(逗子市沼間 宝篋印塔 1980年頃)
僕の住んでいる沼間に『宝篋印塔』がある。

「道の辺史話総集編 逗子道の辺百史話 三浦澄子編」によると、この『宝篋印塔』と僕のお気に入りの五霊神社周辺には、鉄滓(てっさい)=(製鉄の際、砂鉄と木炭を炉にいれて燃焼し、砂鉄を還元して鉄を製造します。その際、砂鉄中に含まれる不純物は高温で熔融し、スラッグ『鉱滓、ノロ』として排出されます。)の出土が見られたとも伝えられる。

2007年現在の宝篋印塔

(五霊神社)
そして、僕が住む沼間は、平安時代、鎌倉の沼浜郷に属し、源義朝(頼朝の父)の沼間邸が置かれていたという。

「観智院銘盡」という重文の古文書に、「沼間藤源次」の名が見られ、後鳥羽院の頃の刀鍛冶として名を揚げられているとのことだ。

このことは、鎌倉鍛冶の名刀工・相州正宗の源流ともいえる刀鍛冶が、このご近所に住んでいたことになる。
 
この話しを知ったのはごく最近だ(「道の辺史話総集編 逗子道の辺百史話 三浦澄子編」による)。
 正宗といえば、僕が修業時代、鎌倉駅の踏切を超えた西口側に、あまりパッとしない呈で小さな店を構え、べらぼうに高い包丁を陳列していた。当時、鎌倉彫の修行の身だったので刃物には興味があり、何度か店に入ったが「冷やかしはゴメンだよ!」といった風で、プライドだけは高かった記憶がある。

2007年現在の宝篋印塔 表側
27年程前、作家として食えずにいた頃、かみさんの念力が通じ運良く県営住宅に入居できた。この低所得者住宅棟の下に『宝篋印塔』があり妙に惹き付けられたことを覚えている。当時は、文頭にある画像のような趣のある群塔であったが、地盤が不安定だったのか、現在のようにフェンスで隔離されてしまいとても窮屈で残念だ。

(自作の道具........すべてハガネです

(僕の鑿 親父の形見も何本かあります


(鑿でのハツリ)
ことある事にお参りしていた「五霊神社」が、鉄滓の出る土地にあり、この地沼間が、嘗て刀鍛冶が住んでいたというのは何かの因縁なのだろう。
 樹齢600年を超えるという大銀杏の存在だけが僕を惹き付けた訳ではなく、僕が刃物を使って彫刻をする仕事に就いている者であることを、この霊地が知っていて僕を導いてくれていたのかな〜とかってに解釈している。

また新たな気持ちで、五霊神社に参拝できる喜びを感じている今日この頃であります..................。

(五霊神社大銀杏 pm 1:41)