お馴染み Mushikui-Ju であります。来月に控えたアメリカンクラブでの展示を考えています。



アメリカンクラブでは、この仕事に就いて三十年の集大成といった趣で進めたいと思っています。といっても仮設の建物ですので、あまり広いスペースはなく、その点少し物足りないのですが、自分としては与えられた条件の下ベストを尽くす所存であります。



この Mushikui-Ju ですが、いつも感覚の赴くままにトリマー(狭い溝を彫る建築工具)を操り木胎に抽象的な彫りを加えています。

 以前、ドイツの現代美術のジャーナリストから取材を受けたとき「空間はどういった風に構成していますか?」といった質問を受けたことがありました。「Gです。つまり重心が空間の中でどこに据えれば安定するか、あるいは動きのある空間を演出できるかが重要だと思います」と伝えた記憶があります。



人のもつ空間の流動性や安定性は、とても感覚的ですが、実は空間を構成する要素がどこに位置するかによって決められます。それは僕らの感覚が、全体の重心がどこにあるかを、あらゆる場面でその都度判断している結果とも言えます。僕らは普段意識していませんが、地球の引力(重力)を基軸に据えて様々な判断をしているというのが実相です。なので自然と”据わりのよさ”を無意識に、そして即座に判断しているように思えます。
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05/24 Mushikui-Ju 
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(電動工具トリマー)
僕は鎌倉彫出身なので”彫ること”というテーマを否が応でも引きずって今まで来ました。盆皿に彫られた従来の所謂鎌倉彫は、これはもう文句なくダサイの一言で片付けられてしまいます。 では「今」の鎌倉彫とは・・・・となると、これは簡単ではありません。

強いて言えば、平面に凸凹、あるいは陰影を付けることによって、言わば空間に偏りを付けること・・・・ちょっと抽象的な表現になってしまいますが、僕自身このコンセプトを手掛かりに”彫り”という表現を展開しています。



鎌倉彫は、いわゆる浮き彫りですから純粋な意味で二次元としての絵画のような平面でもなく、かといって三次元でもありません。なので、半立体と例えてもいいかも知れません。半立体という空間で表現を成立させると言うことは、厚みのないペッタンコな絵画の生み出すイリュージョンではない、まったく違ったイリュージョンを表出しなければなりません。



それは、凸あるいは凹の段差が空間に強弱を付け、何も手を加えない無垢な空間にある偏りを付けることで、静から動へと空間を一気に流動化させることとも言えます。
半立体なので凸凹を手で触れることも可能ですが、三次元の立体とは違うのでその凸凹を手で掴むことは出来ません。実は、半立体の表現の面白さも、そして限界もここにあります。



Mushikui シリーズで言えば、凹の深さの違いで閉じられた空間内での差異をつくり、そこに粗と密を生み、ある種のリズムを付けます。与えられた空間のどこに溝を彫るかも重要ですが、凹としての溝の深さと広さも重要です。これは丁度 Jazz のアドリブのようです。静寂さの中に一つの音を投げ込み、その音を切っ掛けにして後に様々な音を乗せてゆく・・・・。始めてみないと何が起きるか分からないスリリングなところもJazz に似ています。その意味でMushikui は即興です。



そして、トリマーが意図した方へ方向付けられないところも、それはそれで偶然性を運んできてくれ面白い空間を演出してくれます。逆にそれをどこかで期待していたりします。なので、もの凄いつまらない凹を彫ったとしても直ちにそこを魅力的な空間に変えることも可能です。
Mushikui は”書”の感覚に似ているところもあります。グッと筆の動きを止めて更にそこから次に動いてゆく・・・・・気を入れて筆を止めるところは必然的に密度が高く感じられます。これは Mushikui でいうと凹の段差が深いところに相当するでしょうか。
 

Mushikui は”滲み”のような書のもつ効果は出ませんが、凹の重層的な重なりによる妙が凸を交えて、ある空間の深さを作り出すことが出来ます。そこがMushikui の醍醐味でもあります。ミクロ的にいえば、立体的な深さと広さのバリエーションで次元の高さを織りなしてゆくということになります。



”絵を描く”ということは、人に与えられた楽しみと喜びの一つですが(チンパンジーなどの類人猿も絵を描きますが・・・・)厚みのない平面に色をのせ、更に形としてのバリエーションも併せ持つという表現の組み合わせは、それこそ無限大のスタイルが存在します。その点、半立体の浮き彫りはミクロの高低差と面積差の組み合わせなので、表現としては思いの外シンプルですが、それ故直感をストレートに形に落とすことが出来ます。
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鎌倉彫のようなリリーフ(浮き彫り)は、純粋な立体ではありませんが、やはり三次元に近い触覚的な面白さがあり、その点が”絵”のような非触覚的なイリュージョンとは違います。その意味で絵画より次元は一つ落ちてしまうかも知れませんが「彫り」という表現は、どうしてどうして未だ未だ可能性はあると僕自身は思っています。



という訳で花鳥風月としての鎌倉彫ではありませんが、コンテンポラリーな鎌倉彫としての”彫り”の可能性を含む Mshikui は、平面を彫るというプリミティブな作業を通して未だ未だ進化してゆく過程にあります。彫るという作業は”表現の始原”に僕らを誘ってくれる表現でもありますので、もっと多くの方々に広がっていったらな〜と正直思いながら今日もシコシコ彫っている私目であります。

(トリマーの刃)