀るようになる。そういえば、あのメーテルリンクの名作は『青い鳥』であった。外に憧れを求めても結局・・・ということなのだろうか。