若者たちと
 
常滑レポート index
09/10    若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   




2005~2011  常滑レポート index
 真夏の三日間弱、炎天下の遺跡発掘作業に加わり、大学生や大学院生と時を過ごした。黙々と真面目に作業に取り組む学生もいれば、だらだらと何もしないのも中にはいる。全体を見廻し的確に指図を下す院生や、細かな図面作業を延々と続ける院生もいた。それでも単純な肉体労働になると、だらだらしていた連中もそれなりに動くのだから、まんざら捨てたものではない。

 研修所での合宿生活、夜は教授の部屋で飲みましょうかとなる。そこにやってきた学生諸君は手に手に持参の酒なのだが、これがいずれも甘い酒で、缶入り、紙パック入りのリキュール類。女子も男子もビールやウィスキー、焼酎といった甘くない酒はゼロなのであった。

 こういうところに時代の変化が明瞭に現れるように思えた。明らかに戦後という時代が終り、新たな時代に転換しているのだろう。
 
   
   
 その一方で例えば学問の世界は、と見ると、いまだに戦後時代に確立されたパラダイムにこれといった変化があるとは見えない。発掘現場に見学に来られた若手研究者と話していても、彼等は我等の論文などに眼を通していて、実に話ができるのだった。

 がしかし、そうした継承者が多数派でないことも事実であって、学部生になると、専門研究の話は難しいのが現状であり、一般社会人の多数派も彼等が担っていくのだろう。いつの時代であっても専門書を読むような社会人は少数派であったし、専門研究が大衆化するというのもおかしなことではある。

 おそろく戦後という時代は、マスコミの急速な発達と共に専門研究の大衆化が急速に進んだ時代であったと思う。ただ、それと共に圧倒的な情報が氾濫した時代でもあった。その余りに多い情報から、何を選んで吸収するのか。吸収を拒絶しているような現象が自分の子供にも見て取れる。
 
 舌ざわりの厳しい、口ざわりの悪い、甘くないものを避けていった先に残るものは何なのか。刺激的な論考はそこから果たして芽生えてくるのであろうか。いささか疑問ではある。

  そして、飲み会のなかで男子学生が愚痴るのを聞けば、一緒の車に乗って移動している仲間の中に体臭のきついのがいて、それが苦痛でならないという。これはどうとも仕様がない。車の中にファブリーズを撒くことを教授は薦めていた。
 
 
 汗をかく肉体労働がつづけば皮膚の常在菌の種類によって異臭を発することにもなろうが、当節の若者はなにかにつけてシャワーを浴び、いろんな消臭剤を使ったりしているのをよく見かける。むしろ、そうした超無臭清潔集団にとっては、かすかな体臭であっても異臭として認識され耐え難い苦痛となってしまうのかもしれない。

 汗の匂いも魅力的になるのは、免疫システムと密接に関連していて、異性はより良い遺伝子の継承を求めて多様な免疫機能を獲得するために匂いを無意識的に個体識別の指標としているという話もある。

 発掘からの帰りの電車で僕が座席に座ると隣に居たご婦人が二つほど離れた空席に即座に移っていかれた。もう、オヤジ臭の凝縮した存在になっているのであろう。いまさら異性に寄ってこられても、これまた面倒なことだ。などと強がりを言いつつ、ちょっとショックな出来事ではあった。
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