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日替わりで色々トンデモ事件が発覚するので、本来「今」やらなければならないことが後ろにズレる。「今」やらなければならないこと..... (本当は、このことに触れたかったのです)それは、頓珍漢な輩がコロナの罹患者や医療従事者を忌避したり差別している現実にどう向き合うかです。


結論から言うと、本来、罹患者や医療従事者は「地域資源」だということです。?なんのこっちゃと思われる方もおられるでしょう。実は、僕は地域資源マネジメント研究科というジャンルの修士号を取得しました。院では、主に地域資源とは何か、そして、地域資源をマネジメントするとはどういうことかを研究。


その研究過程で気付いたことは「資源」と「資源化」とは位相が違うということです。但馬の様な過疎地にいると、山陰ジオパークやコウノトリの野生復帰という分かりやすい物語の地域資源を主軸に研究を進めるのが主流です。でも、この物語は、僕に言わせれば既に飽和状態です。今まで以上に資本を投下しても、地理的条件(関西圏の主要な都市からの距離等)や物流のキャパを考慮に入れると好転する可能性は限りなく少ない訳です。

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そこで「資源化」という考え方が出てきます。これってアートと同じで、今見えていないもの(資源)を「見える化」する志向性をいいます。なので「見える化」する以前は見えていないことになります。つまり資源化とは、ひとつの「illusion」なのです(専門的にはベクトル変容といいます)。これはアートと同じで「理想的な情景」を志向しながら紡ぎだしてゆく営為になります。。


たとえば、その辺に落ちている落ち葉は、散らかっているから搔き集めて捨てる・・・・これじゃ「貴重な」資源を捨てていることと同じです。ここに目を付けて料亭に添え物として商品化したのが、四国の過疎地の方々の成功例です。落ち葉を商品化しようとした村民の方の視線の先には、落ち葉がご馳走に添えられた風景として見えていたはずです。なので当初は、ご本人にも商品化した落ち葉は視覚には映っていないイマジネーションというか「illusion」に過ぎません。


同じ意味でコロナに感染した罹患者やその治療に当たった医療従事者は、物凄く分厚く、かつ貴重なリソースを持った「地域資源」なのです。

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筋トレで尻が痛い💦 

いやー長かった~、ほんとコロナかと思った。僕は風邪をひいても熱が出たことないので全く根拠なくアナウンスされた37.5度には届かず、でも頭痛は酷いし喉もイガイガするし....が一月ほど続いていました。


そんな中、昨年こちらに越してきて直ぐ偶然見つけた無茶苦茶旨い中華料理店(お隣の桐生市)は、今頃どうしているかなぁ、と気になって先週ひとっ風呂浴びた後出かけてみました。汗が引かずに道にも迷いながら閉店間際に漸く着き完食。大汗をかきながら帰宅.....これが良かった様なのです。


お陰様で、久し振りに筋トレ。今日はご近所の公園に出掛け緑が濃くなった芝を踏みながらドリブル ect のトレーニング。
 
何故だか筋肉痛は心地いい♪
 

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そんなこんなで、コロナに罹ったであろう知り合いに、いろいろ症状や処置を伺ったものの病院からの指示は「葛根湯と頭痛薬で凌ぎ、重症化したら救急車を呼びなさい」といった内容。え~っっていう感じ、でもこれ本当の話。

罹患した知り合いも、そのまた知り合いからうつったらしい(連絡が取れなくなったというので確かかなと)。関係性にもよるが、流石に「私コロナでした」とカミングアウトするのは勇気がいる。


...... でも、こういった状況は、非常にもったいない話で、罹患した方々は、未だ未だ全貌が掴めていない新型コロナウィルスの感染状況や、その実態を、身をもって死と隣り合わせで生還した方々。いわば超レアな「資源」であり宝だ。
 

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 「資源」は、何も石油やダイヤモンドといった物質的な「もの」だけではない。目には見えない「人と人の関係性」の様な「こと」であったりもする。そして、今回の様に、普段は負としてカウントされる「感染」という事実も、状況によっては貴重な「資源」になる。

ただこのことは、僕にとっては常識でも、未だ一般的にはアカデミックな世界でも「関係性」や普段シャドウ・データともいえる「こと」を「資源」と呼ぶことには抵抗があるようです(院の教官もそうでした)。でも、負の要素を資源としてカウントすることは僕らにとってプラスになることは明らか。常識になるのは時間の問題だと思う。


そして、「負」を「資源化」するには、「人間とは何か」、「人にとって幸せとは何か」という視座が根底になければ見えてこない。「視線」の内実は、ある方向性(≒倫理性≒公平性)を持った意志になる。そのベクトル変容は、志向性を支える人間観が規定する。その意味で罹患者をまるで犯罪者の様に忌み嫌うのは愚かだ。

何故って、本当かどうか怪しいが、6月8日時点で日本のコロナによる死亡者は、たったの916人。人口が1億2650万人とすると貴重なリソースを持った0.0007%の方々になる。電卓を打っていると間違いかなぁと何度も打ち直すほどレアな数値だ。
 
話が、あっちゃこっちゃ飛び申し訳ありません;; ↑ 上の画像頂きものの段ボールを潰していた際、発見?した切手群であります。

index に載せた back fike「エピステーメ」を昔、古本屋で購入したものの積読でもったいのでどうぞ!ということで頂いた雑誌を梱包していた荷の裏側です。20拾円切手とは、これまたレアな。。
 そう「資源」でした。

先日、地域の古い資料を入手する際お世話になった方に連絡を取った。当然コロナの話が出る。その方が言うには「隣の太田市で感染者が出たので、先ず地域を特定し氏名を突き止めなければ大変なことになる!」と仰る。「あの~結局コロナって60%の人が感染しないと本当の意味で終息とは言えないんですよ。今は、順番に罹るシステムをバランスよく合理的に作る段階です」って伝えたらトーンが少し下がったように感じました。


僕のところは適度に田舎なので、コロナにまつわる愚行は今のところ目立ちません。でも、第二波、第三波が来たら分かりません。スペイン風邪も第二波の方が10倍酷かったということですので。新型コロナウィルスの変異も凄く早く手強そうですし。僕としては「罹患者やその医療従事者」を負の遺産として囲い込むことから「地域資源」として読み直すことを進めたいのですが。。


そんな中、例年この時期に配られる「定期健康診断」の通知が届いた。この中には、血液検査も含まれる。そして、抗原検査は、ほんの一滴の血液があれば瞬時に済むようで、ならばこの検査を組み込んでしまえばいいのでは…・と保健所と県の保健センター(何と足利市にある)に意見具申した、駄目元で。。
 
 もちろん実現しっこない。ただ、不安中で同調圧力の強い日本では、「私コロナに罹ったことあります」なんて口が裂けても言えない。なのでPCR検査は、それ自体時間もお金もかかるし、何より感染者を陽性として特定しちゃうので口外出来ないし公表できない。


これに比べ抗原検査なら、廉価で早く尚且つ匿名性も維持できる(東アジアは、嘗てサーズ等でそもそも抗体を持っていたのではということが分かりつつあるので言い訳もたつ)。おまけに、このデータ、地域全体でどのくらいの感染率か特定できる。これ第二波、第三波が予想される今、貴重なデーターとして使える正しく「地域資源」だ。


コロナの「罹患者と医療従事者」=「地域資源」と組み替えることを、何処よりも早く醸成できた地域は、きっとコロナと上手く共生できるバージョンアップした、住み心地の好い地域になっていると思う。
 
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  まっ、今の政府が閲覧履歴の消し方を知らなければ、もう少しましな社会になっていたのか ...... 。  Home index 

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