美しき流れ そして、美しくなれない部分
 
常滑レポート index
12/22  美しき都会
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感動せんとや
稔りの秋に
バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
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過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   




2005~2011  常滑レポート index
 今年は外の世界を見て回ることが一つの目標であった。春から初夏にかけて何度か東京横浜に出向き、晩秋から初冬にかけてまた東京・横浜・京都とうろついている。

 夏は中津川にてフィールドワークの仲間に混ぜてもらったくらいで、あと、多治見の町を歩き回ったこともあったか。こうしてみると年度初めの目標は中だるみの印象が強く、あまり達成度は高くないのかもしれない。

 東京で過ごした学生時代は70年代後半であった。その頃と比べると、2010年代のこの大都市は素晴らしく綺麗で洗練されていると強く感じるのだった。

 皆があたりまえにタバコをくわえて歩き、吸殻を道に捨てて踏み潰していたのが、今やタバコの吸殻を街中で見つけることの方が難しいのだから、その一事をとってみても大きく変わったことがわかる。
 
   
 巨大なビルは新宿にまとまっていたのだったが、いまやどこもかしこも巨大なビルが建ち並んでいる。そして、世田谷あたりを歩いてみても、みんなお洒落な家ばかりだ。そして名古屋を見ても京都を歩いても同じような変化がある。

 洗練されていく流れは、都市や町の進化論的な動きなのに違いない。そして、その流れに乗れない部分が過疎化という流れであり、シャッター街となった銀座通りという淘汰圧に呑まれた姿であり、信用金庫の立てこもり事件や強盗殺人事件のような形で噴出する淘汰への抵抗エネルギーの表れなのだろう。

 そして、阪神・淡路や東日本の3.11のようなカタストロフィーが訪れる。お洒落なメガロポリスが跡形もなく壊滅するイメージは未来小説やSF映画の世界ではなく現実に起こりうるのだと教えてくれたのが、あれらの巨大災害であった。
 
 CO2の削減目標も、リサイクルやエコ運動なども、都市の洗練された環境に大きく貢献していることは、自動車がひしめく幹線道路の歩道を歩いていても、ほとんど空気の汚れを感じないほどであることから判るのだ。

 がしかし、その一方で福島第1原発の事故はいまだ終息する見通しも明確ではないし、大量にばら撒かれた放射能物質の処理も先が見えない。そして、エネルギー政策も方向性は一致するとして、現実の問題はどれも袋小路に入り込んでいる。

 要するにすべてが都合よくいくということはないのだと。そう言ってしまえば元も子もないのだが、やはり真実なのだろう。所詮、人間のやることだ。人類にとって好都合であっても病原菌たちには最悪の行いなのだ。なんの悪さもしないゴキブリやハエも居辛い世界になってしまった。

 セシウム137やコバルト60も、いやいや高レベル放射性廃棄物こそが、その存在を抹消したいものの筆頭なのだろう。それが、自分たちの都合で生み出されたものだとしてもだ。そして、超深度の地下埋設埋設の方法は良しとして、どこの地下だったらそれが可能なのだということだ。
 
 
 地上に存在する物質は、すでに存在していたものを人類を含む環境が作用させて変成させたものに過ぎない。環境の中には太陽光や隕石・宇宙線まで含めてだが。だから、所詮はコップの中の出来事に過ぎないと大極的には見ることができる。

 しかし、現実問題としてのNOT IN MY BACKYARDという感情、そして、居住権や生存権のような人権を政治はうまく処理できない。その先に人類の破滅という問題が透けて見えてしまうのが、その問題の根源にあるように意識るのだし。

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 さて、そうこうするうちに北朝鮮やイランが核武装の体制を取ろうとしている。いや、すでにとったのか。かつて、この国がアジアに植民地を広げ、世界を巻き込む戦争に突入した根本のところに軍拡競争があった。  
 
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2005~2011  常滑レポート index

 
 西洋列強のアジア侵略からのアジア人民の自立という背景と共に軍拡路線に進んだことは、軍部の無謀な暴走にハードを提供することであった。そして、今、その100年前の歴史に時間を巻き戻せば、この国も核軍備ということにならざるをえない。

 現実的には既にUSAの核の傘に下に隠れて久しい。そして、その傘に対する、いや傘の持ち主に対する不信が鬱積している。いよいよ、第3次・・・の助走が始まるのだろうか。

 とりあえず来年は少しなりとも動くうちに、できるだけ体と頭を動かすことを目標としよう。メタボリック指導など受けなくても良いように。