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加藤諦三、この人の名を知らない方はいないのではないのだろうか.......。そうテレホン人生相談でおなじみですが、列記とした社会学者で早稲田大学名誉教授でもあります。 僕にとっては、50年以上前、自分が浪人時代に聴いていた深夜放送「セイヤング」のパーソナリティーをなさっていたのが加藤さんとの最初の出会いです。 浪人という家業は、毎日自分と向き合うことが仕事みたいなところがあるので、否が応でも内省的になります。当然、自分の欠点や劣等感にも気付くことになり不安も増長します。そういった事情もあり深夜放送の最盛期の中、最も自分にピッタリと来たのが加藤諦三のセイヤングでした。 それまでブルーバックス以外は手にしたこともなかった僕ですが、加藤先生の推薦する書は片っ端から読み漁ることになります。 |
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彼の代表的な著書「俺には俺の生き方がある」からスタートして(全著作を読んだ)三島由紀夫、小林秀雄、石原慎太郎、大江健三郎、寺山修司、高橋和巳、柴田翔、山本七平、江藤淳、吉本隆明etc ルソー、カント、スピノザ、ヘーゲル、ショーペンハウエル、マルクス、エーリッヒ・フロム、ニーチェ、ロマン・ロラン、サルトル、キルケゴール、ハイデガー、ウィトゲンシュタインetc 当然忘れているものもあり書ききれないが、僕の大方の「知」の基盤がここで出来たのは事実。そして今、経済学者安冨歩さんの「生きるための経済学」、「生きる技法」を読み進むと、上で挙げたフロムとかが引用されていて懐かしく思い出される。そして、加藤さんから勧められた著作は、確かなものだったのだなぁと感謝している。 そういえばお元気なのかとネットを検索してみると、御年82歳でご健在。今もテレフォン人生相談のパーソナリティを勤めているということで納得。 |
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![]() 「三島由紀夫と東大全共闘」 |
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今と違って、当時は熱い時代で、ある深夜放送で確か「文学の中の『死』」について生放送が組まれ、数人の論客が舌鋒鋭く自説を展開する中で、今で言う「死に落ち」は反則かどうかといったテーマで寺山修司が東北弁を武器に、それまで優勢だった論客を論破しまくり番組終了まで沈黙させるという事態を生で体験した。この時の衝撃は鮮烈で、今でも生々しく覚えている。 そして、「三島由紀夫対東大全共闘」(後日聴くことになった録画では、余り活舌は良くはなかったように記憶しているが....)も加藤先生から紹介されたが、当時の無教養な僕は全くその議論に着いていけなかった。大分たってから読み返してみたことがあるが、学生たちは確かに真剣だったが、話の内容は余りレベルは高くなかった様に思う。 その三島由紀夫だが、確か「豊饒の海」だったか、その帯にコメントをもらえないかと、吉本隆明に打診したようなのですが、吉本さんは丁重に断られたということでした。吉本さんの絶頂期で「言語にとって美とは何か」も既に刊行なさっていたので、三島は、その偉業に感服したのだろう、左派右派を超えてリスペクトしてたものと思う。 |
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生前、吉本さんは繰り返し言っていたが、三島や太宰の様な育てられ方をしたら「お前はもう生きるな」と言われているようなものだと。つまり、生まれて直ぐ母親の元を離れ病弱な祖母と添い寝をして育てられた三島は、後年父親の東大の農学部出身というコンプレックスを埋め合わせるために、東大の法学部を首席で出て大蔵省に入省するという道を選ばされた。安冨歩さんに言わせれば、これは児童虐待にあたる。 そして、病弱だった三島は、父親同伴で受けた徴兵検査を甲種合格から外れ、父親は、その判定が覆される不安から二人して全速でその場から去ったというエピソードを読んだ(これも加藤先生のお勧め)。この時点で、自衛隊市谷駐屯地での自決は定められていた様に思う。 十年程前だったか、長男と何気ない話をしていた時、たまたま加藤諦三の話が出て、その近況をチェックしてみたところ意外な事実を発見した。 僕が加藤先生を知ったのは17歳、当時先生は20代後半。繰り返し言っていたのは、父親を尊敬しているということ。ところが40年経って先生自ら自省するのは、実際のところご自分は父親を憎んでいたということ。 |
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えっ、と意表を突かれたが、よく考えてみると加藤先生の父さんは、確か大学の教授だったはず。東大出であったかどうかは忘れたが、先生が三浪して東大に入らなければならなかったことに、大きく影響を与えたであろうことは容易に想像できる。安冨歩さんに言わせれば「児童虐待」にあたる。 フロイトじゃないが、人間どこかの時点で「親殺し」をしなければならない。でないと自立は難しい。すべての親が、親としての成熟さのないままに親になる(乙武君のお母さんを除く)。ということは、すべての子供は、多かれ少なかれ「虐待」を受けながら育ってゆくことになる。この事実は重い。 50年以上前、文学・哲学・思想・宗教・科学 etc 多くの著作を僕は加藤諦三に勧められ、それによって育てられた。そして今、安冨歩さんの推す著作(「一月万冊」の清水さんの推薦も重なる)によって、それらに念を押すかたちで読み進み学びを深めている。残念ながら、どう言う訳か絶版になっているものが多く(「中世イタリア複式簿記生成史」等)、Amazonで検索を掛けると数万数十万円になっているものも多いので困る。そして、本当に価値ある本が、必ずしも多くの人々に紹介され購読されている訳ではないという事実も知った。 |
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『心的現象論序説』の筆写も残すところ僅かになってきた。早いもので、来月で丸一年になる。50年以上前の僕は、加藤先生が力強く推していた吉本隆明は、ちんぷんかんぷんでさっぱり理解することはできなかった。ところが、十年後、人生を通して最も重要な本になることとは、安冨さんじゃないが、ほんと人生は予測不可能だ。そして、50年以上繰り返し読み、味わい尽くし、付箋が折り重なり、マーカーで色付いたページばかりになったが、未だ未だ読み切れていない。 この世界に入ったとき、何かに憑かれたようにものを作ることの意味が知りたくて仕方がなかった。それに応えてくれた『心的現象論序説』。そして、今尚応え続けてくれている。もし出会っていなかったなら......現象学(フッサール、メルロ・ポンティ)で止まっていたかも知れない。それも生半可で。 |
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遠く霞んだ記憶を遡ると、そもそも加藤諦三との出会いを準備出来ていたのは姉のお陰だったかも知れない。というのも、僕が浪人していた頃、姉は社会人だったが、それこそ憑かれたように『死に至る病』(キルケゴール)や『意志と表象としての世界』(ショーペンハウエル)を読んでいて、本のあちこちが鉛筆の棒線で引かれていたので「どこに惹かれるのか」と聞いたことがあった。 いや、その前に「そんな本を読んでいるから暗くなるんだ」と言ったら「大きな世話だ、アンタに何が理解る!」って喧嘩になった事があったような。。後日、『意志と表象としての世界』を借りて読んだら、これが結構面白くて姉を見直したことがあった。他にも、付箋が束になって重なっている「中也のうた」(中村 稔編著)は、未だに借りたままで返していない。感謝すべきは姉か。 |
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加藤諦三に導かれて「知」の基盤を築き、今日まで来た。「縁は異なもの....」とはよく言ったもので、人との繋がりと広がりは、人智を超えて予測不可能で不思議なもの。 今回、五十年以上前を振り返ることになったのも、コロナが大きく関わっていることと思う。いろいろな意味で、大きく軌道修正を迫られる状況に、一旦過去を整理し、最終章に備える心の準備なのでしょう。その意味で、とても有意義だった気がしています。 朝夕、だいぶ凌ぎやすくなってきました。漸く就寝時の部屋のコントロールが出来始めたところでしたが、その必要もなくなりそうな今日此頃です。 では、では。 |