夢のような  
カメラを新調してから、月を見るたびにレンズを向けてしまう。綺麗な月を見ると、その欲求に抗えないのだ。そして、その月面の凹凸を見るにつけ、ズーミングする前と後の違いに驚く。

真ん丸に見えた月の輪郭がズーム・マックスに近づくに従って凸凹してくるのだ。そして自分が立っている、この地球だって宇宙から見ると真ん丸な球体として浮かんでいるのだものなあと思い至る。
 
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 05/26   夢のような
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2005~2014  常滑レポート index
室生犀星は故郷を遠きにありて思うものだと詠った。帰るところにあるまじや、とも。けだし、至言なるべしだ。遠くで美しく見えるものも近づけば、美しいどころではない、攻撃も仕掛けてくる。

プラスのエネルギーがあれば、マイナスのエネルギーもあって、よいことばかりでは済まされないことを禍福は糾える縄の如しと昔の人は表現したのだよね。でもって、夫婦関係なんてのも、良い事ばかりでは済まされない。
   
25年はあっという間に過ぎてしまったのだが、20年分のマイナス・エネルギーの蓄積を解消するのに5年が必要だった。その5年が過ぎて、このところまた脳内にフェニール・エチル・アミンなる物質が生成されるようになってきた。

互いに自分の主張を繰り返す内は摩擦が繰り返される。幸いにして一定の距離をおける環境があることも幸いだった。おそらく、これでまた20年くらいは上手くやっていけそうな気がする。
   
そして、四半世紀前のメールも携帯もない時代、それは手紙の時代であった。2・3日おきに届く封筒を待ち焦がれた時代だ。今の若者はラインやFBなどでいつもつながっていられる。  
 
そして、いつもつながっていれば、その近さのゆえに発生する摩擦も不可避なのではないかと。時にはメールに返信したくもない時もあるのだから。ネットの発達によって近づき過ぎてしまった距離の功罪も、そこから距離を置いて見るべきなのだろう。
   
夢のような新しい技術が現実になってみると、悪夢のような現実を生み出すというパラドックスは、人類の歴史の中で繰り返されてきたのだ。それでも人類は夢を求めて進まざるを得ないのだろうか。  
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