(巨匠 白川 静氏) |
いい顔しています。 息子にプレゼントされた白川 静著『常用字解』で、ますます殷墟文字への関心が深まると共に、漢字研究をここまで深めた学者、故白川 静氏に対しての敬愛の情は深まるばかりだ。出来ることなら、師の亡くなる前に大学で講義を受けてみたかった。 氏の著作を読めば読むほど、よくぞここまで深く洞察したものだと、その研究姿勢に敬服せざるをえない。昨年、96才で亡くなったとき Today's image 「白川静」でも触れたように、氏の研究課題は、単に漢字に限定したものでなく、人間学として漢字を見ている点にある。そこがすごい。 まるで紀元前1200年前の中国にタイムスリップして、現場で見てきたかのような迷いのない言説は、恐らく血の滲むような労があったことを裏付けているからに違いない。 |
読む度に「へ〜・・・」、「ふーん。。。」「うっそ・・」っとブツブツ独り言を言ったり、唸ったりしている。 このところ、網野善彦さんと並んで白川静氏の新旧の著作を Amazon.com で買いまくっている。 白川さんのものは、辞書に相当するものも多いので、1万・2万するものもざらだ。そこで、 Amazon.com の古本を探すと半額以下で手に入ったりして助かる。便利な世の中になったものだ。 買いまくるのは結構なんだが、枕元に積み上がっているものを読破できず、いまいましく睨むだけのものも多い。 そこで考えた。今年の夏休みは、韓国行きに決まっているのだが、それを四日程度におさめ、三日間みっちり白川ワールドに浸りたい................と。(けっこうささやかな願い事なんだが...........)。 |
今、蓬莱紋厨子の扉の接合部に不具合があり調整している。けっこう神経を使って手間の掛かる作業だが、案外こういった作業は好きだ。 あまり報われない仕事をしていても苦にならないのは、殷墟文字を「書道」とは違った「表現」として提案し続けたい、という想いが自分を後押しし支えているからかも知れない。。 |
何故故にこんなにも殷墟文字に惹かれるのか.................... あまり口外したことはないのだが、僕自身が殷墟文字に憑かれているのは、表現する者として「文化の洗礼を受ける以前に還りたい」という河に生息する魚のような遡行性にある。つまり、全ての文化遺産をリセットし、表現の原点に立ち返って、そこから表現をし直してみたい・・・という根元的な欲求があるからだ。 勿論、そんなことは不可能なのだが。でも、基本的に「文化をリセットしたところに表れる表現を見てみたい」という強い想いは常にある。 |
(ブッシュマンの描き残した岩絵) (ブッシュマンの描き残した岩絵) |
限りなく表現の生まれた地点にまで戻りたい・・・・・それが、殷墟文字に憑かれる理由だと思う。 なので、原始美術も同じ様な視線で見ている。だから僕の眼には、原始美術も殷墟文字も同じように映っているのかも知れない。。。 と言うわけで、今日も白川 静氏の著作に囲まれたなかで仕事を続けている幸せな私めであります。。。 |