(明日香村)
 
アップしたかった奈良の画像を、先の震災で、アップできずにいた。とてもそんな気になれなかったというのが本当のところ。でも、ここにきて福島原発の件も根本的な解決は、ずっと先になりそうなので、覚悟が出来たのか変な余裕が出来てきて、ようやく奈良のことに触れる気分になってきた。
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何故だか、明日香路には煙がよく似合う。




大和には 群山あれど とりよろふ

天の香具山 登り立ち

國見をすれば國原は 煙立ち立つ

海原は 鴎立ち立つうまし國ぞ

蜻蛉島 大和の國は 
                   舒明天皇 巻1‐2




























(聖徳皇太子御誕生所 橘寺へ)
明日香村に入ると、端から端まで余すところなく散策したくなる。もう、その辺何処でもいいから、まるで落した財布を捜しているかのように、あるいは犬が骨を埋めた跡を探すかのように、どんな詰らなそうに見えているところでも、ちょっと掘り返せば宝の山の観。



先回来たのが3・4年前。その時は冬で、大阪での個展を終えて寄ったところ、大雪で断腸の思いでスルーした亀形石造物(カメガタセキゾウブツ)だが、10年ほど前には、まったく影も形もなく、明日香村には、歴史的に重要な遺跡がまだまだたくさん眠っていることを実感させられた。発見場所とその方角が、どうしても酒船石に関連付けたい欲求を抑えきれないが、そんな浪漫が、ここにはゴロゴロ転がっている。
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この亀形石造物だが、現場にいらしたボランティアのガイドのオジサンの話だと、近くの万葉文化館へ続く道路を掘削していたとき偶然発見されたそうだ。それも通常は、これ程深くは掘らないそうで、たまたまこの遺跡の端にあった石を積んだブロックの一部が露出しているのを見つけたことから、こんな立派な遺跡を発見するに至った・・・・ということらしい。今でも渾々と湧く清く澄んだ湧き水を、毎日ポンプで処理するほどだという。



ワクワクするほど見事な遺跡が偶然発見されるほど、この地は歴史の宝庫であることを改めて知った次第です。




今回の明日香・斑鳩散策で改めて知ったことがもう一つ。



どんな歴史の教科書にも載っている、あの「興福寺の仏頭」だが、実はこの地の山田寺で発見されたものだという。僕自身は、興福寺も火災で様々な貴重な建立物その他を焼失していたので、もともと興福寺にあったたものとばかり思っていたが、平城京遷都の後、興福寺の実権が強まり、元々は山田寺のこの仏頭が献納されたという。



この山田寺の遺跡を観ることが出来るというので、汗を拭き拭きママチャリ・レンタサイクルを漕いで一路山田寺へ・・・・・・・。
万葉文化館

(興福寺仏頭)



















































(山田寺礎石)
 
 
そう、もう何年経つのだろう・・・・・あるgalleryからのお話で、関東一円を仕切るヤクザの組長の新築祝いで縁起を担いで「昇り龍」を彫った作品を作ってもらえないか・・・・・というオーダーがあった。ヤクザであろうが、何だろうが、galleryに依頼されれば断る理由はないので僕は引き受けた。



組長の女将さんが、僕の作風を観たいというので、永田町の全国町村会館のレストランにある壁面作品をお見せすることを伝えたところ、是非ということで出掛けることとなりました。
 

全国町村会館 レストラン「皀莢」 壁面作品
 
確か京急川崎駅に白塗りのデラックス車が送迎のため回され、下っ端?の運転手が、わざわざ車から降りてきて後部座席のドアを開けて「どうぞ!」ときたので「ありがとうございます!」と返答。



永田町の作品の良さは、多分お分かりになならかったと思います。その帰り車中で女将さんと、いろいろなお話をしました。組長もその女将さんも「在日」であることを憚らず、その点がとても潔く爽やかでした。こちらもそういったことを気にも留めず、ずけずけといろいろな質問を続けていましたし、あちらも好意的に朝鮮の慣習等興味津々なお話を聞かせてくれました。



・・・・・・どういう流れでそうなったのか、今では思い出せないのですが、そこで奈良の話が出たのです。



「僕、奈良が好きなんですよね~」と伝えたんです。そしたら、組長の女将さんも「私も奈良が好きなんです」と応えるんです。「えっ、何故ですか?」と返したら「実は、奈良明日香の高台で広い平地や丘陵を眺めると、遠い朝鮮半島の原風景と重なるんですよ」「それに、朝鮮半島の大地の色が、奈良と同じで黄色味がかった土の色をしているんです。なので奈良は望郷の念で、遠く朝鮮を偲ぶことが自然と出来るところなんです」と仰っていました。



・・・と、突然 「先生、”なら”って朝鮮語でどういう意味かご存じですか?」

「いや、知りません」



「”なら”とは、朝鮮語で祖国=国という意味なんです」・・・・・・・。



僕は、このお話をお聞きして、以前から引っかかっていた日本文化の謎がす~っと解けてゆくのを感じました。それは、「奈(な)良(ら)」の意味がどうしてもその字面からは掴めないな~、何故 nara なんだろう・・・・ということです。



そして、以前大好きだった日本文化の象徴とも思っていた薬師寺の藥師三尊像の文献を漁っていた際、その観音像の背中の部分がパカッと開き、当時の工人の名が刻まれていた史実を思い出したのです。そこには、別所とか阿部とか、もの凄い高貴な朝鮮からの渡来人の名が刻まれていたのです。薬師寺だけに限らず奈良は、正しく朝鮮文化そのものだったのです。それに気付いたときは、ちょっとショックでした。純日本製(こんなものあるはずないのですが)だとばかり信じていた 藥師三尊が朝鮮からの帰化人が制作した・・・・・・。これをどう解釈すればいいのか


・・・・・・・。

組長の女将さんとお話しして、大きな謎が解け、とてもいい邂逅を持ったことを感謝しました。

そんなわけで、僕のDNA にももしかすると半島の血が流れているのかな~なんて想ったりします。






・・・・・・ つづく

  

(飛鳥寺にあった掲示板)

(飛鳥寺から明日香村を臨む・・・・・)
 
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