(法隆寺築地塀)
 
そぼ降る雨の法隆寺です。


漸く来れたか・・・・といった感じでしょうか。




何で、こんなにも心が鎮まるのでしょうか、ここは。。
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(法隆寺南大門















(法隆寺南大門















(法隆寺表参道)














(法隆寺南大門と築地塀)

















(法隆寺中門














 
「伝統」とは面白いもので、歴史の評価に堪えて遺っているものは、大方それが生まれた当初、実は最先端の表現だった訳で、僕などは、法隆寺の建造物を観る視線の中に、いつも現代に翻訳しながら「それを」観ている自分がいることを意識している。なのでモダンアートを観ているときの「この作品のコンセプトは何だろう・・・・」といった視線と変わらない。



そう言った訳で、ここ斑鳩の歴史遺産は、いつ来ても新しい。なかでも法隆寺・薬師寺は特別だ。その新しさに歴史の厚みが加わるのだから、そこには濃~い時間と空間がある。



日本で最初の憲法「十七条の憲法」を制定したのが、この法隆寺を建立した聖徳太子と伝えられている。そして、この「法」だが、吉本隆明氏によると「宗教がまずあって、その中のいちばん固い部分が法律になった」ということ。その言説をストレートにそのまま体現したかのような名の法隆寺。そんな原初的な点も何か惹かれる由縁があるのでしょうか。

(五重塔)



























(法隆寺金堂天井板の落書)













(法隆寺金堂天井板の落書)
法隆寺建立に当たっては、当時の工人達は、相当長きにわたって遠く家を離れ、性的にも抑圧された生活を余儀なくされたことから、こうして男根等性的な落書を書き殴ることで発散していたものと思われます。その上の「髭のある男の戯画」は、金堂の天井板の蓮華文様の白下地の下にはいっていて、この蓮華文様を描く前に描かれたことが想像できます。顔の下に「大畏」という文字があるところとから想像すると、この顔は、口やかましい監督官の似顔絵であろうか。(角川書店 世界美術全集 日本(2)飛鳥・白鳳より)





ちょっと休憩

本日、神奈川県シニアリーグ六十雀の試合が平塚大神グランドでありました(むちゃくちゃ遠い;;)。相手は小田原六十雀。今日は、トップを張ってFWをやりましたがバーに二度嫌われ結局ドローでした。一方的に押していたのですが、ダメなときはダメですね;;その時の画像が YUOTUBU にアップされました。

小田原CBのパスミスを我がチームのトップ下がカット、そこから出た縦パスをサイドにはたいて前に駆け上がり、センターリングされたボールをダイビングヘッドしているのが僕です(転んでいるのではありません;;)
↓↓




楽しんで頂けたでしょうか・・・・・って自分が一番楽しんでいる訳ですが。。

釿(ちょうな)による工作.........竹中工務店HPより) 
 
さて、上の画像にある天井板の「ちょうなの刀痕」ですが、僕は鎌倉彫の出身なので、何と自然で美しいのだろう・・・と、ついじっと魅入ってしまいます。

 現在の鎌倉彫は、機械で工作した平滑な板材に、後から”ちょうなの刀痕”を象徴するかのような小刀による刀痕をつけます。これがどうしても不自然で作為的に感じるわけですが、本来は鉋という道具が未だ生まれていなかった時に、気の遠くなるような作業を、この「釿(ちょうな)」という道具を使ってやっていた訳です。
そういった謂わば”作業痕”は、人が苦労した痕跡でもあるので、どうしても見るものにある種の感動を与えます。



現代美術が、ある意味「動詞の表現」といえるのも、「叩く」「打つ」「削る」「割る」「彫る」から始まって「焼く」「結ぶ」「並べる」「数える」「沈黙する」「何もしない」と言うことを”選ぶ”に至まで、人はあらゆる人為に感動の芽をもちます。そして、そこに表現の始まりがある為に,現代美術はそのこと自体を追いかけることで,表現の原点を確認しようとしたように思えてなりません。
 
(「刻む」 by Lee U Fan)
 
 上の画像は、李禹煥作の「刻む」と題する板材に角鑿でオールオーバーな刻みを入れるだけの作品ですが、これは象徴的な作品で法隆寺建立から大凡1400年を経ていますが、そのコンセプトは、恐らく人為というか人がある目的をもって加工することそのこと自体をデジタルに視る視線(=ミニマルな視線)を獲得したゆえ想起される表現だと思えます。行為そのものは、1400年前の「はつり」と変わりません。そして、きっと Lee U Fan は、法隆寺の天井板ではないにしろ、同じ様な過去の細工痕の残された材をどこかで視ているはずです。そして、そこから感動とインスピレーションを得ていると思います。  
































































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古木と漆喰のコントラストが美しい。



西院伽藍廻廊の柱は、遠くギリシャの影響からエンタシスになっている・・・・・と、確か中学の修学旅行でガイドさんから聞いた覚えがある。ギリシャやローマとは、物理的スケールが桁違いに小さいが、それでもシルクロードのどん尻まで荘厳さを演出する手法が伝わってきているという事実に唯々驚くばかり。
 




























 
 
人間、本当に美しいものに出会うと、それを上手く喩えるというか、形容する言葉が見つからない。黙ってじっと魅入っていたくなる。恋愛と同じだ。。
  




























(礎石も魅力的だ)



























(東院回廊)
当時仏教を取り入れるということは、今で言ったら最先端の「知」(科学)を学ぶことと同じ意味合いを持ったはずで、若い坊さんは、みなエリートで嬉嬉として教典を読み耽ったに違いない。その意味では、今「寺」が醸し出す雰囲気とは、まるで違った聖域だったと思う。どういった思いに駆られ、この回廊を闊歩していたのだろう。  
この法隆寺に引き寄せられる理由がもう一つある。それは、宝蔵に収蔵されている『伝六観音菩薩像』が、小学二年の時密かに想いを寄せていた同級生のXさんに瓜二つで、会う度にもの静かで伏し目がちな彼女とすっと重なる。五十四年振りに会ってみたいと時々想うけれど、ここに来れば当時の儘の彼女に会えるわけだから敢えて皺くちゃな爺さん婆さんを確認することもない・・・こともないのだ。最近、小学校や、中学校、そして高校の時の同級生に無性に会いたくなる。爺婆を確認するのも、それはそれでいいような気もするのだが。。



大分不謹慎な方向へ脱線してしまった;;





法隆寺では、また新たな発見があった。僕は、朝鮮の三国時代(新羅・高句麗・百済)のうち百済の「美」が優れて洗練されていて好きだ。あんなに狭い地域に、こんなにもしっかりとした質の違いがある事自体が驚きだが、こんなにも百済に惹かれるのは、おそらく、僕自身がモダニズムの洗礼を受けているからだと思う。あの百済の加飾を抑えたシンプルなところが、とてもすんなりと自然に自分に入ってくる。
 











(百済の古瓦)










「かさこそと、そして百済へ寄り添ふ」...........部分











「かさこそと、そして百済に寄り添ふ」
  

この百済の古瓦に魅了され、何とか作品化できないか・・・・・その想いで作ったのが、上の画像「かさこそと、そして百済に寄り添ふ」です。  
 
 この百済様式の光背の蓮弁も作品化したのですが、作品が古く、ちゃんとした画像がありません。既に人の手に渡っていますが、確かタイトルが「そっと耳を澄ませてみたら、釘の落ちる音が聴こえた・・・・」だったと思います。画像がないのが残念です。  
 
(古瓦.................高句麗様式)













(古瓦.................新羅様式)
 
装飾的な高句麗様式、そして百済ほどシンプルで洗練されてはいないけれども、高句麗ほど装飾的でない新羅様式。 入門した鎌倉彫宗家博古堂に、この新羅様式をコピーした香合があったが、数少ない鎌倉彫の秀作だった記憶がある。でも、やはり百済だろう。  

(百済観音光背) 












(「百済観音」........虚空像菩薩)
 
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百済様式の蓮弁紋はシンプルではあるが、その量感は豊かで肉感的ですらある。指で押すと弾むような弾力があるのでは・・・・と感じる。そのフォルムも隅から隅まで神経が通っていて、ぎりぎりまで無駄を削っている。そういったストイックな精神性が、現代社会の中でベイシックになったミニマリズムの精神性と重なり、感覚的にストンと僕らの胸の中に落ちてくるのではないだろうか。



数年前、初めて国外(フランスはパリ)に持ち出され展示された百済観音が、当地で絶賛されたのも、モダニズムが完成した先進諸国で共有するミニマリズムが、時代の精神基盤を共有していたからだと僕自身は理解している。



本当のところ、この明日香斑鳩篇は、三月の初めにアップするはずだった。そして震災。もう4ヶ月が経とうとしている。そんなわけで、雨の法隆寺で書き始めたわけだが、実際は雨の薬師寺からが、斑鳩の事始だったことを今気付きました。そんな訳で、このあと薬師寺に触れると、このページが長くなりすぎるので、それはまたの機会に回して今回はここまでとします。長々とお付き合い頂きありがとうございました。
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