仙 境  
かれこれ1年ほど、一日一食という生活が続いている。水分の補給は意識的に行っており蜂蜜や果実酢を薄めた水や珈琲、紅茶、緑茶、抹茶なども気分転換を兼ねて毎日何がしか飲んでいる。

そして、晩御飯には酒を呑む。ビール、ワイン、日本酒、焼酎などなど。夏はロックで冬はお湯割りや熱燗だ。そのためというか米飯を食べなくなった。パンの類もまずまず食べない。
 
常滑レポート index
10/06 仙境 
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2005~2015  常滑レポート index
お陰かどうか以前は随分出張っていた腹もスッキリしている。週一回のテニスレッスン80分も普通にこなしている。胃腸の調子も良くて、以前は常備薬であった太田胃散もまったくと言っていいほど口にしなくなった。

しかし、街には誘惑がいっぱいだ。コンビニに入ればおにぎりやサンドイッチが強烈に誘ってくる。そんなときは努めて唐揚げ系の食べ物にする。うどんやラーメンの誘惑もきついものがある。ついつい、今日は特別な日として誘われてみようか、などと思うこともないではないが空腹感は持続しない。
 
麺類はごく稀に蕎麦をたべる。カップ麺の時もあれば乾麺を茹でてザルに盛ったりして。半年ほど前に名古屋駅の新幹線ホームで何年かぶりに食べたきし麺は、幸福な味というのはこれだろうと思うほどに美味しかった。そばでもそんな感じだ。

きっと酒類もストイックに一年に一度とか半年に一度、あるいは春夏秋冬に一度ずつなんて事にしたら、酒の味もことさら美味しく幸福感に溢れることであろう。イスラム教徒のラマダーンというのも食べ物の有り難さを自覚する機会として悪くはないのだろう。
   
完全に主夫と化しているのでスーパーでの買い物を日常的にしているのだが、ポテトチップスやあられ・おかき・せんべい系の誘惑も強力である。がしかし、これらは封を開けるとあっという間に全部食べてしまう。

意外にかりんとうのような、チョコレートのような甘いもおやナッツ系の小袋入りお菓子なんてのは食べ過ぎることがない。しかし、これほどの食べ物の誘惑に満ちた、しかも、その誘惑に乗れる時代などは現代の一時期の所産でしかない。
 
  
意識的に食欲を規制していないと、すぐに過剰な栄養を摂取してしまう時代だ。そして、何もかもが美味である。美味しいものに溢れている。安いものは安いなりに美味しく高いものは勿論美味しくないはずもないのだ。

がしかし、美味しいものばかり食べていると、それが普通になるというのも事実で人間は順応性に溢れている。我が家の晩餐はかなり豪華である。できる限り旬の食材を使い、和・洋・中のメニューを組み合わせ、鷄・豚・牛・内蔵系・魚と野菜の取り合わせを工夫するのも楽しいものだ。
調理法も煮炊き、蒸し、焼き、揚げ、炒めと変えて、スパイスもいろいろ使って季節感を出したりもする。食器も作家ものの陶磁器と漆器だ。外食などしたいとは思わないし、家飲みは気楽で安い。

問題はついつい飲み過ぎて記憶が飛んでしまうことが少なからず発生することだ。いずれ飲酒に対してもストイックに身構える時期が来るのだろう。その時は酒を飲んでも良いルールをどう設定するかだ。
   
 昔は正月、祭礼、婚礼、花見などの特別な日が飲酒の出来る時であった。江戸のような都会では事情が随分違うのであろうが、亡父の若い頃は晩酌もほとんどしていなかった記憶だ。僕が高校生になった頃には、毎晩寝酒のように安いウィスキーを少しずつ飲んでいたけれど。

当然のことながら時代は変わっている。街路樹のイチョウにギンナンが実を付け歩道にいっぱい落ちている。どっさり拾ってきた。ハゼ釣りもそろそろ終わりセイゴ釣りのシーズンだ。小魚の刺身や天ぷらも美味しい。そして、それにしても時の過ぎゆくのが速すぎるんだよなあ。あっという間に夏が終わり冬のというか正月の接近を予感する頃となった。枠園はラッキョウに花の蕾がいっぱい付いている。
 
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