(定盤の上の生漆です。。)
画像は、樽から出して数秒経った生漆です。。。。アブストラクトです♪



天然のなま漆は、ゴムを採取するのと同じ手法で、漆の木をV字に溝を彫り、そこに染み出すほんの少しの液を腰に下げた樽に掻き入れます。



      ←こんな感じです
              
          (漆を科学する会HPより)

鎌倉彫の修業時代、先輩に「どんぶりから出した生漆の色を、そのまま定着出来ませんかね。。?」と問いかけた。「・・・う~ん、分かるけど無理だな」というのが先輩の答え。



そうなんです。元々天然の漆が、掻き落とされた幹から出た瞬間は、丁度牛乳のような乳白色です。空気に触れた漆は、その瞬間酸素と反応して酸化し、茶色に変色します。それは、数秒の出来事です。それが上の画像の様な色合いで変化していきます。無茶苦茶綺麗です♪


朱漆を定盤上で練り棒を使い練っているところです。
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漆を、あまりご存じない方は「うるし」と聞くと朱色を連想するそうで、天然の漆は、真っ赤だと思っている方が結構いるようです。以前、ドイツの取材を受けたときもカメラマンが「朱漆を撮影されてくれ」というので「いいですよ」と、丼に朱漆を濾している様子を撮影していたところ、ドイツの東洋美術のジャーナリストとカメラマンが大喧嘩を始め、ありゃりゃ・・・・???と慌てたことがありました。



事情を聞くと、どうやらカメラマンが「うるし」=「朱」と勘違いしていて、それをジャーナリストがさとしたところ、意見がすれ違い喧喧諤諤やり合っていたのを思い出します。そうなんです、漆は元は、乳白色、乾くと飴色に変色します(百年ほど経てば透明)。


「朱練り」・・・・・練り棒と定盤


練ることで、漆の極めを細かくし、朱色の発色を良くすることが出来ます。

結構、重労働です;;;





漆の樽(ボール紙で出来てます)
僕が約30年間贔屓にしている漆屋さんは、福井の『澤田漆行』さんです(頑固です)。去年、お孫さんに御用聞きをバトンタッチしました。

澤田さんは、「艶消しうるし」を得意としています。他のうるし業者さんから、艶消しうるしを頼まれるそうです。僕は、品のいいということで、ほとんど艶消しうるしを使っています。



縄文から続いている漆工芸ですが、それ故、うるしは万能というような怪しげな神話も多くて困ります。僕自身「うるしという神話」には絶対寄りかからない・・・ということを旨としてやって来ました。表現として自分の作品はどうなのか・・・・それを第一義としてやってきましたが、この歳になると、それすらどうでもいいことに感じるようになっています。今なら「うるし」は好いですよ!と素直に言えるような気がします(以前は、こっぱずかしくて、そして、いかがわしくて、とてもそう素直に口に出せませんでした)。



ただ、今でもうるしに関して言えることは、「今」に根付く漆表現は、決して従来の表現を踏襲しているだけでは先が見えてしまう・・・・という事実です。つまり、たとえ漆が前近代の素材だとはいえ、昔あったスタイルをなぞってみても始まらないということです。やはり、コンテンポラリーな表現に置き換えることは必要です。現代の生活様式に沿ったスタイルを、常に提案し続けることがなければ、やがて死滅して行くことは必然です。



上の画像のように、本来下地に使われていた「錆びうるし」を仕上げとして完成型にしている作家は、今のところ僕以外にはいそうにありません。この表現の発想は、「コンクリリートの打ちっ放しの肌にも耐える、そして、マッチする素材」として錆仕上げを提案しました。つまり、錆仕上げの肌は、ざらっとした乾いた都会の生活観にすっと溶け込む質感・・・という感覚から生まれたものでした。


(錆仕上げのオブジェ.......『深海からの泡が弾けたときに・・・・』
以前、角偉三郎さんが、「地塗り」と称して、輪島の地塗りを仕上げとして表現したことがありました。それは、僕の錆仕上げと同じコンセプトだと思います。結局、それはあまり成功したとは言えず、その後、角さんのレパートリーからなくなったように思います。



彼が初めて青山で個展をもったとき、僕は、近くで二度目の個展をもっていたこともあり、知人の紹介で会いに行きました。僕は、ファインアートも含め当時の個展のテーマが「錆びうるし」だったので、錆仕上げの作品の写真やDMを彼に見せたところ痛く感動して「錆を表現の素材として使っている作家は、他にいますか・・・・?」と興味津々と言った風に質問されたことを覚えています。



色々話をしましたが、当時角さんは「実は、もっと表現主義的な、あるいは、装飾的な表現をしたいと思っている」と正直に胸の内を語ってくれました。その点、僕のテーマとも重なり、かなり話が盛り上がり楽しい時間を共有できました。



その後、角さんは、問屋にせっつかれて、正直生活のために「合鹿椀」を作らされていたのでは・・・と輪島の知り合いから聞かされました。勿論、柳田村の合鹿椀は、素晴らしいし、嫌いではなかったでしょう。でも、心底作りたかったのは(実存を満たす表現は)もっと別の装飾的な仕事、つまり漆そのものではなく、漆という材質の持つ特性(蒔絵のように、その吸着性・接着性・絵画性など)を生かした表現だったのでは・・・と思われます。その意味で、亡くなってしまったことはとても残念です。


今日の作業場
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新厨子を支える工人
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漆という素材は、前近代の素材です。なので、それを使って新しい表現をすることは、まかり間違えば、トンチンカンでずれたものになる危険性大です。漆のDNAの声を聞きつつ、コンテンポラリーな表現を模索し続けなければなりません。そこが、微妙で難しいところです。。。



今年に入って、中国産漆は円高差益もないまま、また値上げされました。日本産の漆の生産量が、全体の消費量の1%に過ぎない現状で、漆工芸の世界で新しい作品を作り続けていくのは、いろいろな意味で大変です。でも、まだまだ出来ることは沢山あるように思います。