(家庭画報 5月号 『「平成」という時代』より)
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見事なコメントです。

現在、第三回厨子展に向け朝五時起きで仕事に励む毎日です。ここに来て新木地に修繕箇所が見つかり奮闘中です。これを受けて、会期が六月から七月へと延期されるかも知れません。

トラブル対応で時間を取られ、山田節子さんご紹介の家庭画報5月号の紹介が遅れました。今月号は『「平成」という時代』というタイトルで特集が組まれている。マスメディアを含め新しい元号「令和」を目前にして「平成」とは何だったのかを振り返る企画が多い。

2002年逗子の山桜
PCから平成の初めの画像を探すも見つからない。当たり前だ、平成元年は1989年にあたり、バブル崩壊の直前の浮かれた世相の中にあって家庭画報はもちろん、雑誌は絶頂期にあり世の中ネットのネの字もなかった。そして、平成とは、僕自身も漆工芸家として自立してゆく時期に重なる。

僕が発表の場を持った六本木や銀座とは、正しく虚業というか人間の持つ「過剰性」による生業が成り立つ特殊な<場>といえる。時代はそういった特殊性を肯定し後押ししていた。吉本(隆明)さんは、当時90%の人が自分は中流だと思える時代とは、資本主義の終焉を意味すると言っていた。

今振り返ると「200年の資本主義の中で特殊な30年という時代」と『21世紀の資本』でピケティが指摘した時代でもある。そして世紀末だった。
 
ベルリンの壁
ベルリンの壁崩壊・東西冷戦終結・湾岸戦争勃発・バブル経済崩壊・阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件・アメリカ同時多発テロ・リーマンショック・東日本大震災…

そして、何より世界を根底から変えたのがインターネットだろう。冒頭で紹介した『家庭画報』も平成元年の頃は20万弱の発行部数を誇っていたが、現在では半減し10万強。この様に雑誌が厳しい状況になったのもネットの影響であることは間違いない。
 80’年代、工芸家にとって『家庭画報』に載ることはステイタスであったし、何より知名度を上げる意味での効果は大だった。
 
しかし、僕自身が雑誌というマスの媒体が「終わった」と直感したのも、時代の価値観が多様化し、大衆から分衆・小衆へと移って行ったことを肌で感ずる事が増えたことだった。

 家庭画報のような、いわゆる総合婦人雑誌と呼ばれるジャンルは、比較的工芸を取り上げていて僕ら工芸家にとっては有り難い媒体だった。しかし、時代は工芸にとどまることなく、あらゆるアイテムが爆発的に多品種他品目を志向する様になり、世には魅力的な商品が溢れてきた。そう、工芸が衰退したというより、工芸以外のアイテムが増えたことが工芸の凋落を印象づけたというのが事の真相だと思う。
 
戦争こそなかったが、平成とは天災や人災が多く数百年に一度という地震や津波、そして、二百年に一度という特殊な経済状況( r < g …働いて得る所得の伸び率が株や不動産など、資産運用から得られる利益率を上回った歴史上初めての状況)もあった特別な時代だった。

思い返すとあっという間だったこともあり、そんなに特別な思いはない。大変だったんだなぁ位か。。ただ、僕らの子供の頃と比べると圧倒的に人心は劣化したと思える。これは今の若い世代がというより、僕らの世代を含めての上の世代、そして役人を含めた社会の上層部ほど劣化の度合いは強いと実感する。

以前は、ローッキード事件の時のように、国会の証人喚問でも証人は答弁の際宣誓書に記名するが、なかにはペンを持つ右手が震え左手で支えてもペンが定まらない程の緊張により、良心の片鱗がみてとれた。それが今では政府高官も嘘は日常、なんの良心の呵責もなくしれっと答弁している。これが平成の全てと言っていい。
僕自身は、いろいろなシチュエーションでそれなりに闘って来た積りだが、結果としては惨憺たる状況だ。
 
そして平成を一言で言うと「損得勘定が肥大化した時代」。バブル崩壊後の長引く景気後退と停滞という後遺症から、結局最後に役に立つのは金だと言うことになったように思う。金の切れ目が縁の切れ目という情けない結末。
 組織で言ったら内部留保。個人で言えば地域の空洞化と家族の解体。

僕ら日本人は、人智を超えて起こってしまったと思えることを「意志」で変えるようなことはしてこなかった。天皇制が成立した頃は、天災や経済の低迷の責任は天皇の失脚で代替した。平成から令和に変わったことで、皆こんなにも明るく騒いでいるのも、元号が変わることで景気や平成の間のネガティブなイメージを払拭する契機となる願いが籠もっているためだろう。ある意味でのリセット感=他力本願。
僕らは、先の大戦の戦禍の総括もせず70年を無為に過ごしてきた(「無為」とは,まったく何もしないという意味ではなく,不自然な行為や人工的作為はしない,ということである…ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)。僕ら日本人にとって人災も天災も大きな意味で「自然」と括られる範疇なのだろう。いい加減成熟した責任のとり方をしないと劣化は進むばかりだ。納得し難いけれども、これが日本の現実。

そして、宮台真司じゃないが、未だ日本は「堕ち足りない」、つまり人はどん底まで堕ちないと気が付かないとも思う。「正負の法則」で、今では忘れているけれどバブル期には相当いい思いをした。どん底で学べることもあるはずで、ここは自分自身がこの現実を引き受けてやれるだけのことをやろうと腹を括っている。

令和を迎えて、わずかに残された時間を精一杯充実させ、納得して「まっとうな」最期を迎えられたらと思う。 
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