前近代・近代の彼方 男と女
 
20年ほど前からだろうか隣接する陶芸研究所で陶芸家育成プログラムに客体的に関わってきたのだが、その間いつも圧倒的多数は女性で少数派の男性研修生よち常に優秀なのであった。

しかし、長く彼女たちは何処へとも無く消えてしまい焼き物や家業を続けているのは、そこそこましな野郎共であった。こんなのでは、とても食っていけまいと思っていた輩もなかにはいて、自分の人を見る目の無さを思い知らされたりもしたのだった。
 
常滑レポート index
09/17 前近代・近代の彼方 男と女 
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2005~2012  常滑レポート index
ところが、最近になった様子が変わってきている。多くの陶芸展で大賞を取り入選していく作家に女性作家が多くなり、個展のDMでも女性の作家からのものがぐんと増えてきたのであった。

一方、業界はというと相変わらずの低落傾向に歯止めがかからず呻いている。そして、百円ショップに行けば、そこそこしゃれた器たちが並んでいるのだ。ホームセンターなどでも、その金額に驚くような商品がいくらも並んでいる。

いうまでもなく海外の安価な労働力によって、それらの安価な商品は支えられている。国内のメーカーはパート労働などをもってしても、その価格競争には太刀打ちできないというわけだ。
   
かつて製陶所は男の職場であった。そして、その大半が経営者家族とパートのオバちゃんたちで維持され、それも今どんどんと姿を消していこうとしている。

陶芸でも熟練を要する系統では男性作家が主流である。常滑では急須作家に女性はほとんどいない。桃山陶系の茶器を作る女性作家というのも瀬戸や美濃でさほど見かけない。
   
 しかし、その熟練系の仕事は畳みの空間で用いられてきた美の形である。急須と同じ機能をもつポット類となれば、女性作家の作品が満ち溢れている。そして、それは現代の生活に上手く入り込んでいくのだった。  
 
男は外で働き、女は家を守るというスタイルは江戸時代の武士の家で産み出され、明治の近代において広く大衆化した家の維持システムであろう。その家がもはや形骸化して久しいのだが、いったん定着したシステムは容易に変更しづらいものだ。

そこへいくと経済システムは時代に適合しなければ取り残されてしまう。安い労働力があって安定的に供給できて流通コストが掛からなければ、それを利用したものが勝者となるのだ。男性だろうが女性だろうがお構いなしだ。
 
 
そして、生活の中から畳みの空間が消えて生きつつある。明治になって近代化を急いだ我が国も和魂洋才で和をもってアイデンティティーの維持装置にしていた観がある。それは洋風の近代陶芸に対する昭和初期の桃山陶芸の復興ムーヴメントとも無関係ではないように思えてならない。

そして、戦後において伝統工芸が以前にも増して重要な役割を果たしてきたのは、そこに蓄積された技術をもって新たな国が創造できるという構想であろう。物づくり大国だ。そして経済大国である。
そして、戦後も終わったのだった。平成も早、四半世紀の時を経ている。日本人の和魂は畳の暮らしの中では、もはや維持しがたいのだった。それは、長時間の正座に日本人の膝はもはや耐えられなくなっているのだった。時代は新たなスタイルを求めているのであろう。   
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