(『布着せ拭き漆Taku(卓)』・・・・1986 年SAVOIR VIVRE)









(『布着せ錫研きBan』・・・・1986 年SAVOIR VIVRE)





(『布着せ錫研きTaku(卓)』・・・・1986 年SAVOIR VIVRE)







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06/22 鎌倉彫・・・(2)
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未だ、カンナ目(電気カンナで削り痕を残したもの)を鎌倉彫の片鱗として出している程度でした........................

(1986  SAVOIR VIVRE個展DM...........photo by Kaji)


(裏山の杉の小枝に凧糸を巻いて漆で仕上げた箸置き)








(金彩に漆と土で作った錆び漆をヘラ引きした椀)
現在の六本木の発信源は、森ビルの六本木ヒルズや、ここへ来て東京ミッドタウンへと移ってしまいましたが、当時は、飯倉片町の AXIS が六本木文化の発信地でした。このAXIS ビル のなかにSAVOIR VIVREがあり、当時生き馬の目を抜く勢いで、日本では初めての洋風懐石という提案と同時に、実際お店(kisso) で使われている器を、隣接したショップで販売するというコンセプトで一世を風靡していました。最早世の中は、「何でもあり」の時代へまっしぐら。

そう言った背景が背中を押し、ついにキッチュな鎌倉彫をリニューアルして世に出すチャンスを得、「椿梅椀」のお披露目と相成ります。

「顰蹙(ヒンシュク)を買うだろうな。。。」とビビリながら発表した椿梅椀でしたが、意に反して好評で正直拍子抜けしました。そして、何とかこの世界でやっていけそうかな~と感じたのです。






その後、鎌倉彫と呼べるかどうかは別として、今日まで沢山の彫りの入ったものを作って来ましたが、在庫は一点もありません。つまり作ったものは、すべてはけてしまったということになります。これは彫木漆塗り(鎌倉彫という呼称のない頃の名称)が、それなりに人々に受け入れられる証でもあります。

近代化以前にあった意匠も、工夫さえすればモダンな意匠として再生は可能です。勿論、ポストモダン以降の社会では、昔の意匠を他の要素と組み合わせ、そのまま使うこともありです。

六本木SAVOIR VIVREでは、自由奔放もうやりたい放題にさせてもらいました♪
以下、当時はデジカメもなかったので、あまり上手く写真を撮れず、放っておいた画像を、この際、天こ盛りにアップ致しましょう。

(KOTOBUKI-JU蓋上部)


(KOTOBUKI-JU)













(shishi-合鹿椀)


(shishi-合鹿椀)


(shishi-Ban)


(獅子唐草紋.........緑青)
平面に彫られた彫刻は、絵画とは違って独特の雰囲気を出してくれます。ただ、仕上げるまでにかなりの時間が必要なので、どうしても割が合わず「これぞ!」というものに限定されてしまいます。それに、ちょっと間違えるとダサイ鎌倉彫へと転落してしまう危険性も併せてもっていますので気が抜けません;;;。

まだまだ沢山作品を作りましたが、当時はあまり画像で残そうとは考えていなかったため記録漏れが多いのが残念です。面白そうなのが見つかりましたらまたお見せしたいと思います。

最近は、ようやく鎌倉彫出身であることを屈折無く、自信をもって素直に表に出せるようになりました(歳でしょうか;;)。これからも、彫りの面白さを、続けて提案していきたいと思います。

お後がよろしいようで。。。

彫りを待つ古典室町椿紋香合..........2008.06.22  pm 0622