だいえっと  
通常、食べることは快楽であり、空腹は苦痛だ。よって、食料は常に身近に置いておきたい。そして、現代日本は空腹を持続させることが出来ないほど食べ物が溢れかえっているという夢のような状況を生み出している。

さて、その環境に無意識に対応して美味しいおいしいと朝昼晩、料理を作って食べていると当然の事のように体重が増加して行くのであった。お腹がぽっこりと出っ張った姿は、ダブルのジャケットなんか着るときは似合って見えたりする。
 
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09/30. だいえっと 
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2005~2014  常滑レポート index
しかし、20年前のスラックスが履けないのだった。ちょっと太り気味の人の方が寿命は長い傾向にあると聞くが、やはり腹の脂肪蓄積は少ない方が良い様に感じる。昨年の末に平泉の研究会で知り合った法政大の教授から存在を知らされた『人はなぜ太るのか』という本は刺激的な内容であった。

体に蓄積される脂肪の大半は澱粉の糖分から作られるものであって、この脂肪は細胞膜に包まれてどんどん蓄積される。飢餓に備えて容易に消費されない構造になるのだと。それに対し、肉に含まれる脂肪は容易に燃えてエネルギーになるのだと。

たしかに、肉食獣は獲物の内臓を中心に食べている。そして、圧倒的に筋肉質であり、肥満体形になっていない。そして、人類史的にみても農耕による穀物の生産は、およそ1万年ほどでしかない。
   
もちろん、根菜類などの澱粉や木の実なども旧石器人は食べていたであろうが、現代日本のように毎日のように米や小麦を摂取するという生活はありえない。新石器時代となってからも、飢饉はいくらもあり、食料の確保は最大の課題として存在し続けたはずである。

自分の子供の頃の記憶として、空腹を必死にこらえたことをとてもリアルに思い出す。晩御飯が待ち遠しかったものである。亡父は食卓を囲んだときに自身の幼年期は、さらにひもじく、昼に家に帰ると冷や飯と家の畑にある菜っ葉に味噌を付けた程度のものしかなかったなどと回想していたものである。

それでも昼飯を食べている。ネットで調べてみると一日三食という習慣は、江戸時代の元禄期あたり、それも大都市の江戸で成立したもののようだ。一日の必要カロリーは2000kカロリー程度だという。晩酌して料理食べたらすぐにオーバーしてしまいそうだ。
   
さらに、菓子類も豊富にある。和菓子から洋菓子、スナック類などなど。スーパーで買い物をすると、このコーナーの誘惑は実に強く抗うのに一苦労だ。コンビニに入っても、また然りである。

なかば隠居暮らしとなった昨今、それほどエネルギーを使うこともないのだし、子供も家を出たし、相方は晩御飯を一緒に食べるくらいだし、ひとつやってみるかと始めたのが、一日一食暮らしだ。
 
 
勿論、お茶やコーヒーを飲む時に、お茶受けの甘いものを食べるし、低脂肪の牛乳や蜂蜜を水で薄めたものを水筒に入れて畑や海にも出かける毎日である。空腹を楽しみ、水分の補給でやり過ごす。そして、かれこれ2月が過ぎた。週に一度のテニスレッスンもまったく問題はなし。何度か1時間以上のウォーキングもしている。体重は3㎏ほど下ってきた。60㎏あたりがベストな感じだ。

一日三食が当たり前なんてことはない。もっとも、これといった仕事もしていないのではあるけれど。空腹感はそれほど持続しない。イスラムのラマダーンなんてのもなるほどと思えるのだった。
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