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銀座ギャラリー厨子屋が12月1日リニューアルオープンした。

前の空間も悪くはなかったが、100年続いた「仏壇屋」さんのイメージをかなり引きずっていて正直「いまひとつ」という感じだった。改装後のギャラリーは、そんな過去と決別したかのように、そのモードを変えた。総合プロデューサーの山田節子さんの意見を採り入れつつ、内田 繁さんの起こした空間デザインは流石だ。

そんな厨子屋だが縦長の室内は、展示が西側だけに限られ東側は全くの真っさらの白壁になっている。そこに昨年評判のよかったオブジェ「かさこそと、そして百済に寄り添ふ」の様なものを掛けたいが・・・・というリクエストを受けた。

未だ時間があるとはいえ、この20日からSAVOIR VIVREでの「小椀展」を控えているので大作は無理だったが、先週の日曜日に掛けて小品を手掛けてみた。

Titleは、「羊の眠る丘で」。
このコンセプトは、おおむね20年程前手掛けたものと同じだが、当時は、とにかく軽薄そうな、ちゃらちゃらした色を意図して使ったが、今回は当時のような挑戦的なニュアンスはない。年を経て丸くなったのかも知れないし、時代が変わったことも大きい。

厳しく、ほぼ透明に近い位の淡い色使いをコンセプトとして持っているので(この部分は核になるので変更はない)パレット上の絵の具は、水でじゃぶじゃぶで、よく見ないと何色だか判別が難しいくらい。

以前と違って一見汚い濁った色も使える自分がいる。ちょっぴり成長しているか
 色とは「関係性」なので、丁度囲碁を打つように一つの色を置いた後に隣に何色が来るかで、まるで色調が変わってしまう。色使いとは、それの反復調和をいうのだろう。

もう一つテーマがある。それは、絵の具を構成している材質を超えた「色」という概念と、支持体としての木胎とのハーモニーをどう作るかだ。

色を効果的に見せるため、本体は木肌の白い栂を使った。
木を削るということは、ただただ気持ちいい。

頭の中だけにあった「かたち」が、目の前で実質のある「かたちになってゆくこと」を目で確認しながら進められるからだろうか。。。それだけではない。「手」という触覚でも、それを感じ取れること・・・これが大きい。

一口に絵の具といっても、岩絵の具・油絵の具・アクリル絵の具・水彩絵の具、そしてインク等々、その材質は沢山ある。

ここでは、材質感の少ない水彩やアクリルを水で希釈したものを使った。その狙いは、なるべく「色」という観念が欲しかったから。

 一部、気に入った岩絵の具を使ってみたが、強すぎてバランスをとれない。岩絵の具や油絵の具を希釈なしに使うと、もの凄い材質感というか物質感が出てしまう。絵の具が勝ってしまうのだ。木胎そのものの美しさとフォルムも狙いのひとつなので、これだと、木胎との調和を壊してしまう。

「色」という観念と「木=木肌」という素材を調和させたい・・・・これがこの作品の狙いでもある。
普段僕は、漆を扱っている。なので「淡さ」とか「デリケイトさ」とは遠く離れたところで作業をしている。
 漆は、染料を混ぜると真っ黒くその色を食ってしまう。漆独特の朱の色を作るには、岩絵の具である顔料を入れて練り上げるわけだが、この朱の粉の色たるや元の色は、吐きっぽくなるほど飛んでいるショッキングピンクなのだ。おまけに漆の乾くときに酸素と反応して黒ずむ。故に、これに透きのいい漆を混ぜて、やっと上手い具合の「朱漆」に仕上がる。

漆を扱う作業は、もの凄い物質感をどう調和させるかという作業という場面が多い。なので、たまには大好きなエメラルドグリーンや限りなくブルーに近いグリーン、そしてセピアに近い紫などを使ってみたくなる、それも透明絵具で。そんな欠乏感を補う感覚でこの作品のモチーフが出来たのかも知れない。

(Title:「羊の眠る丘で」)

size: h 250 ×w 50 ×Ø 35 mm
そしてもう一つ大切なコンセプト・・・・それは、この小さな作品を
だだっ広い何もない白い空間に、まるで蝉がとまっているかのように「ぽつん」と展示すること。これは、あの馬鹿でかいアメリカの現代美術に逆立して出てきた発想だった。あの大きさは、この日本ではリアリティーがないのだ。


さて、他界を失ってしまった現代社会にあって「今の厨子」をどう再興させるか・・・・そんな壮大な理想を図らずも担ってしまった訳だが、過去を大切にしつつも「今」という空間に沿った仏壇ショップに、僕なりに貢献したいと思うことから、このオブジェ「羊の眠る丘で」は出来た。

30年近く前に様々な格闘をしながら制作していたオブジェが、こんな形で表現の場を得られるとは.................

そんな、師走であります。